バースの時は、少し違う。

バースの時、王監督下、王が並ばれたくない一心で、色々やった。

有名だったのは、シーズン本塁打55本に迫ったバース、対阪神終戦の斉藤雅樹に背負わせた、王監督から堀内投手コーチ通じた指示は"全打席敬遠"だった。入団1年目20勝した上原浩治が、ヤクルト最終戦のオマリーに敬遠指示されて泣いてたの、知ってる?

槙原と同時期の斉藤、藤田監督3年目にデビューも争っていた。当時は斉藤も、オーバースローの本格派だった。1軍の切符を掴んだのは槙原だった。斉藤は藤田監督最終年、サイドスローに変えて片鱗を見せ、王監督下でブレークした。当時は、サイドスローでも、ストレートとカーブしかなかったが、長身で長い腕でサイドからの投球は、タイプ的にいなかった。

終戦阪神戦をシャットアウトすれば、防御率1位のタイトルを獲れるハズだった。しかし、真弓・バース・掛布・岡田の阪神打線相手だけでも大変なのに、バースを全打席敬遠して、シャットアウトしろと?御ムタイが過ぎた。案の定、ボロボロに終わり、その後数年、斉藤は干された。再度の藤田監督の時に、漸く復活デキたのだ。

バースの7試合目、巨人の先発は江川だった。江川は、入団して2年間、まだ現役だった王と王派の選手達に散々嫌がらせや登板試合プレー手抜きを受けていた。江川3年目から、王は引退して"背番号1の"助監督として江川を頼る立場に変わった。今度は江川がやる側になった。江川のピッチング、手抜きがわかりにくい。デーゲーム苦手とか、飛行機苦手で新幹線移動して調子悪いとか、スミスから教わった筋力増強法が合わなかったとか、ネガティブ情報も多かった。ワザと打たれても、手抜きかどうかわかりにくかった。わかっていたら、西本にしたり、敬遠指示したりしたハズだし。見事に放り込まれていた。投手江川で、王の打撃単独記録は1つ消えた。

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広島・誠也 右打者で初の「偉業」に挑戦 10日阪神戦で史上3人目の7戦連発なるか
9/9(木) 22:42 Yahoo!ニュース
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1986年6月26日 阪神・バースは巨人・江川から7試合連続本塁打となる一発を右翼場外へ放つ
 ◇セ・リーグ 広島12ー5中日(2021年9月9日 マツダ

 広島・鈴木誠也外野手(27)が9日の中日戦で今季26、27号を放ち、連続試合本塁打を6に伸ばした。6戦連発は14人目。ただ、プロ野球記録の7試合になると、1972年の王貞治(巨人)、1986年のR・バース(阪神)と長い球史でも2人しか達成していない。

 王がレコードを樹立したのは、円熟期の32歳。阪神と優勝争いを演じたシーズン終盤の9月20日、甲子園での直接対決で、「宿敵」村山実から42号ソロを右翼席にたたきこんだ。本塁打、打点の2冠に輝く王の活躍で、巨人は8連覇を成し遂げている。

 久しく「聖域」だった王の記録に、「史上最強の助っ人」が迫ったのは14年後。バースは6月26日の敵地・巨人戦で、当時のエース江川卓から右翼場外へ、7戦連発となるシーズン22号本塁打を放った。くしくも、当時の巨人を率いたのが、王監督。ただ、一切の「忖度」をせず、真っ向勝負を挑んだ江川の姿勢に、バースも試合後、賛辞の言葉を送っている。

 レジェンド中のレジェンドだけがたどり着いた「高み」。王、バースはともに左打者で、10日の阪神戦で鈴木誠が一発を打てば、右打者では初の快挙となる。舞台はホーム・マツダスタジアム。7試合、そして新記録の8試合へ、夢は膨らむ。

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