西武松坂大輔、ついに引退

西武に戻る時点では、カレがこうなるコトを大抵のヒトは予測していたろう。

中日時代のキャンプで、おばちゃんに触られたコトを言い訳にキャンプを離脱し、挙げ句アメリカに手続に行ってた。あの辺から、野球をやめる筋書は始まっていた。

それ以前、ソフトバンクでは3年で10億以上も不労所得。まるで、一昔前にいっぱい日本に来ていたイカサマメジャーリーガーみたいだった。メジャーにポスティング移籍して、すっかりアメリカナイズされてしまったのだろう。

日本では、当時最も練習の厳しい横浜高でトレーニングした。おかげで、高3甲子園春夏制覇し、西武入りして高卒で3年連続最多勝。内容的に貯金できないモノだったが、数字を残し続けた。伊東監督時代には日本シリーズ制覇した。五輪やWBCでも活躍し、第1・2回WBCではMVPになった。

メジャーに被れ、西武の末期にやたら上体に筋肉をつけ、特に投げ込み走り込みを減らし、コントロール難は解決しないままメジャーに行った。トレーニング嫌いのカレにとって、投げさせないメジャー流はありがたかったかも知れない。しかし、アマ時代からの遺産は第2回WBCのMVPで尽きたように見えた。コントロール難は解決せず、故障は足腰にも肩ヒジにも来て、歴代日本人メジャーリーガー投手達の後追い手術になった。

日本に帰って来てもカラダを作り直すコトもせず、中日で1年働いてちょっと勝っただけだった。

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西武・松坂引退の理由 消えた右手中指の感覚に“恐怖” 首の手術から1年 崩れた復帰の見通し
7/7(水) 4:00 Yahoo!ニュース
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今季限りでの引退を決断した西武・松坂
 西武の松坂大輔投手が現役引退を決めた。「どこで何してるか分からない」などの声も自身の耳にも届いたが、「マウンドに立ちたい」との一心でリハビリを続けてきた。

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 昨年7月5日の首の手術。その数カ月前から右手のしびれが抜けずに決断したが、成功なら2~3カ月で投げられるようになるとの見通しが、違った。皿やグラスを気をつけて持たないと落としてしまう。消えた指の感覚。感覚がない中でどう投げれば制球がつくか、とまで考えて投げたが、特に中指の感覚が消えたのは致命傷だった。5月上旬のブルペン投球。投手は、球が抜ける瞬間は分かるというが、右打者の頭部付近へ抜けたことすらも分からない状態にあったという。

 投手にとって、どれだけ恐ろしいことか。その後もさまざまな治療を受けたが、「恐怖」は抜けなかった。肘、肩の手術を乗り越え、指先の感覚がなくなっても投げ続けようとした右腕が初めて感じたといっていい「恐怖」だった。

 なぜ、そんな状態になってもやり続けたのか。「松坂世代」の選手が次々と辞める中、「お前の頑張りを見たい」「お前だけは最後まで輝いていてくれ」との世代の思いも後押しした。昨年11月10日、阪神藤川球児の引退セレモニー。「ライバル松坂大輔へ。必ず投げる姿を見せて、世の中の人を元気にしてください!」の言葉には、テレビの前で涙を流した。

 時代を背負ってきた。今は酷使し続けたその右腕をねぎらい、ゆっくりと回復に努めることを願う。

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