F1角田、期待できるの?

F1角田、果たして活躍できるのか?今までの日本人で最高のシチュエーションでステップアップしたのは、佐藤琢磨だったろう。イギリスF3を獲り、マカオで勝ち、BARの2ndながらビルヌーヴやバトンをモノともせず、当時のシューマッハすらブチ抜いた。逆に、アグレッシブ過ぎるとすら言われた。元々資金力に不安を囁かれた鈴木亜久里のチームに入ったコトが、カレのF1での時間を奪ったように思う。

もっともチャンピオンに近いチームやクルマに乗ったのは、中嶋悟だろう。アクティブサスペンションのロータス、セナは終盤までチャンピオンシップのトップにもいた。シルバーストーンでは、マンセル-ピケ-セナ-中嶋で1-2-3-4にすらなった。翌年はピケの移籍で、ゼッケン2をつけた。

角田は?結局、F3もF2もチャンピオンを獲って上がっているワケではない。しかし、若くしてステップアップできた。今のメルセデス&トッドに仕切られたF1で、ホンダ支援ドライバーにドコまでチャンスがあるか?

最初から好成績だったり速かったりすると、佐藤琢磨みたいに、デビュー当時のパトレーゼみたいなイメージを植え付けられ、締め出されないかな?

 

 

 

 

 

 

*******************

【日本人初F1チャンピオンへ】四輪参戦たったの4年でF1昇格 角田裕毅オンライン会見 自然体の生き方
12/24(木) 6:50 Yahoo!ニュース
 35
日本では異例、5年でF1昇格
 
角田裕毅選手
text:Kenji Momota(桃田健史)

2000年生まれの若干20歳。

久しぶりに日本人F1レギュラードライバーが誕生した。

【写真】あぁ……観たい! 白熱のF1フォトコレクション【写真で楽しもう】 (198枚)

だが、「角田裕毅(つのだゆうき)」という名前を聞いても、一般的には馴染みがないだろう。

それどころか、モータースポーツファンの中でも角田選手について詳しく知っている人はけっして多くないはずだ。

なにせ、四輪レースに出場したのはいま(2020年)から4年前の2016年。ホンダが主催するプロレーサーへの登竜門、「鈴鹿レーシングスクール」を受講した後、フォーミュラ―カーの入門カテゴリーであるF4シリーズに2018年まで参戦し、シリーズチャンピオンとなる。

そこからたった2年で最高峰F1まで駆け上がるとは、角田選手自身もその時点ではまったく予想していなかった、とみずから語っている。

2019年に初めて海外レースのF3に参戦。2020年にさらに上位のF2参戦となり、ポールポジション4回/優勝3回でシリーズ3位となった。

そして、ホンダがエンジン供給するアルファタウリで、シーズンオフテストに参加し、見事な走行と、マシンの状況をエンジニアに対して適切に伝えるフィードバック能力の高さなどが評価され、2021年の正式F1ドライバーの座を獲得した。

国内3年、海外2年で一気にF1という、極めて異例のステップアップを成し遂げた。

ドライバーに求められる資質とは?
 
角田選手のケースは、まさに、理想的なステップアップであり、自動車メーカー各社が長年望んでいた成功事例だと言える。
角田選手のケースは、まさに、理想的なステップアップであり、自動車メーカー各社が長年望んでいた成功事例だと言える。

そもそも、四輪モータースポーツは参戦費用が大きく、入門カテゴリーでも年間予算は数百万円かかる。その後は、予算は年間数千万円レベルに上がっていく。

そうした個人としては莫大な金額を、10代や20代の若者が負担することは一般的には無理であり、結果的に親の支援が受けられる富裕層の子息に上位レースへのステップアップの機会が多くなってきた。

長年に渡り、レーシングドライバーの資質は、体力/精神力/資金力と言われてきたものだ。

一方で、いわゆるワークスという枠組みもある。

自動車メーカーが自社製品の基礎研究として、またブランドイメージ向上のためのマーケティング素材として、企業としての年間予算の中で、モータースポーツ関連経費を計上する。

日本でのワークス活動は、経済高度成長期にあたる1960年中盤から後半に盛んになった。

トヨタと日産がルマン24時間や、当時アメリカ・カナダで人気を博したCam-Am(カンナム)シリーズなどで使用されていたプロトタイプレーシングカーによる日本グランプリ参戦。

また、ホンダは2輪世界選手権、さらにF1へと戦いの場を広げた。

体育会系のノリ→システマティックに
 
2000年代以降になると、自動車メーカー各社が未来のトップドライバーを目指す若者に対し、育成プログラムを充実させるようになる。
60年代当時のトヨタ/日産でワークスドライバーだった方々に直接話を聞くと、先輩/後輩、またワークスとセミワークスなど、厳しい人間関係の中で、いわば体育会系の雰囲気があったという。

運転技術を磨くと同時に、精神面では気合で勝負、といった面もあった。なにせ、エンジンパワーがシャシーやタイヤの性能を遥かに超えるようになり、また衝突安全性についても発展途上にあった。まさに、命がけのレース参戦だった。

70年代に入ると、排ガス規制やオイルショックの影響でワークス活動が一気に縮小し、ドライバーの能力で資金力の大きさが増す時代が続いた。

また、80~90年代は、自動車関連以外の企業がモータースポーツを企業の広告塔として使う機会が増え、資金力のないドライバーには、協賛金獲得のための営業力も必要になった。

2000年代以降になると、自動車メーカー各社が未来のトップドライバーを目指す若者に対し、育成プログラムを充実させるようになる。

国内トップフォーミュラ、ス―パーGT、F1を含む欧州シリーズ、またアメリカのインディカーなど、メーカー系育成プログラムの卒業生たちが活躍するようになった。

そうした中で、角田選手の四輪参戦5年でF1昇格は、日本モータースポーツ史上で最も成功した事例である。

角田選手とオンラインで話した感想
 
角田選手は「実は、僕には野望があり……、ハミルトン選手の(現状)7回の世界チャンピオンの記録を超えたい」と、本音を漏らした。
そんなF1スーパールーキーの角田選手に、オンラインで話を聞いた。

ホンダが2020年12月21日午前9時から開催した、記者とのオンライン記者会見である。

まずは、記者側からの共同質問として、アブダビでのテスト走行について聞いたところ、角田選手は時系列に沿って的確かつ詳細な回答をした。

また、減速Gが大きく「今後は首のトレーニングが必須」であること、また予選アタックでは「1周の中でステアリングスイッチによりマシンセッティングを変えることに慣れる必要がある」など、F1とF2との違いを語った。

筆者からは、角田選手が憧れてきたルイス・ハミルトン選手(35)と角田選手が15歳差であることから、2035年のF1はどうなっているか、と尋ねた。

角田選手は「電動化など環境に配慮したパワートレインになっていると思うが、走行音については(迫力ある傾向としての)配慮が欲しい」と指摘。

さらに「実は、僕には野望があり……、ハミルトン選手の(現状)7回の世界チャンピオンの記録を超えたい」と、本音を漏らした。

そう語る角田選手の目は、実に自然体。

彼ならば、本当に日本人初のF1チャンピオンになれるのではないか。

オンライン越しの会話で、そう感じだ。
AUTOCAR JAPAN

*******************