カーデザインアウォードにフェラーリ・ローマ?モータージャーナリストは裸の王様の側近か?

2020年のカーデザインアウォードに選ばれたのは、フェラーリ・ローマだった。ネットで見る限り、フェラーリ・ローマ礼讃記事がいっぱい、疑問を呈したモータージャーナリストの記事を1つも見ていない。

本当に、優れたデザインだと思っているのか?

昔話、裸の王様では、側近がおべんちゃらを並べるのに対して、その行進に対して子供が「王様が裸で歩いてるョ!」と言って笑う。

今回、モータージャーナリストは、フェラーリという裸の王様に対して、平身低頭、おべんちゃらを並べる側近しかいない。自らに確固たる視点も信念もなく、ただ、フェラーリが出したモノを有難がって拝んでいる図式だ。

コレでは、デザイナーが出した滑稽な衣装を有難がって書き立てるファッション業界と何ら変わりはない。本来、出品されたモノは提案であるのに、ジャーナリストがキチンと審査評価せず拝んでしまっては、どうしようもない。

フェラーリが出すモノが正解なのか?フェラーリを愛する者、フェラーリを好きな者なればこその論評が必要なのだ。

論点はいくらでもあるだろう。

V12エンジンは?V12は単に性能数値だけではなく、ポテンシャルであり象徴である。

このデザインが、心底素晴らしいと思っているのか?このデザインを見て、心が踊るか?美しいと魅入られるか?

この30年近く、エンジンはひたすら肥大化している。昔はNAで4リッターや5リッターだったモノが、今は6リッターや7リッターへ、昔はCカーくらいしかV8ターボはなかったが、今はフェラーリすら量販車にV8ターボをラインナップする。

ピニンファリーナと別れたからか、子供の切り絵みたくおかしなデザインばかりだ。ちっとも魅かれない。

クルマ作りも、あからさまなカネ持ち狙いの皮替ばかりで、速さと美しさのバリエーションを競う姿勢がない。

モータージャーナリストが、メーカーに付和雷同するべきではない。様々な視点や信念から、敢然と意見するべきなのだ。賛成があり、反対がある。自動車メーカーの目を覚まさせる存在でなくてはならない。平身低頭おべんちゃらなら、モータージャーナリスト自体必要ないのだ。自動車メーカーにとってもメリットがない。