R32をイジるなら・・・。

地震に見舞われる寸でのところで難を逃れ、ドイツに渡ったR32GT-R、オーナーだけでなくクルマ自身にとっても幸運だったろう。

ポルシェの職人にメンテナンスしてもらえるなら、いっそFRのポルシェ相当として、チューニングして欲しいと思う。

アテーサE-TSは、雨や雪では効力を発揮するが、晴れた高速では足枷になる。いっそ、アテーサE-TS関連をフロントドライブシャフトに至るまで全て取り払い、純然たるフロントミドシップFRとして、甦らせて欲しいと思う。

 

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10年前の奇跡的な出会い! ドイツ人マニアが「ポルシェ」より「R32GT-R」に取り憑かれた理由とは
4/25(日) 11:41 Yahoo!ニュース
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GT-Rを愛する写真家が出会った世界の愛すべきマニアたち
 
自動車大国ドイツでもスカイラインGT-Rのファンは多く、レストアなどはポルシェ職人が行っている
 自らもGT-Rオーナーであるドイツ人写真家のアレキサンダー・キューレテム氏が世界中を回り、各国のGT-R乗りと親交を深めてきた。写真集「GT-R THE JOURNEY」に登場するフィリップ・バーントさんはドイツでR32スカイラインGT-Rに乗り続けるマニアのひとりだ。ポルシェやBMWメルセデス・ベンツ。自動車大国のドイツであえてGT-Rを選んだ心意気を紐解く。

【画像5枚】ポルシェよりGT-R!ドイツ青年のR32

ミニカーやゲームから日本車に魅了された
 日産GT-RスカイラインGT-Rが人気を博しているアメリカやオーストラリア。それに比べるとヨーロッパではどうしてもその影響力は小さい。とくにドイツはポルシェやBMWなど、走りのパフォーマンスに優れたメーカーが存在することもあり、GT-Rはもちろん、日本車にとって厳しいマーケットである。

 そんなドイツでGT-Rに夢中になっているのが、今回紹介するフィリップ・バーントさんだ。父親が自動車メカニックだったこともあり、幼少期よりクルマに触れてきたというバックグラウンドを持つ。本人曰く「マッチボックス(ミニカーブランド)製のダットサンをもらったことが日本車との初めての出会い」だと言う。

 その後、ゲーム「グランツーリスモ」を通じて日本車の魅力に取り憑かれた。現在はドイツの資格である「マスタークラフツマン認証」のメカニックでもある。

シビックCR-Xも乗り継ぐ日本車好きに
 フィリップさんがGT-Rを手に入れたのはちょうど10年前。それまでもホンダのシビックCR-Xなど日本車を乗り継いでいた。さらに家でも学校でも日本のクルマやカスタマイズを伝えるDVD(主にドリフト)を毎日観ていたそうだ。そんなフィリップさんにとって、GT-Rに乗ることは自然な流れだったと言えるのかもしれない。

 とはいえ、やはりそこはドイツ。まず右ハンドルであり、しかも旧い日本車の輸入自体が尋常ではない行為だ。GT-Rを取り巻くマーケットが大きい北米市場などと異なり、情報や業者が限られてくる環境でもある。

「周囲からは正気ではないと言われていたよ。ボルシェもBMWもあるのにGT-Rかよって。ドイツにも日産ディーラーはあるけれど、持って行ったところで肩をすくめられるだけ。何もしてくれないしね!」

10年前に出会ったR32との劇的な運命
 
東日本大震災の前日にR32を乗せた船は日本を出港し、フィリップさんの元へ届いた
 マスタークラフツマン認証のメカニックであるフィリップさんでなければ、ドイツでのこの行動が困難を極めることは想像に難くない。

「確かに輸入は大変だった。しかもすごいストーリーがあるんだよ。このGT-R岩手県のオークションで競り落としたんだ、今からちょうど10年前の1月だった。その後、輸出の手続きを経て、船が出港したのがなんと3月10日。東日本大震災の前日に、このGT-Rは日本を出たんだよ!」
 もしフィリップさんが落札していなければこのGT-Rは今は存在していない可能性もあった。

 約3カ月後の6月14日、船はブレーマーハーフェン(北海に面するドイツ北部の港)に到着。ちなみに入手時はNISMOのオイルポンプやウォーターポンプが交換されていた程度のノーマルに近い車両だったそう。その後フィリップさんはグループAを偲ばせるようなカーボンパーツを多用し、クラシックなホワイトのボディの美しさを引き立たせたルックスへと進化させた。
「とにかくこのクルマの放つ機能美が好きだね。時間が経つごとに、美しさをボディから教わる気がするよ。約10年、レアパーツを探しまくってきたけれど、この美しさを壊すようなカスタムはしたくないね」

ポルシェ職人の手によりフルレストア
 そんなフィリップさんも3年前、じつは売却を考えた瞬間があったという。

 結局、オールドポルシェのレストアで有名なショップに持ち込みフルレストアを敢行。ウインドウやモールなどすべて取り外し、日産純正色で再塗装。エンブレムを含め、外装パーツはすべて新品へと交換した。さらにボディカラーに合わせて、18×10JというレアなサイズのNISMO LMGT1を新調したそうだ。

 ちなみにドイツに渡ったGT-Rは、たいていの場合「ポルシェ職人」と呼ばれるポルシェをイジるメカニックの手で整備やレストアを行うことが多いとのこと。

 インテリアは極力ストックを維持しつつも、90年代のブリッドBRIXシートやHKS製のグローブボックスメーター移設パネルをセットするなど、彼のこだわりを見せる仕様へさらに進化。歳月をかけたレアパーツ探しの集大成となる。

 なお、昨年にはACCUAIRのマネジメントを組み込んで、エアサスによる足まわりを完成。ハイトセンサーがベストな車高を維持してくれるので、目的地や段差を気にすることなく、アンダー部の保護に役立っているそう。

「ほぼ思い通りの仕様にメイクできたこのGT-Rを見ると、自分の夢を叶えたのだと痛感するよ! GT-Rを介した出会い、そこで知り合った仲間が完成に導いてくれたんだ。血中ガソリン濃度の高い友達に感謝だね」
GT-Rマガジン編集部

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