嘗ての超名門?イエイエ、ただの一発屋です!

このライター、このクルマの経緯をキチンとわかって書いてるの?

元々、セドリック/グロリアが最高の市販セダンだった時代に、もう一回り上の高級車を仕立てた。横を拡げたワケではなく、前後を伸ばしただけ、エンジンもツインカムの3リッターV6ターボだった。

その前後に伸びたスタイリングが、当時高級車のスタンダードはベンツイメージである中でイギリスの高級車ジャガーを思わせ、購買層を掘り起こした。それが、初代の売れた要因である。

しかし、日産は要因をキチンとわかってはいなかった。高級車に乗る層を勝手にプロファイリングし、勝手な開発をした。高級車購買層にとって、必要なのは独自性と真の高級感だと勘違いし、トヨタより大きな4.5リッターV8を積んで独自スタイリングと内装白革や七宝焼エンブレムのQ45を、シーマにはQ45よりちょっと小さいV8を積んだ。高級を広さと解釈し、キャビンを拡大して伸びやかなプロポーションを変えてしまった。実のところ、カタログ値とは違い、初代シーマの3リッターV6ターボは5リッター相当のトルクを出せた。しかし、新しいV8は排気量相当のトルクしかなく、しかも、それぞれ重くなった車体で更に鈍さを感じさせた。

大抵の高級車購買層にとって、高級車スタンダードはベンツに変わりはなく、グリルやプロポーションをキチンと分析したトヨタは、セルシオを手堅く作った。今ではトヨタの方が、5リッターV8を作っている。

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かつての超名門シーマ いまは見向きもされず…どうしてこうなった?
9/6(月) 9:00 Yahoo!ニュース
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ベストカーWeb
 「シーマ現象」といわれるほど、売れに売れた時代もあった、日産のフラッグシップセダンである「シーマ」。しかし今となっては、ヒットモデルの面影はなく、直近の月間販売台数は、一桁もしくは多くても10台程度と、見るも無残な状況だ。

【画像ギャラリー】バカ売れした時代もあったが、いまは…日産のフラッグシップセダン「シーマ」の歴代モデル

 冷静に分析すると、日産がシーマに見切りをつけて国内販売を打ち切る可能性は高い。そうなると、先日ホンダがレジェンドの2021年いっぱいでの生産終了を発表したこともあり、国産高級サルーンのカテゴリーはトヨタ(とレクサス)だけが残ることになる。選択肢が減るのは悲しいことだが、それだけ日本全体に余裕がなくなってきたということなのかもしれない。

 かつての名門シーマは、どうしてこうなってしまったのだろうか。

 文:吉川賢一
写真:NISSAN

シーマは社員も憧れる一台だった
 
4代目シーマは、「Dynamic & Modern」が開発コンセプト。4.5リッターV8ガソリンエンジンや、7つの凸レンズをもつ個性的なマルチプロジェクターキセノンヘッドランプなども話題となった
 今から15年ほど前、とある日産社員が、定年退職で辞めることになった。その際、最後の会社へのご奉公として、退職金の一部を使って新車のF50シーマを購入するという話をされていた。当時筆者はまだまだ若手社員だったので、「お金あるんだなあ」程にしか考えていなかったのだが、その方は、自らへのご褒美としてだけでなく、日産で働いた証として、その時代のシーマを購入することが、一つの目標だったそうだ。

 ちなみにその方は、車両実験部のテストドライバーであった。元テストドライバーとしては、F50シーマが普通のラグジュアリーセダンでなく、相当なスピードスター(駿足)マシンだったことも、購入の大きな動機だったかもしれない。

「憧れの3ナンバー車に乗りたい」
 
爆発的人気となった初代シーマ(1988年~)。4年間で12万9000台を販売した
 シーマ誕生の経緯について、振り返っておこう。シーマは、1988年に、「セドリック」と「グロリア」の上級仕様=シーマ(スペイン語で頂点を意味する)として、それぞれ「セドリックシーマ」「グロリアシーマ」として誕生した、国産初のパーソナルユース3ナンバー車だ。

 当時のジャガーメルセデスにも似た、角を落として丸みを帯びたスタイリングや、排気量3リッターV6ターボのVG30DETエンジン(255ps/35.0kgfm)による怒涛の加速、電子制御エアサスペンションによる極上の乗り心地など、他メーカー車に勝る魅力が、多くあった。

 アクセルを強く踏み込むと、リアのセミトレーリングアームサスが沈み込んで加速する体験は、当時の小金持ちの男性を釘付けにしたそうだ。実は、加速時のリア沈み込みを防ぐアンチスカット角が弱かっただけなのだが、むしろ加速感があるとしてウケてしまい、設計サイドとしては苦笑いものだったそうだ。

 また1988年当時は、3ナンバー車へのあこがれの高まった時代であり、また、1980年代末のバブル経済も後押しとなって、500万円近くした高級車のシーマを、20~30代の若者が背伸びをして買う、という現象がおきた。

 爆発的人気となったシーマは、4年間で12万9000台を販売したという。これが「シーマ現象」だ。日産は、「憧れの3ナンバー車に乗りたい」という顧客の情緒的な心理を、バブル経済による後押しを活用し、見事にヒットさせていた。

シーマの凋落は、北米で売れたことで始まった
 
現行型シーマは、5120×1845×1510(全長×全幅×全高)mm、ホイールベース3050mm。Y51フーガよりもホイールベースを150mm延長、ロングボディ化されている
 シーマは、初代のFPY31(1988年~)から始まり、FY32(1991年~)、FY33(1996年~)、F50(2001年~)、そして現行モデルHGY51(2012年~)へと、4度のモデルチェンジを受け、5世代に渡って続いてきた。だがその人気度は代を追うごとに徐々に下降し、冒頭で触れたように、現行モデルは、直近の月間販売台数が、一桁もしくは多くても10台程度、というところまで落ちてしまっている。

 シーマは、3代目以降、北米インフィニティのフラッグシップとしても売られてきた。これをきっかけに、日本では人気が低下してきたことも重なり、徐々にアメリカ人好みへと変化し始める。車幅はますます拡大し、デザインもアメリカ人好みの派手顔になるなど、国内市場が二の次になっていってしまったのだ。特に4代目のF50シーマは、全長4995mm、全幅1850mmという、かなりの大柄となってしまった。

 国内モデルと海外モデルでボディ(特に全幅)のつくり分けができればよかったのだが、開発予算上、そうはいかなかったのであろう。もちろん、つくり分けができていても、人気の下降は避けられなかったであろうが、いまほどの「存在感の無さ」は、ひょっとすると避けられていたかもしれない。

「憧れ」が足りなかったことで奈落の底に
 
現行型シーマのインテリア。流麗で豪華ではあるが、デザインや装備が10年前で止まっており、時代遅れな印象が強い
 2021年現在の自動車社会の状況は、1988年当時とはまったく違う。メルセデスBMWアウディのような輸入車ディーラーが多く入ってきており、国産車であっても、レクサスという超強敵がいる。

 このような中で、ドメスティックカーの極みのような「シーマ」が戦いを挑んでも、勝てる見込みは少なく、カッコいいエクステリアデザインや、最新デジタルメーターなどの豪華なインテリア、電子制御サスペンション、DAS(ダイレクトアダプティブステアリング)、プロパイロット2.0など、日産が持つ技術を全部乗せしても、すでに奈落の底に落ちてしまったシーマを引っ張り上げることはおそらくできない。

 フラッグシップには、やはり「所有したいと思わせる情緒的価値、ストーリー」が必要だ。輸入車やレクサスが売れるのは、モデル自体の価値というよりも、やはり「ブランドへの憧れ」であろう。このような強敵がいる現代において、シーマというクルマへの圧倒的な憧れをもたせることができなければ、購入する動機はもとより、興味もなくなる。

 もう少し早い段階で、「お客様がシーマを指名買いしたくなる何らかの仕掛け」ができればよかったのだが、いまとなっては、何をやっても「引退するシーマの思い出作り」にしかならない。

 北米インフィニティでは、既にQ70L(シーマの兄弟車)がラインアップから落ちている。中国向けのQ70Lは現存しているが、それも時間の問題であろう。

 先日、「日産がFR車の開発を中止する」という情報が飛び交った。その際、日産の星野朝子副社長は「スカイラインは諦めない」とのコメントを出したが、逆にいうと「その他はわからない」ということにもなる。やはり、シーマ、そしてフーガは、そう遠くないうちに消滅していくのだろう。

 日産の一時代を築いたシーマの消滅は、寂しいことではあるが、それも時代の流れだ。「生まれ変わった日産」の今後の活躍を楽しみにしている。

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