監督時代の落合に疑問はない。聞きたいのはGM落合だ。

中日監督時代の落合に疑問などない。今より遥かに戦力充実していた第2期原監督の巨人に対して、CSで勝ち2度はリーグ優勝すらした。日本シリーズは、あの1度きりだが、巨人を倒して日本シリーズに出るコトが大変な時期だった。

むしろ、ワタシにとっては、GMになってからの"勝てないチームへの大変革"について聞きたい。カレは一切を語らず、全てを断行した。監督時代にリーグ制覇した時、選手達の年俸が上がった。FAで獲得した和田と谷繁以外にも、井端や荒木ら生え抜きも高額選手になった。

監督の仕事は、シーズンを勝ち、CSを勝ち、日本シリーズに勝つコトにある。しかし、GMの仕事は、親会社の意向を汲んだチーム構成に編成し直すコトだ。

谷繁がプレーイングマネージャーになったタイミングでGM就任した落合は、谷繁の足を引っ張るかのように、高額主力選手をハズし、今の阪神のようなムリヤリ抜擢をして、負けを込ませた。

外から見れば、親会社中日の落合GMへの要求はコストダウンしつつ勝てるチームへの転化だったろう。勝てなくてもコストダウンすれば、親会社としては許容範囲内だったかも知れない。

しかし、ファンの忍耐の方が限界に来た。谷繁解任と合わせて、落合GMも解任になった。以後、森も与田もそれほどの補強もないままシーズンインし、Bクラスを続けてる。

大野雄大ビシエドや大島しか呼びもののないチームのままだ。結局、放出した高額選手達の分、大野雄大ビシエドや大島の年俸に化けただけだ。

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落合博満と中日が受けた「あり得ない扱い」… それでも「いま落合監督に勝る監督はいない」と長嶋茂雄江夏豊が称えたワケ
12/13(月) 17:31 Yahoo!ニュース
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2010年日本シリーズでの落合博満監督。岩瀬仁紀に笑顔を見せる photograph by Naoya Sanuki
雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は監督・落合博満にまつわる4つの言葉です。

【貴重写真】落合がミスターのノックを受けたり、阪神ユニの江夏と超楽しそう…エグい広角打法と威圧感、不敵な笑み。三冠王バースや松井・清原とニコニコ、「嫌われた監督」時代も一気に振り返る

<名言1>
これが正力松太郎さんの目指した野球界か聞いてみたい。
(落合博満/Number741号 2009年11月12日発売)

◇解説◇
 2007年、落合は伝説の「山井大介-岩瀬仁紀」の“27人完全試合リレー”で中日ドラゴンズを53年ぶりの日本一に導いた。名将としての評価をゆるぎないものにした……が、それ以降はメディアとの溝が深刻化していった。その象徴的な出来事として、2009年のWBCがある。

 第1回に続く連覇を目指した侍ジャパンに対して、中日の選手たちは出場辞退を選んだ。すると「球団サイドが選手にストップをかけた」などというウラ話も漏れ聞こえ、落合を含めて大バッシングにあったのだ。

 そしてこのシーズン、中日は優勝を逃し、CSでも侍ジャパンの監督も務めた原辰徳の巨人に敗れ去った。冒頭の言葉はCS第2ステージの試合後の発言だ。このようにも話している。

「2009年は負けて終わったけど、思いがけない“風”が一年間吹きっぱなしだったというのが現実だな。契約社会なのに、ときには会社員のような本来あり得ない扱いが存在する」

 一敗地に塗れるシーズンを経て、落合中日はさらなるしぶとさを手に入れる。10、11年とリーグ連覇を果たしたのだった。

三度の三冠王なのに野球殿堂に2回“落選”
<名言2>
監督の持つ権限を冷徹に行使するという点では、いま落合監督に勝る監督はいないかもしれない。
(長嶋茂雄/NumberWeb 2011年1月26日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/82647

◇解説◇
 日本球界に多大な影響を与えた人物に対しての表彰、野球殿堂入り。落合が受賞したのは2011年1月のことだった。三度の三冠王など打者として圧倒的な成績を残していながら、09、10年と2年連続で1票届かず落選していたのは今考えても不思議なのだが……。

「私はユニホームを着ている間は、この賞とは無縁だろうと思っていました。ユニホームを脱いでから、いつかもらえればいいなと思っていた」と語りつつ、「どうせなら3年連続1票差で落選した方が面白かったんじゃないか」と“オレ流”らしい語録も残している。

ミスターが「非情な監督」と驚いた手腕
 選手としてだけにとどまらず、指揮官として残した実績も加味されていたのだろう。2010年の優勝で、落合中日は通算3度目のリーグ制覇を達成。なおかつ07年には2位からのCS突破とはいえ、日本一にも輝いているからだ。

 その能力を、ミスターこと長嶋茂雄も驚きを隠せなかったようだ。

「いま、もっとも厳しい、非情な監督は中日の落合監督でしょう」

 自らの野球観に照らし合わせて、その水準に達した選手を起用する。言い換えれば水準以下なら、切り捨てる。実績ある主力でも油断があれば、ポジションを固定しない。“チーム内競争”とはよく言うが、全くの私情を挟まず実行した点に、長嶋も驚きを隠せなかったのだろう。

自分のために家族のために野球をやれ
<名言3>
ここまで来られたのは選手のおかげ。
(落合博満/Number792号 2011年11月25日発売)

◇解説◇
「他の誰かのために野球をやるな。自分のために家族のために野球をやれ」

 4回のリーグ優勝を果たすことになる「オレ竜落合監督のチームには、井端弘和荒木雅博和田一浩森野将彦谷繁元信と、勝ち方を知っているメンバーがそろっていた。

 彼らに対して常に「勝たせるのは俺の仕事だ。好き嫌いはしない。良い者を使う。だから自分の成績だけを考えてやれ」と伝えていた。時には説明もなく交代を命じられ、反発する選手もいたというが、落合は機を見てさりげなく課題を呟いたともいう。独特だが、落合らしい指導法だった。

 そんな落合の“電撃退任”が突然発表されたのは、2011年9月22日のことだった。当時の球団代表はこの年に落合が野球殿堂入りしたことを節目と理由づけて、次期監督の高木守道氏に「新しい風」をもたらしてもらいたい、とした。

 しかし、首位ヤクルトとは4.5差とはいえ優勝が懸かるシーズン終盤戦での発表は、現場に大きな波紋を呼んだ。結果、フロントの判断に反骨心を覚えたチームは一気に勝ち星を伸ばし、失速したヤクルトを抜き去り連覇を達成したのだった。

<名言4>
選手のことを考える指導者として、落合監督はトップクラスだよ。
(江夏豊/Number792号 2011年11月25日発売)

◇解説◇
 2011年、日本シリーズに2年連続で進出した落合中日。前年のロッテとの激闘の末に敗れたリベンジ、そして指揮官・落合の花道を――という思いを感じさせる戦いぶりで、パの絶対王者になりつつあったソフトバンク相手に3勝3敗の第7戦までもつれ込んだ。

 雌雄を決する一戦、落合は4年前のヒーロー山井を先発に選ぶ。しかし3回に押し出し四球で先制を許すと、素早く継投策に入った。しかしネルソン、そしてこの年MVPの浅尾拓也が失点を喫し、打線も杉内俊哉らの前に無得点にねじ伏せられ、0-3で終戦した。

「気遣いに溢れた接し方を見せるようになったな」
 最高のエンディングとはならなかった中日。それでも落合は「確かに残念だったけど、悔いはない」と話しつつ「(監督が)誰に代わろうが自分を大事にして、野球人生を送ってくれればいい。個々にその教育はしてきたから」と、選手たちに最後のメッセージを送った。

 解任が決まって以降、落合の采配に変化が生まれた――そう説く識者は多い。その代表格が江夏だ。

 自身の“引退試合”にも駆けつけてくれた縁もあってか、このように落合が持つ人間味を語っている。

「監督解任が決まってから、落合という男は本来持っている情の部分を隠さない、気遣いに溢れた選手への接し方を表にも見せるようになったよな。(中略)勝つときもオレ流、負けるときもオレ流。いかにも落合らしくて、いいじゃないか」
(「スポーツ名言セレクション」NumberWeb編集部 = 文)

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