和田圭サン、有賀さつきよりは生きた。

和田圭サン、川井一仁や不倫という度重なる有賀さつきの事故を消すコトに、結婚と子供(娘だけ?)という形で、大いに貢献した。

別に、このヒト自体優れてるとか思うコトはなかった。しかし、フジのニュース解説員として、不倫の後で起用された有賀をサポートし、結婚と子供という形で事故消しした。同じコトは、後の番組のユアタイムでも起きた。フジテレビだから、続いて起きたとも思うが。

いくらフェリスとはいえ有賀さつきの恩知らずブリはヒドいと思ったし、和田圭サンは学習院しか出てないだけあってか、さすがオンナを見る目ないとも、せっかく真面目に仕事して来たのに気の毒にとも思った。

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有賀さつきさん元夫 フジ元解説委員の和田圭さんが亡くなっていた
9/13(月) 19:32 Yahoo!ニュース
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今年1月14日、自身のフェイスブックにアップした写真。健康そうに見えるがもともと心臓に持病があり、治療を続けていたという(写真:和田圭さんのFacebookより)
元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさん(故人)の元夫で、同局解説委員だった和田圭さんが今年6月26日、自宅で急性心不全のため、亡くなっていたことがわかった。68歳だった。

和田さんは政治部記者として、ソフトな語り口の分かりやすいニュース解説で知られ、学生時代を学習院中等科から大学まで過ごしたことから、育ちの良さで政治家に食い込む異例のタイプだった。

世間に驚きを与えたのは2002年。当時、人気絶頂だったアナウンサーの有賀さんと電撃結婚。これが、年の差13歳ということもあり話題に。だが、2006年に離婚。「別れようと決めた直後に妊娠が分かり、刑務所に入るつもりで結婚した」「ずっと寝室を別にしていた」などとバッシングされながらも「個人的なことは一切話さない」と反論せず、沈黙を貫いた。

定年退職すると、母校・学習院大のアメリカンフットボール部を、部のOBでもないのにサポートした。

「クラシックなスポーツカーに乗って、皮ジャンにサングラスで現れ、部員たちにケーキなどを大量に差し入れしてくれたこともありました。最初は変わった人だな、と思っていましたが、毎試合ですからね。学生の就職の相談にものってくれました。本当に感謝しかありません」(アメフト部関係者)

身体が弱く、運動は苦手だったものの、大学に入学するとアメフトをやってみようと思ったが、親から「けがが多いスポーツだから」と止められたという。青春時代に果たせなかった自らの夢を後輩たちに託したのかもしれない。

フジテレビ関係者によると、有賀さんが2018年に死去した後、手元に引き取り、一緒に暮らしていた長女のアメリカ留学が決まり、その将来を楽しみにしていた矢先のことだったという。

フジテレビ広報部に確認すると、「(和田さんは)6月26日に亡くなられ、すでに納骨も済んでおります。ご遺族のご意向により、公表を控えさせていただいておりました」とのことだった。和田さんが生きていれば今日9月13日は69回目の誕生日だった。仕事とプライベートに一線を画していた和田さんは、69回目の誕生日を迎える前に、静かに逝った。
FRIDAYデジタル

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