擦り替え話、メリー&ジュリー擁護記事

元々は、ジャニー喜多川のジャニーズだった。ジャニーさんがプロデュースし、ジャニーさんがマネジメントし、ジャニーさんが経営していた。

それが、北公次事件により、ジャニーさんのタレントホモ凌辱が発覚、警察の立ち入りなどあり、ジャニーさんがプロデュースに専念、メリー&ジュリーがマネジメントするコトになった。

今のジャニーズのダメ状況を招いたのは、メリー&ジュリーのザルマネジメントによるモノだ。ドル箱の嵐はリーダー大野自らが解体した。NEWSやKATTUNは2/3や半分減った。女性タレントや女子アナとのスキャンダルも増え、抑え切れなかった。今やジャニタレはAKB研修生を食わされたり、匂わせ売名にも使われている。一体、今更このヒトを美化擁護してどうするの?

元々、メリー&ジュリーでサラサラ売り切れなかったSMAPを、飯島サンにサジ投げした。もっとも、飯島サンがタレント個人の個性を見極め、バラエティーと言わずドラマと言わず俳優と言わずMCと言わずバラ売りして、個性と需要を引き出した。彼女のおかげでジャニーズは延命できたのだ。

自分達も飯島サンを模倣して、TOKIO以降のグループのバラ売りを進めた。確かに売れたが、その分管理が大変になるという、両刃の剣だった。その結果、仕事に付随するコトや以外のトコで不祥事が増えた。

飯島サンに然るべき地位を与え、追随者を育てれば、更なるマネジメントスタッフを育成でき、更なる大帝国形成のチャンスがあったろう。

しかし、一族独占経営に拘るあまり、売るコトばかりを焦り、多人数グループ乱立させ、森進一や京本政樹や岡本健他の2世を受け入れ、更に収拾つかなくなった。

コレらを招いたのは、メリー&ジュリーだ。

 

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藤島メリー泰子さんは「アイドルがいかにスキャンダルに弱いか」を熟知していた【芸能界クロスロード】
8/26(木) 9:06 Yahoo!ニュース
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藤島メリー泰子名誉会長(C)日刊ゲンダイ
【芸能界クロスロード】

「私はタレントを守るためなら、いくらでも悪人になります」

 今月14日に死去したジャニーズ事務所の名誉会長・藤島メリー泰子さん(享年93)の言葉を東山紀之が紹介した。長きにわたり、“悪人”になったメリー氏と対峙してきたのがメディアだった。

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 事務所草創期、メリー氏はいつも現場にいた。テレビ局前でタレントを直撃すれば、メリー氏が脱兎のごとく前に出てきた。「取材ルールを守りなさい」と追い返された。こわもての男性マネジャーは珍しくないが、メリー氏の眼力と強い言葉は男勝りの迫力があった。以後、スキャンダル取材の前には常にメリー氏の見えない盾が立ちはだかった。「守るためには手段を選ばず」と言われた剛腕でもあった。

「その話を記事にするなら、今後うちのすべてのタレントの会見に入れません」という“手法”をメリー氏は確立した。理不尽な要請に当初は抵抗していた多くのメディアも「1人の話ですべての取材ができなくなるリスクは大きい」と屈していった。

 テレビ局も「スキャンダルを扱えば、『すべての番組からうちのタレントを引き揚げる』という天の声が下りてくると伝えられている」と話す。これが後に公正取引委員会がジャニーズに注意したテレビ局への圧力につながった。「売れっ子タレントをつくり続けたからできたこと」(芸能関係者)といわれるが、これほどスキャンダルに神経質になったのも、アイドルがいかにスキャンダルに弱いかをよく知っていたからだ。

 元ジャニーズ関係者から「恋愛は人気も仕事もなくなりますよ」「結婚したいなら、うちの事務所を辞めてからにして」と昔は諭していたという話を聞いた。それでも熱愛報道が出れば拡散しないように対策を講じ、最小限のダメージにとどめてタレントを守った。東山の言う「厳しいマネジャーであり、優しい母親でもあった」一面だったと思う。

 メリー氏には別な顔もあった。弟の故・ジャニー喜多川氏が育成したタレントをメリー氏がマネジメントする。主たる現場のテレビ局に出向き人脈を築いたと聞く。

「局の幹部になった人も当時は現場にいた。メリー氏は一緒に仕事をしながら人脈を着々と築いたと思う」(テレビ関係者)

 事務所が大きくなるにつれ、メリー氏は現場を離れデスクで司令塔として指揮した。10年以上前だったが、こんな話を聞いた。

「今、私から出向いてお願いする人はほとんどいない」と言っていた。たまに息抜きに出かけるのは、そば屋や焼き鳥屋。

「見た目はごく普通のおばさん。違うのは高級外車に運転手を待たせていること(笑い)」と店主に聞いた。

 別な形でメリー氏の顔を知る機会があった。あるスキャンダル取材を巡り、人の仲介で「ジャニーズの顧問」というK氏と会った。大きな団体の代表だった初老の紳士は眼光鋭いこわもてだったが対応は紳士的だった。「記事について」という趣旨の申し出だった。丁寧に説明すると理解してくれた。逆に気になったメリー氏との関係を聞いた。

「俺が若い頃、食えなくて路頭に迷ってる時代にメリー氏がずっと面倒を見てくれた。それがなければ俺の今はない。恩義を一生かけて返すだけ」

 男社会の中、生き抜いた女性経営者の確かな足跡があった。

二田一比古/ジャーナリスト)

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