あの頃の落合

落合博満、山内ロッテでの遅いデビュー、スゴかった。あの当時での、川崎球場を舞台にした、ミサイル打線に新たに装填された全方向中距離弾だった。シーズン最後まで、日ハム島田と新人西武石毛と三巴の首位打者争いを制した。当初はポジションがなく、仕方なく二塁手プレーオフでの遊撃手水上とのコンビミスで敗退があり、山内監督が辞任、リーが引退して、稲尾監督下では一塁手でスタートしたのではなかった?そして、一塁手で2度と三塁手で1度三冠王を獲得した。シーズンオフは日本球界初の一億到達が取り沙汰されたが、2度達せず、3度目、有藤監督就任に伴うロッテ⇒中日とのトレードで漸く達成した。

中日移籍がケチの付き始めだった。ロッテ時代の2軍スタートのマイペース調整をデキず、カラダ作りや目慣らしがデキなくなり、下降が始まった。開幕戦の巨人西本聖のシュート攻めは有名だが、オープン戦までに自分のバッティングやコンディショニングを作り上げないままに西本のシュートは厳しかった。むしろ、中日には、落合を見てゲーリーが目覚め、落合にマークが集まり大豊が当たったコトのメリットが大きかった。落合を獲得しても、星野中日は日本一にはなれなかった。

そんな中、第2期長嶋巨人に移籍した。江川は「一死三塁で外野フライを打てる4番獲得」と評した。シーズンとしては、それ以上の活躍だったが、あの中日との最終決戦、一塁ゴロをキチンと腰を落とさずマタ裂き状態になって内腿肉離れした。そのせいで、日本シリーズ西武戦はほぼ働けなかった。巨人は槙原の活躍で西武を制した。

一方で、オフに西武清原和博のFA獲得問題が起きた。落合は「負ける気はしないが、4番を自分か清原かで悩む長嶋サンを見たくない。」と移籍を宣言、カネの提示で野村ヤクルトより日ハムを選んだ。

日ハムでは、それまでの中日と巨人でオフのカラダ作りをデキなかったツケとマタ裂き肉離れの後遺症で、ソコまで働けず引退した。

今のプロ野球、シーズンオフから、自主トレ、キャンプイン、オープン戦の流れで、構成がおかしくなっている。

昔は、若手は早めに仕上げ、オープン戦前半までをアピール期間にしていた。レギュラーやベテランは、カラダ作りやメンテナンスに重点を置き、オープン戦中盤以降に出始め、終盤以降に生き残った若手と競争した。

それが、若手もレギュラーもベテランもキャンプインから同じメニュー、トレーニング、フォーメーション他の練習参加をさせられる。若手は首脳陣や観客や視聴者にアピールする期間がなくなった。レギュラーやベテランのカラダが壊れるのが早くなった。最悪のトレーニングとして、第2期原政権下のキャンプで160キロ高速ピッチングマシン打撃がある。カラダも眼も仕上がらない段階で、短打者しか当たるワケはなく、特に阿部や村田のバッティングは壊れた。

落合の中日や巨人移籍以降で、レギュラーやベテランのマイペース調整は殆どなくなった。落合の体調も、中日以降で低下が著しかった。落合自身も、チヤホヤされる1軍帯同を望んでしまい、オフやキャンプでのカラダ作りを疎かにしたまま、オープン戦やシーズンインしてしまう習慣になった。元々、アマチュア時代も鍛えてなかった分、お釣りも来た。

 

 

 

 

 

 

*********************************

「最年長四番」「打率3割」「OPS.900超え」落合博満が巨人時代に記録した40代での大記録
9/1(水) 11:02 Yahoo!ニュース
  
 巨人は2021年8月20日、巨人が日本ハム中田翔を無償トレードで獲得したと発表。巨人は過去にも球界を代表する打者を数多く獲得してきたが、その筆頭といえるのが1993年にFAで加入した落合博満だ。ロッテでは三度の三冠王、中日でも数々の打撃タイトルを獲得した名選手だが、巨人加入時はすでに40歳。しかし、40歳を超えてなお、落合は偉大な記録を残した。今回は、落合が巨人時代に記録した「40代での大記録」を紹介する。

【選手データ】落合博満 プロフィール・通算成績

三度の三冠王は40歳を超えても怪物だった
 
巨人・落合博満
●巨人史上最年長での四番打者

 落合は加入1年目の1994年から、退団する1996年までの3年間、計331試合で四番打者(第60代四番打者)を務めた。このうち、1996年は43歳になる年(落合は12月生まれ)だったが、変わらず四番打者(松井秀喜シェーン・マックが四番に座ることもあったが)として活躍。43歳になる年での四番は巨人史上最年長だ。それだけ落合は特別な存在だった。ちなみに、最年少記録保持者は川上哲治で、1939年に19歳で巨人の四番を任されている。

●史上最年長での3割達成

 1996年の落合は、打率.301、21本塁打、86打点と年齢を感じさせない成績を残した。実は43歳になる年で3割に到達した選手は落合のみ。1991年には門田博光が、同じく43歳で18本塁打と活躍したが、打率は.264で3割には到達していない。2000年以降では、宮本慎也金本知憲が40代で3割を記録しているが、43歳になる年での達成は後にも先にも落合ただひとりだ。

●43歳で規定打席到達

 落合は巨人3年目の1996年に106試合に出場し、448打席で規定打席に到達。43歳になる年での規定打席到達は、1991年の門田博光に続き史上2人目。セ・リーグでは初となる快挙だった。40歳、41歳での規定打席到達選手はそこまで珍しくないが、43歳では途端にハードルが上がり、落合以降は誰も達成できていない。ちなみに、落合は日本ハムに移籍した1997年にも規定打席に到達しており、44歳になる年での到達は史上最年長。巨人時代にも偉業を達成したが、日本ハムではそれを上回る快挙を成し遂げている。

OPSも43歳とは思えない数字
●43歳でOPS.900超え

 1996年、43歳になる年で落合が記録したOPS(出塁率長打率を足し合わせた値)はなんと.924。規定打席に到達した打者では、松井秀喜に次いでチーム2番目に高い数字で、43歳になる年でのOPS9割超えは史上最年長となる。今季、巨人の四番として本塁打と打点でリーグトップを走る岡本和真はOPS.945。1996年の落合とそこまで変わらない数字だ。そう考えると、43歳でOPS.924を残したのがどれほどすごいのかがか分かるだろう。


 落合が巨人時代に記録した40代での偉業をピックアップして紹介した。トレーニングの発達により、プロ野球の世界も選手寿命が伸びてきたが、それでも40歳を超えると活躍するのは簡単ではない。特に打者は40歳以上になると好結果を残すのが難しくなる。そんな中、落合は40歳を超えてなお偉大な記録を残し続けた。落合のような数字を残すのは簡単ではないが、最年長の福留孝介などベテラン勢には、ぜひとも若手に負けない活躍をしてもらいたいものだ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
週刊ベースボール

*********************************