テレビでも、ファールに見えた。

日本プロ野球の使用球は、結構重い公式球だ。軟式野球の球や軟式テニスの球や卓球のピンポン球みたいに、曲がるワケがないのだ。ファール側のスタンドに落ちたら、フツ~にファールなのだ。

あの時代は線審もいたのに、線審がキチンとポール前に位置してボールの頭上通過タイミングを見極めてる例は殆どない。水島新司野球マンガくらいだ。大抵の線審はポール前にいなかった。

昔から、日本の審判はアメリカの審判の技術を学ばず、権威と簡略手法だけ入れて来た。

線審がキチンとした位置でゼスチャーした結果がホームランのジャッジなら、上田監督もアソコまで噛み付かない。試合をブチ壊したのは、キチンとジャッジに相応しい位置にいないのに手を回した線審だ。

猛抗議の間延びは監督のせい?イヤ、審判の技術不足のせいが大半だと思う。サッカーの審判は、ボールを追って走りながらジャッジする。副審は最終ラインに位置する。野球のボールは遥かに速い。だから、野球はジャッジが求められる場、主審と一二三塁審と左右線審がいるべきなのだ。アメリカのサル真似して線審省略したのも、失策だったと思う。実際、巨人-ヤクルトで篠塚のホームラン判定したミスジャッジも出た。

日本のプロ野球アメリカに学ぶコトは必要だが、全てを受け入れる必要はない。特に、アメリカのスポーツ科学と不文律は、要らない。というか、アマチュア指導者にバカなアメリカ被れが増えている状況も危惧するが。

今の、ビデオ判定だけは、取り入れて良かったと思っている。

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福本豊氏、1978年ヤクルトとの日本シリーズで阪急の敗因は猛抗議の「間延び」
11/18(木) 7:00 Yahoo!ニュース

1978年の日本シリーズ第7戦、左翼スタンドの前で抗議する上田監督(右端)ら阪急ナイン
 ヤクルトとオリックス日本シリーズで対戦したのは、前身の阪急時代を含めると1978年と95年の2回ある。78年は第7戦でヤクルト・大杉勝男の飛球の判定を巡って阪急・上田利治監督が猛抗議。シリーズ史上最長となる1時間19分の中断の末、ヤクルトが勝利して初の日本一に輝いた。阪急の主力だった福本豊氏(74)が当時を振り返り、古巣にエールを送った。

◆1978年日本シリーズ ▽第7戦(後楽園)

阪  急000 000 000|0

ヤクルト000 012 01X|4

(急)●足立、松本、山田―中沢、宇野

(ヤ)〇松岡―大矢

[本]大杉2、マニエル(以上ヤ)

 あのシリーズは、最後の第7戦がなぁ…。今なら、本塁打かファウルかの判定もリプレー検証される。あんな猛抗議はもう起こらないだろうね。

 大杉さんの左翼ポール際へのホームランに上田監督が猛抗議。ポール下に行ったら、ヤクルトのファンも「ファウルだ」と言っていた。“誤審”だったと思うよ。

 ただ、あの本塁打で負けた、とは思わない。まだ0―2。抗議を切り上げて試合を再開していたら、阪急が追いついたかも分からない。上田監督の抗議が長すぎた。1時間19分。選手はベンチに引き上げていたんだけど、待っている間に、体が冷えて、闘争本能も冷めてしまった。コミッショナーまでベンチに来て「言うことをきけないのか」なんて怒ってたけど、選手らも「判定が覆ることはないんやから」「はよやろうや」とつぶやきあっていた。上田監督は意地があって引き下がれなかったんだろうけど、選手だった私としては、“誤審”で負けたというより、“間延び”して負けたという印象が残る。

 おまけに、抗議が長かったために、先発の足立光宏さんも交代せざるをえなかった。新人の松本正志がマニエルに本塁打。中断を挟んで2者連続や。東洋大姫路高で夏の甲子園で優勝した松本は、速い球を投げていた。1年目は大事に育てる方針だった。それなのに、あの場面で打たれて芽を潰してしまった感じで、大成できなかった。

 シリーズ全体としては、第4戦が痛かった。9回に今井雄太郎ヒルトンに逆転2ラン。ミーティングで「ヒルトンはカーブに強い」と伝えられていたのに、カーブを打たれた。ボール球で誘おうとしたと思うんだけど…。5回まで5―0でリードしていたのに、あの逆転負けはガックリきた。

 阪急は前年まで日本シリーズを3連覇していて、この年も阪急優位と言われていた。だけど、日本シリーズは怖い。あの第4戦のように、1球で流れがガラッと変わる。記録を見ると、私は5盗塁、2本塁打とそこそこ活躍したようだが、ほとんど覚えていない。第4、7戦の後味の悪いシーンばかりが記憶に残っている。

 当時の阪急は私と簑田浩二の1、2番で、他にも走れる選手が多かった。今年のオリックスも1番・福田、2番・宗が固定されて強くなった。攻撃のタイプは似ているところがある。福田、宗がいつも通りにかき回せるかに注目している。(スポーツ報知評論家・福本豊

 ◆上田監督の猛抗議 第7戦でヤクルトが1―0の6回1死、大杉勝男が左翼ポール際に飛球を放った。富沢線審本塁打の判定に上田利治監督が抗議。富沢線審は場内マイクで「ポールの上を通過したのでホームラン」と説明したが、ビデオを見た阪急側が反論。上田監督は線審の交代を要求し、シリーズ初の放棄試合も辞さない構えを示した。観客がグラウンドに飛び降りるなど大混乱。金子コミッショナーの説得に山口オーナー代行が応じたが、中断は1時間19分に及んだ。そのため先発の足立は続投できず、2番手の新人・松本がマニエルに2者連続となる本塁打を浴びた。シリーズ敗退の上田監督は辞任した(81年に復帰)。

 ◆福本 豊(ふくもと・ゆたか)1947年11月7日、大阪府生まれ。74歳。大鉄高(現・阪南大高)3年夏に甲子園出場。松下電器を経て68年のドラフト7位で阪急に入団。レギュラーになった2年目から13年連続盗塁王。72年はプロ野球記録の106盗塁でMVP。通算1065盗塁は当時の世界記録。初回先頭打者本塁打43本も日本記録ベストナイン10回、ダイヤモンド・グラブ賞連続12回。88年限りで引退し、オリックス2軍監督などを務めた。2002年に野球殿堂入り。
報知新聞社

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