野球で考えさせられる、高校時代の鍛練と人生の選択。

ヒトに於いて、人生に於いて、一番大事なのは中高生時代の鍛練だと思う。春夏の甲子園は、野球に於ける高校生鍛練の発表会であると思うし、サッカーやバスケットなどスポーツに限らず、高校生クイズ百人一首などの文化部活動についても一緒だと思う。大学受験も、勉強に於ける鍛練結果のプレゼンだと思う。

鍛練の仕方も、各個人それぞれの方法がある。それ1つに絞って頑張るヒトも、1つで上手く行ってる方法を他にも応用し色々頑張るヒトもいる。中高生時代は慣らしの期間なのだ。

もちろん、鍛練したら全て報われるワケではない。突き詰めるには、時間やカネがかかり過ぎたり、その時やるには難しい場合もある。道を選ぶにも、本人や家庭都合の選択がある。

自分の人生の選択はアタマにあるが、カレ始め有名人の人生の選択も、色々考えさせられる。カレらは、高校生で全国的な才能を見せてくれたのだから。

もちろん、県予選までを勝ち抜き、そのステージに立つだけでスゴい。ソコから勝ち上がるコトもスゴい。優勝準優勝は更にスゴい。個別に勝敗は、チーム構成や運もある。しかし、そのパフォーマンスは見た者の心に残る。

カレのピッチング、すぐにプロで投げる姿を見たかった。もちろん、作新江川だけではない。年により、崇徳黒田や桜美林松本や近年なら早実斉藤もそうだ。指名されたチームや事情はそれぞれ違う。

江川が高卒時に指名されたのは、阪急。当時、山田や足立のアンダースロー投手や福本や加藤や長池マルカーノやスペンサーを抱え、V9巨人と渡り合った時期。後に、山口や今井や稲葉らを抱える。ココに江川卓が入ったら、どんなにスゴい投手陣がデキていただろうか?

アンダースローでも本格派山田と技巧派足立は対照的。また、山口高志江川卓の高めストレート、全く球質が違う。同じオーバースローでもシュート/シンカーの今井やコントロールの稲葉もいた。叶わなかったが、近年の「日ハムに大卒菅野が入団していたら・・・」に近く、想像を掻き立てられる。何せ、菅野と大谷が同じチームで過ごす可能性があったのだから。

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作新学院高・江川卓夏の甲子園出場決定/週べ回顧1973年編
12/2(木) 10:14 Yahoo!ニュース
 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。

【連載】「週刊ベースボール60周年記念企画」連載一覧

広島商を意識し「今度こそは」
 
作新学院高・江川卓
 今回は『1973年8月20日盛夏特大号』。定価は120円。

 1973年、第55回夏の甲子園大会の出場校が出そろった。

 注目は栃木・作新学院高のエース、江川卓。記念大会で各都道府県1校の出場だったが(北海道は2校)、栃木大会5試合で3度のノーヒットノーラン。44イニングで奪三振75、失点、自責点0というからすさまじい。

 大会関係者は、「よかった。ほっとしました」と口をそろえる。怪物江川がいるいないは、大会の盛り上がりを大きく左右すると言われていたからだ。

 江川は言う。

「僕たち高校野球をやっているものの終着駅は甲子園で勝つことです。春のセンバツのときは、まだ夏があるという軽い気持ちでした。でも、これが最後と思うと、うれしさより先に身が引き締まる思いです」

 記者によれば、いつもクールな江川の表情が変わったのは、7月29日、広島商が出場を決めた知らせを聞いたときだという。センバツで敗れた相手だ。

「当たったら負けたくない。試合だから負けないと断言はできないが、ぶつかった以上勝ちたい」

 珍しく口調が熱くなった。

 ただ、栃木大会での江川はセンバツより球が遅くなった、という声もあった。

 作新の山本監督は、「センバツまでは全力投球だった。とにかく馬車馬みたいに力いっぱい投げていました。だが、いまの江川はある程度、うまみが加わり、勝つピッチングに徹して非常に安定感がある」

 課題は栃木大会で1試合平均4点弱だった打線だ。山本監督は、「打てないのはいまさら言っても。その分を機動力でカバーする」と話す。

 江川は、「高校時代の最後。持てる力を全部出して投げまくります」 と燃えていた。

 では、また。

<次回に続く>

写真=BBM
週刊ベースボール

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