A・セナ、死んで27年

A・セナがミサノでレース中にコースアウト&クラッシュして亡くなってから、27年が経った。シューマッハやハミルトンらにより粗方の記録は塗り替えられ、記憶に残るかどうかの存在だろう。

日本人にとっては、87年中嶋悟ロータスからのF1参加に道を開いてくれたヒトだ。確か、前年にセナが桜井総監督にロータスへのホンダエンジン供給を打診に来て、セカンド・ドライバーへ日本人の起用を条件にしても良いか、やり取りあったとか。

87年、桜井総監督は、ホンダで16戦中12勝つと宣言して取り組んだ。マンセルとピケとセナで11勝、シルバーストーンではマンセル-ピケ-セナ-中嶋で1-2-3-4フィニッシュもやった。セナ自身はストリートコースのモナコデトロイトで勝ち、ピケにモンツァで抜かれるまでランキングトップを走った。

マクラーレンに移籍してから、プロストと対立し、FISAバレスタルにも脅された。88年にタイトル獲得したが、89年は結構取り零し鈴鹿シケインでブツけられ失格騒動。90年鈴鹿1コーナーで仕返しした。

この頃から、自らはマシン開発せず、マクラーレンシャシースタッフの人材不足のツケを突くコトもせず、ホンダエンジンばかりに不満を述べるコトが増えた。ヘルメットはホンダレオスにワンオフ対応させていた。本田宗一郎を亡くしたホンダは、92年でのF1撤退を決めた。マクラーレンシャシー改善を怠ったのが苦戦の原因なのは、ちゃんと見ていれば誰の目にも明らかだったのに、セナどころかベルガーまで尻馬に乗った。前年総監督後藤治もマクラーレンにいて、口を塞がれた。

91年は前半戦で開幕以降連勝記録も達成したが、中盤以降、ウィリアムズルノーのマンセルに詰め寄られた。その時期、鈴木亜久里はセナのウィリアムズ移籍をコメントしていた。しかし、セナのスーツロゴ問題とR・デニスのカネで逆転された。91年は逃げ切ってタイトル獲得したが、チームの力関係で92年以降マクラーレンはウィリアムズに逆転された。92年マンセル、93年プロストにチャンピオンを持って行かれた。

94年、漸くセナはウィリアムズのシートを手に入れたが、アクティブサスペンションは禁止され、ウィリアムズのアドバンテージは確実に削られた。給油レギュレーションを上手く使い、軽いクルマでチャージするM・シューマッハに優勝を拐われリードを許した。英田ではコースアウトのノーポイントを喫した。

そんな焦りの中、セナは死に繋がったと言われる2つの失策を犯した。

1つは、ステアリングシャフトの切断、細いシャフトへの溶接し直し。整合ピンすら省いたと言われる。セナは左にハンドルを切ったが、全くマシンは向きを変えなかった。シャフトが抜けたのでは?という疑問が消えない。

もう1つは、ベルヘルメットを軽いが強度を落としたモノに変えた。左高速コーナーでのクラッシュ、右フロントサスペンションアームがセナの右側頭部を刺したと言われる。ヘルメットは球面なので、90度の角度で刺さるコトは殆どなく、強度があればハネ返したハズだった。

ある意味、自業自得にも等しい最期だった。

***************

アイルトン・セナさん命日 F1公式ツイッターが追悼メッセージ
5/1(土) 22:24 Yahoo!ニュース
 67 
アイルトン・セナ選手=1993年撮影
 音速の貴公子のニックネームで日本に一大F1ブームを巻き起こした元F1王者のアイルトン・セナ選手が事故死してから1日で丸27年を迎え、F1の公式ツイッターは追悼メッセージをつづった。

 「天才、英雄、伝説 逝去から27年たったこの日も比類なきアイルトン・セナを忘れない」と哀悼の意を表した。フェラーリチームの公式ツイッターでは「1/05/1994 14.17」と事故死した時刻も記し、「アイルトンを忘れない」と英雄の死を改めて悼んだ。

 セナはF1チャンピオンに3度輝き、1994年5月1日に行われたF1サンマリノGP(伊イモラ)の決勝でウオールに激突し、死亡した。存命であれば、今年で61歳となっている。
中日スポーツ

***************