甦れ、ホンダ!

ホンダは、二輪・四輪ともおかしくなっている。ワザワザ、現代のF1の変質を理解せずに第3期&第4期の参戦をしたコトも、本田宗一郎亡き後の迷走を物語っている。というか、第2期の撤退を決めたプロセスも、実は迷走の始まりだったように思う。

確かに、参入すればいつかは脱退する。しかし、第2期をやめたのは92年いっぱい。本田宗一郎サンが亡くなって、然るべき時間を経て決定した。あのヒトが生きていたら、止めていただろうか?V6ツインターボで87年と88年を制し、89年と90年をV10で制し、91年はV12で制した。92年に向けた開発で、マクラーレンがちゃんとシャシー開発していたら、或はマクラーレンの開発力に見切りをつけV10に戻すか無限V8ベースでV8をやっていたら、92年以降も勝てていたのではないのか?勝てていたら、A・セナも離脱していなかったし、94年で死ぬようなコトはなかったろう。もしかして、カレなら、シャシーネガを解消できるようなV12を作れと言ったかも知れないが。(笑)

二輪・四輪市販車の企画開発においても、おかしくなった。

例えばNSX、コンセプトで出し始めたのは、第2期F1で勝ち始めた頃、出すとマスコミがV6ツインターボ、V10、V12など、期待とイメージを膨らませた。また、87年限りでホンダF1総監督を退いた桜井サンが市販車開発に異動したコト、カレが「ホンダがやるなら、フェラーリ・ポルシェをブッちぎる!」と発言したコトも、更に期待を膨らませた。しかし、数ヶ月経たずにカレは辞めていた。実際に出たクルマは、百害あって一利しかないアルミモノコックボディーだけ売り、単なるレジェンド焼き直しNAのV6、フロント低さとインボードのダブルウィッシュボーンにこだわりフロントブレーキは2ピストンだった。オールアルミは、軽い以外は全て災い、工場新設、治具ナシによるサービス不能、レース使用すら補強やロールケージ取付に手間を要した。まして、モデルチェンジにおけるパワーアップもできなかった。

単に、アルミないし鉄フレームにFRPカウル構造にしていれば、工場新設せずに二輪工場で生産できる可能性があり、ひいてはNSXを二輪店でサービスできる可能性もあった。アルミないし鉄フレームの方が、応力に合わせて必要な構造をしやすいのだ。

それらを封じられたNSXは、正常進化するコトもなく、一度マイナーチェンジしただけで放置され、名前だけ引き継いだ後継車にバトンタッチされた。

二輪の迷走の一番は、2サイクル250ccのNSR250である。市販車として86年に発表されて、88年89年90年と進化したバイクが93年まで据置、94年にモデルチェンジしたが、無用なカードエントリーやレーサーとは逆側片持ちプロアーム、不評なエキセントリックシャフトなど不要装備満載、逆に狭角V2や倒立フロントフォークやフュエルインジェクションなどはなかった。この時点で2サイクルをやめるコトは決まっていて、当時手持ち技術で目先を変えた商品を出しただけだった。

日本で250ccは、車検の必要なく高性能で、2サイクルはオイルの問題を解決すれば効率の高いエンジンなのだ。本田宗一郎なら、技術で克服せよと命じたハズ。カレの死は本来のホンダの在り方を闇に落とした。

目先にホンダがやるべきは、公道を走れるカートではないか?原付エンジンのカート、現在は多段ミッションすらない。登坂能力を上げるために6段リターンミッションを積んで補えば、1人乗りでもあるし快適で安全なコミューターになる。スペースも取らず、女性にも安心な乗り物になる。カウリングを工夫すれば、雨でもあまり濡れずに走れるかも知れない。