清原が阪神に行ってたら・・・。

ワタシは長嶋茂雄のファンであって、今の巨人のファンではない。

第1次の最下位でも好きだったし、初優勝した日本シリーズ阪急に3連敗後3連勝して追い付き7戦目を取れなかった時も、広岡ヤクルトに終盤で競り負けても、江川事件後も好きだった。

清原をあんな風にしたのは、王と巨人フロントだった。FA交渉の時も巨人フロントは態度悪くて、清原に詫びの一言もない有様だった。清原が「あの時のコトについて、一言もないですか?」と聞いたら、交渉担当者が「何ですか、それは?」とトボけたらしい。

そんな巨人なんかに、行くべきだったのか?

清原のヤク、元々は1年目の日本シリーズ、左足親指つけ根に自打球当ててヒビが入ったのを、痛み止め射って8戦出続けた。その時の治療から、ヤクの味を覚えたとか。翌年の日本一旅行のハワイで、ハイが過ぎてビルの屋上から飛び降りようとしたのを、西武同僚がみんなで止めたのだとか。

阪神だったら、関西のマスコミがしつこく追い回すから、ヤク浸けにはならなかったのでは?

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清原和博氏 本当はFAで阪神に行くはずだった 決断変えた母からの一言
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4/13(火) 7:24配信



清原和博
 元プロ野球選手の清原和博氏(53)が、12日深夜に放送されたカンテレの「こやぶるSPORTS超」(月曜深夜0・50)に出演し、フリーエージェント(FA)宣言した際の、巨人と阪神の獲得合戦の裏事情を明かした。 【写真】笑顔で佐々木主浩氏とキャッチボールをする清原和博氏  96年オフに、29歳で人生の決断を迷ったという清原氏。これに対して、MCの小藪千豊(47)は「噂では、阪神の方が提示した金額が多かったとささやかれているが」と質問すると、清原氏はキッパリ「そうですよ。ジャイアンツの10倍ですよ」と明言。「10倍!」と小藪も仰天し、決め手は当時巨人の長嶋茂雄監督から「思い切って、僕の胸に飛び込んできてほしい」とのメッセージがあったことを清原氏は認めたが、一方で「長嶋さんも大きかった」としつつ、もう一人の要因として母親を挙げた。  「母親の存在ですね。はっきり言って、僕はその時、阪神に行く方に固まっていたんですよ」と告白。ところが、母・弘子さんに阪神に行くことを伝えると、「あんた、何言うてんの。あんた、また阪神に行って、巨人に勝って、ピーピー泣くんか。あんたの夢、なんやったんや」と諭されたといい、清原氏は「巨人に行くわ」と決断を変えたという。  清原氏の獲得に熱心だった阪神は、交渉場所のホテルにレッドカーペットを敷き、スイートルームを確保するなど至れり尽くせりで、清原氏は「それだけ希望してくれているし、地元大阪でもありますし、お父さんが阪神ファンでもありましたから」と、一時決めていた理由を説明。それでも、今でも決断について考えることがあるといい、「俺、阪神に行っていたらどうなっていたんやろな、と、今でもありますね」と大きな決断だったことを明かしていた。

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