小林麻耶&麻央

元々、明石家さんまの「恋のから騒ぎ」で、小林麻耶がウケた。その後、スペシャルに麻央が出た。2人とも、それぞれのシリーズに一番インパクトある存在ではなかったが、いるだけでも目を引く存在だった。

大学在学中の就職活動に於て、姉は日テレではなくTBSの局アナに、妹はセントフォース所属フリーになった。

姉は本来、報道希望だったらしいが、ウケたキャラクターが日テレバラエティーであったイメージもあり、TBSでもバラエティー系の女子アナとして扱われた。妹は別にこだわるコトなく、女子アナからレポーター、女優までも演じ、最後は報道番組のアシスタントまで務めた。

妹が姉の状況を鑑みつつ、自分に向いた選択をしたのかも知れない。結婚も担当番組でのインタビュアーで知り合ったコトによる。結婚して、仕事は中断。ダンナ市川海老蔵は、結婚しても夜遊びを止めず、六本木で半グレにタコ殴りにされ、整形手術が必要にもなった。一連の処理で、海老蔵は迂闊に夜遊びできなくなった。娘も息子も生まれた。ソコまでは、妹は上手くやっていた。

しかし、麻央が身体に不調を覚えたところで一気に暗転した。海老蔵の母親と海老蔵は体調不調に取り合わず、1年近く放置した。挙げ句、専門医でもないかかりつけ医に診察させ、「問題ない。」と言わせた。妹は、姉や父に不調を訴え続けていたのだ。いくら、海老蔵の母親が女将業引き継ぎに必死であっても、病気を無視して良い影響があるハズはなかった。本音のところで、麻央は麻耶や父親に、海老蔵の母親や海老蔵に体調不調を1年無視され、専門医の診療すら受けられず、漸く受けた診察で余命宣告を受けた顛末や怒りを伝えていたろう。きっと、自分が死ねばすぐに、代わりの女将を探すであろうコトも。

だから、麻央の死後、マスコミの眼に映るよう、麻耶は妹の遺児2人の元に通い詰めた。表立って後釜探しを許さないためだ。海老蔵の母親は、何とか麻耶と遺児2人を引き離すためにオトコをあてがった。とりあえず、引き離すコトには成功し、麻耶の意味不明な言動のオンパレードに海老蔵側からもマスコミの眼が離れた。中村獅童が不倫騒動で竹内結子に離婚され、女将と跡継を失った状況よりは楽な状況になった。

麻耶も、コレではヤバいと感じ、一度は中断しようとしたタレント活動を再開した。そうした、おかしな状況をマスコミは利用していた。マスコミにとって、麻耶は賞味期限切れしたのだ。

今に、海老蔵側から、麻央の後釜発表されるコトになるだろう。