マクラーレンとAMGとベンツ、3者のコラボは大々的に宣伝されていた。前からはカッコ良かったが、「アレッ?」と思ったらFR、後ろからはカッコ良く見えなかった。挙げ句、大して高くもないサイドシルにインセクトドア、ましてFRなのに2座、「このクルマ、カッコだけ?」と思った。このクルマ、ニュルでも思ったより速くなかった。
マクラーレンがやるなら、CLK-GTRやCLRを超すような、ミドシップ2座だと思っていたから、拍子抜けした。
確か、その後でマクラーレンとメルセデスF1の関係も解消したハズ。確か「内容は明かさないが、重大な違反があった。」とコメントされていた。
個人的に、マクラーレンがメルセデスの次期V8のデータを盗んだ/入手した/ヒトを引き抜いたのどれかをやったと思う。
実際、メルセデスもマクラーレンも、トップモデルは4リッター弱のV8ターボ、マクラーレンはミドシップ、メルセデスはFR程度の違いだ。
マクラーレン自体、元ホンダF1総監督後藤治を雇ったコトもあったが、結局大したコトさせずに辞めさせた。エンジン部門の展開を拡げる気はなく、V8ターボ1本のつもりなのか。
日本では、百獣の王武井壮が乗ってるというだけでイメージダウンか?まして、その横で立ちションしてなかった?
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もう二度と生まれない! メルセデス・ベンツSLRマクラーレンは奇跡の「トリプルコラボ」が生み出したスーパーカーだった
11/30(火) 18:07 Yahoo!ニュース
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メルセデス・ベンツとAMGとマクラーレンによる共同開発車
まさに走る芸術とも言える美しいシルエットで身を固める「SLRマクラーレン」はメルセデス・ベンツ、メルセデスAMG、イギリスのマクラーレンとの3社の共同で生まれた奇跡の1台だ。もちろん市販化されている。
ついにメルセデス・ベンツからも、スーパースポーツが誕生するのか。そのような期待感が一気に高まったのは、1999年のNAIAS(デトロイト・ショー)で、「ビジョンSLR」とネーミングされたコンセプトカーを目の前にした時だった。
【画像】300SLRのフロントスタイリング!
ビジョン、すなわち未来像が現実へと進化を遂げるのは、メルセデス・ベンツにとっては珍しいことではなく、しかもそれが1955年に登場した3リッター仕様のGPマシン、「300SLR」の名を受け継いだものであるとすれば、それを再び歴史の中に葬り去ることはないだろう。その期待感だけで、世界のメルセデス・ベンツ、そしてスーパースポーツのファンは興奮を抑えきれなかった。
だが、プロダクションモデルのSLRが正式に発表されるまでには、それからさらに4年という時間を必要とした。メルセデス・ベンツはSLRのプロジェクトを中止してしまったのか。一部にはそのような悲観的な話も流れるようになったが、それはあくまでも噂のひとつにすぎなかった。
SLRはメルセデス・ベンツ、メルセデスAMG、そしてイギリスのマクラーレンとの3社による共同開発車であり、そのために、そして究極のパフォーマンスときわめて高い趣味性を兼ね備えたモデルへと仕上げるために、通常よりも長い開発期間を必要としたのである。
車名はSLRマクラーレンと決定し、実際にSLRのファーストモデルがワールドプレミアされたのは、2003年のフランクフルト・ショー。2001年のNAIASでは、ビジョンSLRロードスターの発表も行われていたから、将来的にはオープンモデルが追加されることも、この段階で容易に予想できた。
SLRマクラーレンがワールドプレミアされた瞬間の興奮は、個人的にも今でも忘れることができない体験だ。ロングノーズ&ショートデッキのシルエットは、ビジョンのそれからほとんど変わることはなく、ステージに向かって駆け上がったその先には、かつて1955年のミッレミリアを驚異的な速さで制覇した、ゼッケン722番の300SLRが最新のSLRマクラーレンを待ち構えていた。SLRはここに、約半世紀の時を経て復活を遂げたのだった。
SLRマクラーレンのエクステリアデザインは、現代の目で見ても非常に魅力的なフィニッシュだ。ビジョンからの大きな違いといえば、フロントフェンダー上に大型のエアアウトレットが採用されたり、またその下にエキゾーストシステムが導かれたりしていることなどが代表的なところ。これとて300SLRのファンには歓迎すべきポイントだ。
偉大なレジェンドをオマージュしたモデルも登場
メルセデスに所縁のある伝説のレーサー、スターリング・モス氏の名を冠した「SLRマクラーレン・スターリング・モス」がこの歴史的スーパーカーのファイナルモデルとして登場した。「マクラーレンSLR」を所有するユーザーのみが買えたクルマで価格は1億円以上。
当時最新のF1マシンのノーズコーンにモチーフを得たことは間違いないフロントノーズの処理も実に斬新だ。スリーポインテッドスターのエンブレムは高圧でエアを導入できるインテークとなっており、フロントアクスルの後方に搭載される、フロントミッドシップの5.4リッター仕様のV型8気筒エンジンへとつながる。リショルム型コンプレッサーへとエアは導かれるシステムだ。さらにその下の大きなエアインテークは、ラジエーター等の冷却という役割を担う。
626馬力の最高出力を発揮する、このパワーユニットの開発と製作はメルセデスAMGに委ねられ、またカーボン製のセンターモノコックやボディ、さらに生産そのものはマクラーレンが担当。ちなみにフランクフルトで発表された生産計画は、7年間で3500台というものだった。唯一残念なのは、搭載されるミッションがオーソドックスな5速ATだったことで、これは最大でトルクが780N・mにも達するために、メルセデス・ベンツがこれに対応できると判断したミッションが当時存在しなかったことが直接の理由とされている。
2006年にはハイパフォーマンス・バージョンの「SLRマクラーレン722エディション」がリリースされた。これはSLRクーペのファイナルモデルとして追加されたもので、メルセデスAMG製のエンジンはさらに650馬力仕様にパワーアップ。最高速は337km/hを可能にしている。カーボン製フロントスポイラーやディフューザーも、このモデルに専用のデザインとなっている。
さらに2007年になると、ようやく待望の「SLRマクラーレン・ロードスター」が、そして翌2008年には「同722S」が誕生する。これは各々SLRマクラーレンのオープン仕様と、722エディションのハイパワーユニットを搭載するモデルに相当するもの。後者は150台の限定車とアナウンスされ、アメリカ市場を中心に爆発的な人気を呼んだ。
SLRマクラーレンには、じつはそれを用いたワンメークレースの構想もあった。それはイギリスのレイ・マーロック・リミテッドによって、メルセデス・ベンツのサポートのもと計画されたもので、実際に21台のレース車両を製作することが決定されていた。
ベースとなったのはクーペのファイナル・エディションとされていた722エディションで、メルセデスAMGはパワーに変更はないが、トルクを最大で830N・mにまで強化。デファレンシャルには機械式のLSDも組み込まれた。前後のサスペンションもこのレース仕様のためのスペシャル。「722GT」とネーミングされたそれは、実際に2007年のエッセン・モーターショーで発表されたが、残念ながらソールドアウトには至らず、現在ではコレクターズアイテムのひとつとなっている。
ここまでSLRマクラーレンの歴史を振り返ってきたが、そのファイナルモデルとなったのは、2009年のNAIASで発表された「SLRマクラーレン・スターリング・モス」だった。
75台のみが限定生産されたそれは、ほかのSLRシリーズとはあきらかに異なるフォルムを持つモデル。スターリング・モスの名が、いかに偉大なものであるのかを、このSLRのファイナルモデルは物語っている。
そしてこの75台の生産をもって、メルセデス・ベンツ、メルセデスAMG、マクラーレンの3社によるコラボレーションは終わりを告げたのだった。
山崎元裕
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