背番号やゼッケン

背番号やゼッケン、アマチュアスポーツや五輪では選べないコトも多いが、プロスポーツに於ては写りとして、顔やユニフォームと並ぶ大事な要素だ。

ワタシ個人の印象として、NBAブルズのM・ジョーダンの23、プロ野球巨人の長嶋茂雄の3、オートバイ世界GPで83年にK・ロバーツを下し85年に500&250チャンピオンになったF・スペンサーの19と125&250&500&MOTOGPチャンピオンのV・ロッシの46がイメージとして、強く残る。

直接現役を見たコトない選手で、思いを馳せるのは、巨人の沢村の14や川上の16や黒澤の4や金田の34、明石家さんまがよく言うクライフの14である。16と3はマンガ巨人の星で主人公星飛雄馬の背番号として、4は侍ジャイアンツの主人公番場蛮の背番号として使用された。巨人の背番号34は永久欠番だが、金田の古巣たるヤクルト(元国鉄)では34は永久欠番ではなく、新人だった高野に与えられ、カレは新人で開幕投手を務めた。

他にも、活躍した選手の背番号として思いを掻き立てられる数字もある。例えば、F1でA・セナが初めてチャンピオン獲得した時のゼッケン12、悲運のドライバーG・ビルヌーヴのゼッケン27、日本最速の男星野一義のゼッケン19、アグレッシブなGPライダーK・シュワンツのゼッケン34、若くして亡くなったGPライダー阿部典史のゼッケン17や加藤大治郎のゼッケン74もある。

確か、世界GP250初エントリーでチャンピオン獲得した原田哲哉のゼッケンは、リトルジャイアント高井幾次郎にちなんだ62をGP250エントリーで半分にした31だった。86年GP250エントリーした平忠彦も同様だった。(しげの秀一のマンガ「バリバリ伝説」主人公巨摩郡の全日本GP250のゼッケンは62だった。ちなみに、世界GP500のゼッケンは、ホンダ八代らの使用した56だった。)

マンガだけで作られた背番号もある。水島新司のマンガ「男どアホウ甲子園」の藤村甲子園は阪神から提示された先発抑えダブルエースの背番号11を蹴り、先発中継ぎ抑えトリプルエースの背番号111を選び、相棒捕手の岩風は田淵幸一の背番号22に準えて背番号222をつけた。

プロの背番号やゼッケン、選手の思いやバックアップする周囲の思いがこもっている。ワタシはそう思って見ている。