A・プロスト、自伝的写真集

A・プロストの自伝的写真集が出る。値段は水着も裸もないのに、7,700円。F1パイロットの写真ごときにそんなカネは出せない。まあ、初代NSXのカタログに1,200円出したのですが。宮沢りえの写真集の約3冊分だし。

個人的に87年までは好きだったのだけど、以後はあまり好きではない。86年の逆転チャンピオンは素晴らしかった。ピケとマンセルの争いの間隙を縫う形だったが、アデレード本田宗一郎が見に来たところに挨拶し「レースはワタシが勝つコトになります!」と宣言、レース序盤はパンクに見舞われたのに、ピットにキッチリ戻って盛り返した。むしろ、マンセルはタイヤバーストに見舞われリタイア、ピケは疑心暗鬼になり余計にタイヤ交換してプロストの逆転を許した。

プロストは暑いリオの開幕戦も強かった。シーズンオフのタイヤ開発に絡み、ソフト目のタイヤを作らせていた。87年のリオは、ウィリアムズとロータスがタイヤ消耗で4回5回とタイヤ交換して後退する中、3回交換で逃げ切った。88年ホンダエンジンで初のリオは、セナがエンジン不良に見舞われた挙げ句Tカー失格する中、プロストは悠々と逃げ切った。89年は3回交換するつもりで、1/4走ったところでタイヤ交換したがクラッチトラブルに見舞われ、残り3/4をクラッチなしシフトと3回も交換できない状態のタイヤで、A・ナニーニやJ・ハーバートやR・パトレーゼに煽られながらも2位を守りゴールした。セナが91年までブラジルで勝てなかったのとは対照的だった。

88年ガス欠リスクから、ビクトリーラップをせずにゴール直後にストップするスタイルもカレがやった。ターボのブーストによるトルクバンドを活かすドライビングは、セナと比べて遥かに燃費が良かった。それは、ホンダの近距離テレメトリーにより解析された。90年フェラーリに移籍したが途中まで手懐けたマンセルに裏切られ、逆転の芽を残した鈴鹿で前年シケインの仕返しを1コーナーで食った。91年はフェラーリお得意の御家騒動で、雨中のパレードラップでコースアウトして出走すらできないレースもあり、日本に来る前にチームを離脱した。92年は休み、93年はマンセルを追い出したウィリアムズにシートを獲得し、手の内を曝け出すコトなく、リードし過ぎるコトなく走り切り、4度目のチャンピオンを獲得した。