セナのドラマ2022年ネットフリックス

美化せず、キチンと描いて欲しい!
あの、90・91年シーズン中盤からと92年序盤からのマクラーレンシャシーを棚上げしたホンダエンジン口撃や92年ウィリアムズ勝過ぎ調整意図の、モナコでのマンセルブロック&ブルーフラッグ無視や94年イモラでのレギュレーション違反硬度でベル軽量ヘルメット装着や直接クラッシュの原因になったステアリングシャフト切断&細径シャフト再溶接&補強ピン省略指示など。
カレの事故死は、人間的破綻と環境が悪い方に揃って起きた。

誤解して欲しくない。80年代のセナは大好きだった。

84年モナコプロストを追い上げたセナ、プロスト贔屓の主催者がプロストに勝たせるため、赤旗を出して止めた。プロストプロストで、ポイントが半分なのが効き、ラウダに届かなかったが。87年のアクティブサスペンションのロータス99Tでタイヤ交換1回でブッちぎったモナコ、無交換でブッちぎったデトロイトは最高、当時のロータス担当後藤サンがモナコは手の内隠すために1回交換したと明かした。シルバーストーンはウィリアムズのマンセル&ピケに周回遅れながら3位、中嶋の4位と合わせてホンダ1-2-3-4ゴールした。確か、ホッケンハイムまではランキング首位だったハズ。モンツァもタイヤ無交換で終盤までトップを走ったがコースアウト、抜いたピケをファステストで追い上げたが届かなかった。セナの熱さが一番伝わったシーズンだった。

88年89年はマクラーレンホンダ、ガス欠対策のゴール直後ストップも、カレらしかった。プロストとの直線幅寄せ合戦も89年鈴鹿シケイン接触後の処理もセナらしかった。