エラそうに!敗戦の責を将以外に誰が負うの?

敗戦の責は将が負うモノ、別に何ら特別なコトではないョ!今更エラそうに言うコトか?

このチームは6年に1度のリーグ優勝で12年に1度日本一になれば良い、フツ~のNPBチームとは違う。工藤がかなりの時を過ごした西武は、森監督時代あの近鉄に1度浚われた以外優勝し続けた。その後移籍した、ダイエー⇒巨人⇒横浜では、勝つ編成すらされてなかった。横浜で、現存する最低GM高田が面談して、桑田と工藤が落とされ、中畑が監督になった。そうしてくれたおかげで、工藤は最高戦力のチーム監督になれた。

しかし、結果はどうだった?工藤は2度もリーグ優勝を落とした。

1度はせっかくブッちぎっていたのに、大谷が投打に活躍した日ハムに逆転された。秋山監督最終年は大隣で踏ん張ったが、この年は誰も歯止めにならなかった。コレだけ選手いるのに、ココぞという場面で頼れる選手を監督として見出せず、現れなかった。

今年も、コレだけ選手いるのに、ベンチと2軍3軍で腐らせたまんま、故障不調のレギュラーを使い続けて、3位にすら入れなかった。せっかくのCSという保険すら、使えない御粗末さだった。

カレが辞めた要因は、ダメ参謀小久保でも、故障不調のレギュラーでもなく、チームを導く手腕の欠如故だ。

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ソフトバンク・工藤監督が退任会見「敗戦の責は将が負うもの」
10/27(水) 21:11 Yahoo!ニュース
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退任会見で記者の質問に答えるソフトバンク工藤公康監督
◆ 最終的な決断は10月初旬

 ソフトバンク工藤公康監督(58)が27日、福岡市内で退任会見を行った。就任からの7年間を振り返りつつ、チームへの熱い思いや自身の支えとなった周囲への感謝を繰り返し、最後は王貞治会長から花束を渡された。

 工藤監督は会見の冒頭で「幸せな7年間を過ごすことができて、野球人としてたくさんの方に支えていただいたことを、感謝を申し上げたいと思います」と挨拶。7年間に及ぶ大役を終え、「今は少し抜け殻のようになっている感じもある」と率直な思いを口にした。

 指揮をとった7年間で5度の日本一を成し遂げたが、今季は自身初となるBクラスが確定し、退任を決断。その理由については、「敗戦の責は将が負うものだという僕自身の思いもあったし、もっともっとできることがあったのではないか、もっともっと自分で行動すべきこともあったのではないかという中で、やりきれなかったという思いが日に日に増してきた」と説明。王会長からの慰留にも「チームが再スタートをきるためにも、責任をもつべきだと思った」と述べ、10月初旬に決断したことを明かした。

 今季に関しては、コロナ禍の影響もあり「選手がコンディションを整えることが難しかった」とコメント。そういった状況の中で、「万全な状態で開幕を迎えさせてあげることができなかったし、怪我人も多かったですが、その中でやりくりするのが監督の仕事。投手、野手を含めて、しっかりバックアップする選手を作れなかったことが何よりも、僕の責任においては大きかった」と反省の弁を述べた。

 また、7年間で印象に残っている出来事については「僕はピッチャー出身で、ピッチャーは不思議と打たれたことは覚えているんですけど、抑えたことはあまり覚えていない」と前置きした上で、「16年に勝てなかった悔しさの中から自分自身で何が足りないのかをものすごく考えながら過ごしたオフ」とコメント。「あの1年で非常に成長できて、その中で選手と共に勝てたというのが印象に残っている」と述べ、苦しみ抜いて王座を奪還するまでの過程を挙げた。

 会見の中で何度となく周囲への感謝を口にした元指揮官。「僕にとっては選手が全てなので、一番は選手に支えられているんだなと思いました」と語った名将は、球団のスタッフだけでなく、警備員やグラウンドキーパー、食堂で働く人たちへの感謝の思いを述べ、「全ての方が僕の支えであり、活力だった。頑張ってくれている人たちのために精一杯のことをやらないといけなかった」と主張。

 そして最後に「何よりも、この2年は特にファンの皆さんの声援がいかに選手たちの力になっていたのかということをあらためて感じました」「ファンの人に見てもらって野球をやることがプロ野球選手が一番大切にしないといけないもの」と、その存在の大きさを強調し、「ファンの皆さんには心から感謝を申し上げないといけないと思いますし、7年間支えてもらったことも本当にありがとうございますとお伝えしたいです」と締めくくった。
BASEBALL KING

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