カウンタックの変遷

元々は、ベルトーネのブースに置かれたLP500カウンタックが最初だったと思う。当初は、フロント下のインテークもドア直後のNASAダクトも左右後部上のラジエーターインテークもなかった。

ミウラがダウンドラフト吸気だったのに対して、カウンタックのエンジン下にプロペラシャフトを置くレイアウトではダウンドラフトを使えず、エスパーダら同様のサイド吸気にせざるを得なくなり、NASAダクトが必要になった。ミドエンジン左右斜め上にラジエーターをレイアウトするため、ラジエーターインテークを大きく取った。後方視界確保のペリスコープを設けた。プロトでは5リッターだったエンジンは、従来同様の4リッターになった。サイド吸気の分、ミウラSVより下回るパワー数値になった。

ミウラですら、377馬力あれば300キロ出せる計算だった。ミウラより、空気抵抗が目に見えて少ないカウンタックなら、375馬力でも300キロは説得力あった。302キロを謳ったフェラーリの365/512BBは、車高も高く馬力数値も低く、失笑モノだった。

F1ウルフのオーナー、W・ウルフがカウンタックをオーダーした際、LP400には満足しなかった。ソコで、ランボルギーニはウォレスがJ(イオタ)で開発していたレーシングエンジンやタイヤ、それに合わせた空力パーツを組み合わせ、LP500Sをウルフにプレゼンした。結局、ウルフは5リッターエンジンを注文したハズ。ソレが、ウルフカウンタックだったハズ。

以後、LP400Sではウルフカウンタックをベースにした空力パーツを追加した。

クライスラーらの資金援助で、エンジンを5リッター化した。

O・パガーニのデザインしたエアロを纏い、アニバーサリー以降のフォルムになった。

 

 

 

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【5分で分かるカウンタックの見分け方】歴代モデルを一挙解説
7/18(日) 15:30 Yahoo!ニュース
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登場して50周年、各世代の「カウンタック」の違いとは
 2021年が、スーパーカー界の歴史的アイコン「ランボルギーニカウンタック」の生誕50周年であることは、すでにご存知の方も多いだろう。年明け以来、メーカー公式や各メディアによって、稀代の名作の半世紀を祝賀するアニヴァーサリー企画が数多く送り出されているようだが、2012年7月12日から、アウトモビリ・ランボルギーニ本社のSNSチャンネルにて、カウンタックの50周年を記念した4篇の連作ムービーが公開されることになった。

【画像】美しすぎる!歴代のカウンタックをもっと見る(63枚)

 今回VAGUEでは、創造主のひとりであるマルチェッロ・ガンディーニ氏のインタビューに登場する5世代のカウンタックと、その起源である「LP500コンセプト」を、振り返ってみることにした。

 
コンセプトカーとして1971年にデビューした「LP500」
●1971年:”アイデアカー”としてデビュー、カウンタックLP500

 1970年の夏、開祖フェルッチオ・ランボルギーニは、「ミウラ」のごときアイコン的名車の後継となるに相応しい、革命的な新型車の開発を部下たちに命じた。

 すでにランボルギーニの象徴となっていたV12エンジンは踏襲するものの、排気量は4リッターから5リッターに拡大。搭載位置は横置きミッドから縦置きに変わった。

 縦置きミッドではホイールベースやリアのオーバーハングが伸びてしまいがちだが、この問題を回避するために、ランボルギーニの技術責任者だったパオロ・スタンツァーニ技師は、エンジンの前にトランスミッションを配置し、プロペラシャフトをエンジンブロック内に通す、革新的な解決法を発明した。

 一方、カロッツェリアベルトーネの主任スタイリストだったマルチェッロ・ガンディーニ氏は、鋭いエッジと圧倒的な低さを特徴とする、異形ともいうべき革命的スタイリングで応じた。

 またガンディーニ氏は、サイドシルの高さから生じる技術的な要件を満たすだけでなく、キャビンへのアクセスを容易にするために、「シザースドア」を採用。こののち、サンタアガタ・ボロネーゼで生産されたすべてのV12モデルにおける特徴的な要素は、すべてこの時点で揃っていたことになる。

 LP500と呼ばれるこの最初のプロトタイプは、1971年3月のジュネーヴ・ショーで初公開。時を同じくして「カウンタッククンタッチ)」という言葉が初登場する。それは何かへの驚きと賞賛を示す、イタリア・ピエモンテ方言の感嘆詞であった。

 
シンプルなラインが再評価されて、いまもっとも人気のある「カウンタック」である「LP400」
●1973年:第一世代のカウンタックLP400が誕生

 1971年のジュネーヴ・ショーおよび、パリとトリノのモーターショーにも出展されたLP500は爆発的な反響を得たが、この時点でカウンタックはまだ生産化の準備ができていなかった。それは人々の反応をテストするために製作された「アイデアカー」に過ぎなかったのだ。

 正式な開発スタートが決定したのち、伝説的なニュージーランド人テストドライバー、ボブ・ウォレス氏のテスト走行とともにおこなわれた約2年間の集中的な開発期間は、LP500プロトタイプが標準的な生産車に変身するためには不可欠のものだった。

 また、特にエンジン冷却とエンジンルームへのエア導入について、かなりの数の変更が必要となった結果、リアフェンダー上部に大型のラジエーター用エアインテークと「NACAスクープ」が追加された。

 加えて初期のロードテストの結果、5リッターエンジンは未熟であることが判明したことから、ミウラと同じ4リッターとされた。3929ccのV12エンジンは、6基のウェーバー45 DCOEキャブレターを装着し、375ps/8000rpmを獲得。最高速度300kmを謳った。

 カウンタック「LP400」は1973年3月のジュネーヴ・ショーにて、シャーシ#1120001の個体とともに正式デビューを果たした。これは、のちの生産型に近いプロトタイプだった。

 LP400では車体構造も抜本的に見直され、スティール製のボディシェル自身で応力を担当する構造から、コンベンショナルなフレームに変更。分化された鋼管フレームと金属パネル、グラスファイバー製のフラットベースによって構成されることになった。

 この構造は非常に堅牢かつ軽量で、そののち全世代のカウンタックを通じて抜本的な変更を受けることはなかった。

 サスペンションは、不等長アームを持つダブルウィッシュボーン。レースカー由来のツインダンパーや4輪ベンチレーテッド・ディスクブレーキも採用された。

 ガンディーニ氏のデザインをもっとも純粋に体現したと評されるLP400は、1977年までに152台がラインオフ。その希少性も相まって、現在ではコレクター人気のもっとも高いカウンタックとなっている。

 ちなみに、ジュネーヴでは赤く塗られて発表されたこの個体は、同じ年のフランクフルトやパリ、ロンドン(アールズコート)で開催されたショーでは、ミディアムグリーンにリペイントされて展示。そののちスイスに販売されたが、2000年代初頭にイタリアへ里帰りを果たした。

 現在ではアウトモビリ・ランボルギーニ保有し、オフィシャル博物館「MUDETEC (Museo Delle Tecnologie)」に展示されている。

「ウルフカウンタック」から着想を得たボディメイクとは
●1978年:カウンタック LP400S

 LP400は1978年からカウンタック「LP400S」に代替わりした。

 これは、新デザインのマグネシウム製ホイールに取り付けられた、前:205/50VR15、後:345/35VR15という巨大なピレリ「P7」タイヤと、それを収めるオーバーフェンダーとフロントスポイラーで武装したものである。

 オプションとして、のちにカウンタックの特徴のひとつになるリアウイングを備えることができた。

 
オーバーフェンダーが特徴的な「LP400S」
 現在に至るまで、LP400Sはレーシーで魅力的な形状と未来的なデザインセンスの集合体であるカウンタックのDNAの典型と考えられている。

 これまでこのようなレース指向のスタイリングを持つロードカーが公道上で見られたことはなく、それは後続のカウンタック各モデルためのインスピレーションの源となった。

 LP400Sは、LP5000Sが導入される1982年までに235台が製作された。

 
「LP5000S」あたりになると、オプションの巨大なリアウイングを装着した個体が多くなる
●1982:カウンタックLP5000S

 1979年に技術・生産マネージャーとしてマセラティより移籍し、のちに技術責任者となったジュリオ・アルフィエーリ技師が最初に手掛けたのは、1982年3月のジュネーヴ・ショーにて正式発表された「LP5000S」に搭載された(ほぼ)5リッターのエンジンだった。

 内外装ではLP400Sに比べて大差はないものの、新しいエンジンは6基のウェーバー45 DCOEサイドドラフト式キャブレターとの組み合わせで375ps/7000rpmの最高出力こそLP400時代と不変ながら、41.8kgm/4500rpmのトルクを発生した。

 また、米国でも正式な型式認定のもと輸入され、一部の車両にはボッシュKジェトロニック燃料噴射も装備された。

 1985年3月のジュネーブ・モーターショーで「LP5000QV」が発表されるまで、323台が生産されたとのことである。

●1985:カウンタックLP5000クアトロヴァルヴォレ

「クワトロヴァルヴォレ(Quattrovalvole:通称QV)」は、エンジンに初めて大規模なモディファイが施されたモデル。排気量は5.2リッターに拡大するとともに、1気筒あたり4バルブを備えたヘッドが新設計された。

 また、6基のウェーバーDCNFキャブレターは従来のサイドドラフト式から、より効率の高いダウンドラフト式に変更したことも合わせて、最高出力は455ps/7000rpmにジャンプアップ。一方、米国市場向けのバージョンは、ボッシュKEジェトロニック燃料噴射と触媒コンバーター排気ガス対策も施されていた。

 ただ、ルックス面ではLP400S以来のスタイルが維持され、フロントのトレッドが4.4mm増加したこと、新しいダウンドラフトキャブレターを収めるために、ランボルギーニ史上初めて複合素材で成形されたエンジンフードのパワーバルジが大型化したことが、わずかな変更点だった。

 しかし1988年以降のQVでは、その外観をさらに現代的なものとするサイドスカートも与えられたほか、US仕様ではリアパネルおよび巨大なバンパー形状によっても認識される。

 1988年まで、合計631台のQVモデルが生産されたといわれている。

パガーニの創設者がデザインした最後のカウンタック
 1988年9月のパリ・サロンにおいて、ランボルギーニ社25周年記念車としてカウンタック最終進化形である「アニヴァーサリー」がデビューした。

 1985年、技術責任者がジュリオ・アルフィエーリ氏からルイジ・マルミローリ技師に代替わりしたのと時を同じくして、この時点ですでに14年以上生産されていたカウンタックも進化の必要性が指摘されていた。

 
パガーニの創業者であるオラチオ・パガーニがリメイクを手がけた「25thアニヴァーサリー」
●1988年:最後のカウンタック、25周年記念アニヴァーサリー

 そこで「Aniversario(アニヴァーサリー)」と名付けられた新バージョンでカウンタックをリフレッシュし、同社の25年の歴史を祝うことにした。

 ボディスタイルは、当時ランボルギーニで働いていた若きオラチオ・パガーニ氏によって大幅にリフレッシュ。オーバーフェンダーやサイドシルプレートなどは、90年代を予感させるモダンなものとなっていた。

 またアロイホイールも刷新されたが、25周年記念モデルのもっとも顕著な特徴は、リアに置かれるエンジン用のエアインテークがまったく新しい意匠とされたことである。

 これらの変更点は、パガーニ氏の手掛けた「カウンタック・エヴォルツィオーネ」試作車から引用したもので、空力面でもルックス面でも、従来のカウンタックとは一線を画していた。

 このようにエクステリアは大幅に進化を遂げたいっぽうで、メカニズムとシャシの変更点は少なかった。エンジンは冷却システムが改良されたに留まり、サスペンションは新しいピレリ「Pゼロ」タイヤに適応するためにセットアップを変更。

 そのかたわら、キャビンはパワーシートやパワーウインドウの装備により、格段に快適となった。

 結果として最後のカウンタックとなったアニヴァーサリーは、1990年7月4日に最後の1台が、ヨーロッパ仕様としてラインオフ。そのボディカラーはアルジェント・メタリッツァート(メタリックシルバー)で、グレーのレザーインテリアと組み合わされた。

 この個体は25周年記念車のNo.658で、それまでのランボルギーニ史上もっとも多い658台が生産されたアニヴァーサリーのなかでも最後の1台。外部に販売されることはなく、今でもMUDETECで展示されている。
武田公実

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