王貞治の868本、清原が抜いてくれると思ったのに・・・。

王貞治の868本、野村克也の657本、門田博光の567本と約100本刻みに並んでいる。

今回、ヤクルト・村上が更新するまで、西武・清原が最短100号だった。ソコまでは、王より遥かに早かったし、清原に王の868本の更新を期待していた。秋山やバークレオらにタイトルを獲られようと、黄金時代西武の象徴4番打者として、次点程度で打ち続けるコトを願った。実際、デストラーデらにもタイトルを持って行かれても、清原は引っ張られるように打っていた。

清原自身も、王の年間55本と868本更新を誓って野球していたハズ。しかし、バカな遊び友達、カネに群がるオンナ、1年目日本シリーズの爪先亀裂骨折以後、負傷する毎に痛み止め服用過剰摂取するようになり、西武の2・3年目には清原のヤク中は知れ渡っていた。西武フロントも知っていたろう。負傷故障に託つけた服用だから、言い抜けが利くと思っていたろう。

黄金時代西武も、根本サン坂井サンというフロントの離脱から解体が進み、石毛・辻・秋山など先輩野手がいなくなり、渡辺久&智・工藤・郭らの先輩投手もいなくなり、フロントとしてチームに残す必要もなくなった。ワザと年俸上げて、国内FAで巨人に高く売る方に方針を変えた。

清原自身、巨人に移籍した時点で気持ちは終わっていた。王を抜く意志も、優勝するため勝つための4番の自覚もなく、契約で確約された4番一塁だった。インサイドに来たら文句を言い、ストレートが来ないと文句を言い、当てたら絞めると格闘技の練習、もはや、野球選手ですらなくなっていた。五輪のように、数年に1度の活躍で終わった。

後続の打者も、当たりだすと、メジャーに行く。山田や柳田は日本に残っているが・・・大谷だって、この1・2年が打者としてスポットが当たっただけ。

もう、868本を抜く期待ある選手すら現れないであろう。

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プロ野球】通算本塁打数ランキング! 「王貞治」「野村克也」に続く3位ってわかる?
9/23(木) 11:40 Yahoo!ニュース
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プロ野球】通算本塁打数ランキング!
 本日9月23日は、王貞治さんが年間55本塁打日本新記録(当時)を樹立した日です。1964年のこの日、後楽園球場での巨人vs大洋戦で、当時24歳の王選手はシーズン55号の本塁打を達成。この記録は2013年にバレンティン選手により更新されるまで誰にも破られず、プロ野球史に残る輝かしい記録となりました。

【画像:ランキング30位~1位を見る】

 そこで今回は、「プロ野球の通算本塁打数ランキング」の結果を見てみましょう。日本のプロ野球界のそうそうたる顔ぶれが並ぶこのランキング。各選手の打った通算ホームラン数と、その順位を見てみましょう!

【出典】歴代最高記録 本塁打通算記録】 | NPB.jp 日本野球機構

●第3位:門田博光(567本)
 第3位は、1970年~92年に主に南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)で活躍し、通算567本塁打を放った田博光さんです。40歳になってから本塁打王打点王・MVPに輝くという偉業を成し遂げたことから「不惑の大砲」と称されています。

●第2位:野村克也(657本)
 第2位は、1954年~80年に主に南海ホークスで活躍した野村克也さんです。通算本塁打は657本で、パ・リーグでは9度の本塁打王を獲得しているほか、1965年には戦後初で日本プロ野球界2人目の三冠王を達成しました。

●第1位:王貞治(868本)
 第1位は、1959年~1980年に読売ジャイアンツで活躍した王貞治さんです。「一本足打法」と呼ばれる独特なバッティングフォームでホームランを量産し、セ・リーグで15回の本塁打王を獲得するとともに、通算868本塁打という前人未到の大記録を打ち立てました。

 現役引退後は、巨人とダイエーソフトバンクの監督に就任します。特にダイエー時代にはチームを2度の日本一へと導くなど、監督としての手腕も発揮。2006年には第1回WBCの日本代表チームの監督を務め、初優勝を日本へともたらしました。
ねとらぼ調査隊

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