批判に耐えられなかった?おかしくない?

野球の練習では世界一厳しいと言われた横浜高で、カラダの鍛練の貯金を作った。

王国崩壊後の西武に入り、練習がヌルくヒマで柴田にも引っ掛かったばかりか、柴田のマンション前の駐車違反の身代わりに"世界のヒーロー"黒岩彰を行かせた。トレーニングはあまりしなかったが、タマ数投げてたから、3年連続最多勝は獲れた。また、石井貴の活躍で日本一になってメジャーに行けた。2度のWBCにはMVPにも輝いた。

しかし、2度目のWBC後、メジャー3年目にとうとうカラダの鍛練の貯金が尽きた。横浜高卒業後ランニング量は激減し、メジャーでは投げ込みさせてもらえず、力任せしかなかった。コントロールもままならず、減ったタマ数でも肩ヒジ故障し手術、ボラスに日本に送り返されてしまった。

以後は、一昔前のイカサマ外人みたいに、ソフトバンクから3年12億もらった。走ってないから、上体を揺すって力感を出し、全力投球したストレートは御辞儀してたが、中日では少し勝った。カラダつきもフォームも別人だった。岩隈を獲った原監督も、松坂は獲らなかった。挙げ句、中日ではオバチャンに触られたと、ヤクザまがいの演技でキャンプを離脱し、球団に無届でアメリカに滞在日数消化に行った。やる気なさも見え見えで消化した。西武に戻っても、見る影もなかった。

批判?全部自業自得じゃないの?十二分にもらってると思うョ!

 

 

 

 

 

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「最後は批判に耐えられなかった」“平成の怪物”松坂大輔が会見で語った引退の理由「よく諦めずにやった」
10/19(火) 14:07 Yahoo!ニュース
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現役生活に別れを告げる松坂。会見ではこれまで語ってこなかった引退の理由を明かした。(C) THE DIGEST写真部
 日本球界で数多の伝説を作ってきた剛腕がついに現役生活に別れを告げた。10月19日、西武ライオンズ松坂大輔が引退会見に臨んだ。

【動画】奪三振マシーンと化した松坂大輔レッドソックス時代のピッチングシーン

 

 その剛速球で数多の伝説を残してきた。横浜高校の3年となった1998年夏の甲子園決勝、京都成章戦でノーヒットノーランをやってのけ、春夏連覇という偉業を達成した松坂は、同年のドラフト会議で西武に指名されてプロの扉を開く。そして入団1年目にいきなり16勝を挙げて最多勝に輝くなど「平成の怪物」の異名を欲しいままにした。

 2006年オフには、ポスティングシステム史上最高額となる約5111万ドル(約60億円)でボストン・レッドソックスへ移籍。1年目で15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献。文字通り日本のエースとして世界にその名を知らしめた。

 しかし、右肘のトミー・ジョン手術を行なった2011年以降は故障の連続だった。満足に投げられない日々のなかでも現役にこだわった男は、15年にソフトバンク・ホークスで日本球界に復帰。17年にテストを経て中日ドラゴンズに入団。そして19年のオフからは、14年ぶりに西武のユニホーム袖を通していた。

 センセーショナルなデビューから41歳までプロキャリアを続けていた“怪物”は、今年7月7日に発表してから公の場で語ってこなかった引退への想いを明かした。

「選手は誰しもが長くプレーしたいと思い、なるべく来ないことを願っていると思う。今日という日が来てほしかったような、来てほしくなかったような思いがある。現時点ではスッキリしてないんです。このあと投げることになっていますし、投げてそこで自分の気持ちもスッキリするのかな、スッキリしてほしいと思います」

「応援してもらったファンの方はもちろん、アンチのファンの方も含めて感謝しています」とあの人懐っこい笑みが浮かべる。そして、ゆっくりと考えながら、プロキャリア23年を振り返った。

「選手生活の後半は叩かれる方が多かった。もっと早く辞めてもいいタイミングはあったと思いますし、思ったようなパフォーマンスが出せない時期が長く苦しかったですけど、その分たくさんの方に迷惑かけましたけど、よく諦めずにここまでやってきたと思います。

 これまでは叩かれたり、批判されることに対して、なんとか力にして跳ね返そうとやってきたけど、最後は耐えられなかった。心が折れたというか、受け止めて跳ね返す力はもうなかったですね」

 この後に行なわれる日本ハムとの一戦で現役最後のマウンドに立つ松坂。「最後の最後、全部をさらけ出して、すべてを見てもらおうと思います」と話す“18番”は、どんな姿を見せてくれるだろうか。

取材・文●羽澄凜太郎(THE DIGEST編集部)

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