ヒーロー?スター?野球マスコミ、バカじゃないの?ヒーローやスターはいるのではない。アンタらが仕立て上げるのでしょ!
好投し、シャットアウトのピッチャーもいた。スゴいホームランもあった。別に、仕立て上げる側が、視点が甘かったから、誰も仕立てられなかっただけじゃん!
高野連のバカ規定、投手の1週間500球?大体、2回戦終わったらベスト16、3回戦は2日だから、それ以降は必ず連投になる。1週間内に3回戦以降決勝までを消化する可能性があった。4戦なら、500球は厳しいし、2回戦の日程次第では5戦、もうダメ、必ず2人要る。おかしいョ!
元々、佐々木朗希みたいなヤツなら、タマ数投げなくても、マメでも降りるのだ。こんな、鍛練をしたコトないヤツらが作ったタマ数制限はダメだ。
ピッチャーが輝かないと、それを打ったバッターが輝かない。
ヒーローやスター不在にしたのは、高野連のジジイでしょ!
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なぜ“ヒーロー不在”の甲子園になった? 勝利至上主義に変化…智弁和歌山監督は「スター投手が壊れたら終わり、はおかしい」
8/30(月) 17:05 Yahoo!ニュース
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最後の打者を投手・中西聖輝(中央)が空振り三振に。優勝を決めたあと、智弁和歌山は“歓喜の輪”を作ることなく整列に向かった photograph by Hideki Sugiyama
表紙を飾るシーンを収めようと待ち構えたカメラマンは拍子抜けしたに違いない。
甲子園史上初めてとなる兄弟校による決勝戦を制した智弁和歌山は、最後のアウトをとったその刹那、マウンド上で喜びを爆発させることなく整列に向かった。
【写真】若き日のマー君とバッテリーを組む中谷監督&甲子園“歓喜の輪”…2年前の優勝校覚えてる?などこの記事の写真を見る
「礼で始まって礼で終わる。礼が終わってから喜ぼうと話していた」
県大会と同じ行動をとった理由を智弁和歌山の主将宮坂厚希はそう説明したが、その姿はこれからの高校野球が向かうべき道を示しているような気がしてならなかった。
勝つことを全力で目指すけれども、それだけではない。
野球を通して、人を大事にしていく。
思えば、智弁和歌山の中谷仁監督の采配はまさに選手たちを大事にしていた。
新型コロナウイルス感染による相手校の辞退によって3回戦からの登場になった智弁和歌山だったが、2試合を終えた時点で、ベンチ入りメンバー全員出場を果たしていた。
中谷監督には一人のメンバーも無駄にしないという信念がある。
「全員が出場してみんなが勝つために役割を果たしていけるチームを目指しています。難しいことではあると思いますが、高嶋(仁)先生が作ってこられた智弁和歌山は勝たないといけません。その使命感を持ちながら(全員出場を)やり遂げたい」
「投手が壊れたら終わりって、おかしいですよね」
なかでも投手起用は見事だった。
中谷監督は就任以降、複数投手の育成に力を注いできた。今大会は5人の投手をベンチ入りさせ、全員を起用した。1試合少なくなったため「伊藤大稀にしても、高橋令や塩路柊季、武元一輝にしてももっとイニングを投げさせたかった」という心残りがあるようだが、この言葉にも中谷の指揮官としての矜恃がある。
拙著『甲子園は通過点です』の中で、中谷はこんなことを話している。
「投手一人のチームをつくって、その選手が壊れたら終わりって、組織のあり方から普通に考えたらおかしいですよね。必死にバットを振っている選手もいるわけですから。投手一人にチームの命運を任せるようなことはしないです。企業もそうですよね。ひとりに託して大きなプロジェクトがつぶれてしまう。そういうことはあってはいけないじゃないですか」
使い古された「全員野球」ではなく、指揮官が選手全員を信じ、選手たちもそれに応えていく。そうした友好的な関係性が智弁和歌山の強さだった。
智弁学園エースは「2年生に経験を積ませたい」
大会全体を振り返ってみて思うことでもあるが、指導者の意識が少しずつ変わり、選手の考え方も新時代を迎えているのではないか。
例えば、決勝を戦った智弁学園は、エースの西村王雅、小畠一心を中心に戦ったが、1回戦の倉敷商戦では、終盤に10点差がつくと2年生左腕・藤本竣介が登板した。緊張から3安打を浴びて降板してしまうのだが、8回無失点だった西村は「完投を志願しなかったのか」とメディアから問われると、こう答えた。
「点差もありましたし、自分が最後まで投げ切りたいとは思わなかったです。それよりも、点差が開けば、2年生が登板できるので、経験を積ませたいと思った」
エースが全ての試合を投げ切り、勝利していく。あるいは、特定のメンバーだけで勝ち切っていく時代ではない。指導者が部員一人一人を大切にしているからこそそうした概念は生まれたのだろう。
「多くの部員を集めてその中から這い上がった選手だけが戦力になる」「厳しい練習を課して、指導者の体罰や怒号・罵声に耐えられた選手だけが生き残っていく」……それが高校野球だった。今はそうではなく、一人も取り残さない、サステナブルな育成が必要とされるのかもしれない。
“スター不在”は高校野球のトレンド?
もっとも、今大会は“スター不在の大会”と言われたのは事実だ。
中学時代に150キロを計測して話題になった森木大智(高知)や多彩な変化球を操る小園健太(市立和歌山)、センバツベスト4の畔柳亨丞(中京大中京)や達孝太(天理)などが相次いで地方大会で敗退。目玉不在との前評判だった。
ただ、今大会を通して見えてきたのは目玉が不在なのではなく、一人のスター選手によってチームが作られるものではないという高校野球の潮流だ。
敗退していった高校が一人に頼ったと言いたいわけではなく、戦力に厚みを加えられたチームこそが甲子園に出場できる。スター選手たちも、自分一人だけが頑張るのではなく、自分のできる限界値を設定して、チームに貢献しようとする……そんな選手が増えてきているのもまた事実だ。
勝つことを目指す、甲子園を目指す、日本一を目指す……。
高校球児の目標はいまも変わらない。しかし、それは限られた選手が喜びを得るためのものではなく、多くの仲間と喜びを分け合うなかで目標を果たすことに主眼が置かれるようになってきた。
“完全試合未遂”の次は先発回避「ケガにつながるかもしれない」
それは高校球児一人一人を守っていくことにもつながる。2回戦の沖縄尚学戦で8回2死まで完全試合の離れ業をやってのけた、盛岡大附のエース・渡辺翔真は、3回戦の近江戦で先発しなかった。代わりの投手が序盤に打たれてチームは敗退したが、渡辺は指揮官の意図を理解していたとこう語っている。
「僕たちの目標がベスト8進出なら僕が投げるべき試合だったかもしれません。でも、僕たちの目標は日本一でした。そうなるために、僕が3回戦に投げることで、怪我につながるかもしれない。監督さんはそのことを考えてくれたのだと思います。負けたことに悔いはないです」
今年の決勝戦、智弁和歌山は準決勝で先発して完投した中西聖輝を先発させなかった。一方の智弁学園も、前日完投勝利の小畠を先発に起用しなかった。準決勝に先発した投手2人が決勝戦に先発しなかったのは、2000年代では過去一例しかない稀なことだった。
勝利至上主義、登板過多、サイン伝達など、様々な問題が指摘されている昨今の高校野球だが、令和を迎えて変化の兆しが見えている。
「世の中がこういう状況ですので、マウンドで喜びを爆発させるのはどうなんだろうと。でも、僕がそうでしたが、優勝してマウンドに集まるのは選手にとって夢であり憧れであると思います。ですので、こちらからどうしなさいとは言わず、選手たちで考えてみてという話をしました。そのなかで子供たちで出した答えがマウンドに集まらないことだった。我慢した彼らを僕は尊敬します」
中谷監督はそう選手たちを称えた。
高校野球は新たな方向へ向かっている。
優勝しても歓喜の輪を作らずに整列した智弁和歌山の3度目の優勝から、そんなメッセージを感じた。
(「野球善哉」氏原英明 = 文)
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