肖像権問題?水島新司マンガ、使用されない

あるバラエティーで、野球マンガでの投手防御率の話が出た。近年のマンガのキャラクターもあれば、昔のマンガのキャラクターもあった。あだち充キャラクターもいたし、梶原一騎(川崎のぼるの画か?)キャラクターもあった。そんな中、あって良かったと思われた、水島新司野球マンガのキャラクターが一切いなかった。

もちろん、水島新司野球マンガは長いモノも多いし、アマチュア・プロ、アマチュアも中学・高校・大学などに渡り、不利でもあると思った。ドカベンの里中は長く投げて、点を取られた試合も結構あり、むしろ、不知火や犬飼兄や球道&大甲子園での中西の方が良かったりするだろう。中学から大学、阪神での藤村甲子園はどうだったか。

昔のマンガ、巨人の星侍ジャイアンツ水島新司系などは、ほぼ現実の選手がそのまんま出て来た。星の背番号16や復帰後の3、番場の4は永久欠番だった。作者が実際進行形の中に、キャラクターを載せたストーリーには賛否あったろう。例えば、金田は星に「大リーグにない新しい変化球」と焚き付けたし、長嶋や王は番場の未熟さをブン殴った。藤村甲子園は巨人長嶋を討ち取るためにプロを目指して、東大中退して阪神に入った。

現存の人物も描くストーリーには、当人に心外な描かれ方をされ、不快に思うコトもあるだろう。現実に、野村克也水島新司に、ドカベンプロ野球編に自分を出すならカネを出せと言ってた。「あぶさん」や「野球狂の詩」で、成績素晴らしくてもあまり取り上げられなかった野村サンをオモテに出したのは水島新司なのに。(その後、サッチー問題で南海を追い出されたのは、カレなのに。)また、シャレだと思うが、プロ野球編でダイエー岩鬼に敢えて悪球を投じてホームランを打たれた設定の渡辺久信ウッチャンナンチャンの裁判バラエティー「桜吹雪は知っている」で訴えていた。

現実の人物に、マンガでイメージが良くも悪くもなるから、好ましくないコトはあるのだろうが、それにより知名度が上がり、その個人の活動に好転の結果が出るコトの方が大きいハズだ。

他のマンガでも、池沢さとしの「サーキットの狼」では、後の3度のF1チャンピオンN・ピケやS・ヨハンソンらはモナコF3で風吹裕矢に負けてたし、「JIN」の作者村上もとかの「赤いペガサス」では、77年F1チャンピオンがN・ラウダでなく主人公赤馬研になっている。88年か89年だったか、オーストラリアでA・セナは赤馬翔に負けている。あくまでマンガ、誰でも知っている。

マンガに於ける個人の肖像権って、そんなに目クジラ立てるべきなのか?鷹揚で良くないのか?

まあ、高橋陽一キャプテン翼みたく、チーム名は現実通りで登場人物は名前モジりして置けば問題ないのか?