惜別?誰もこんなモノ、求めてなかった。

第2期ホンダF1の大成功を機に、ホンダはクルマ作りの大攻勢に討って出ると思われた。80年代のホンダ、クルマのラインナップも狭く、FFばかり。トヨタニッサンとまで行かなくても、FRとミドシップは欲しかったし、キチンと手に入る商品として期待していたのだ。後は、シンボルカー/イメージリーダーカー/フラッグシップとしてのクルマだった。

バブル期のモーターショー、トヨタ4500GTやニッサンID4などのショーカーが出た。どちらも、本気度の薄いクルマだった。それに比べ、第2期ホンダF1総監督、桜井サンが市販車開発担当に異動し、更に期待が上がった。そんな時にNSXは出現した。セナや中嶋をドライブさせた。桜井サンは「ホンダがやるなら、フェラーリやポルシェをブッちぎる!」と言った。誰もが、当時ホンダがオートバイで出していたレーサーレプリカをイメージし、F3イメージのスポーツカー、F1イメージのスーパーカーの出現を期待した。

前者やるなら、普及版的な5ナンバーのFRやミドシップシビック系やプレリュード系を仕立て直したモデルでも良かった。後者やるなら、イメージ継承と高性能追究にも堪えるコンストラクションと価格と性能のバランスが必要だった。ホンダには、オートバイで鋼管/アルミフレーム構造のノウハウも設備もあり、最低限の投資で作れて良かったのだ。しかし、モノコックで車体を作る愚を犯した。あのバカなアルミ車体工場など、誰も求めていないし、喜んでいなかった。レースに限らず、補強や改造のしやすさなど、全く考えられていなかった。挙げ句、エンジンは何の変哲もない、レジェンドの使い回しにVTECのツインカム化をしただけのエンジン。F3000用無限MF308でも、V10やV12がツラくても、縦置3リッターV6ツインターボをやれば良かった。ホンダは、NSX開発に当たって、フェラーリ328を比較対象として来たし、次期フェラーリ348は縦置V8に横置ミッションになるコトもわかっていた。レース用改造やエボリューションモデルのための高剛性化と軽量化や低コスト化のバランスで検討されなかった。

既に本田宗一郎は会長に追いやられ、ただ頷くしかなかったろう。桜井サンは半年もせず退職していた。

誰も望みもしないアルミモノコック、悪い意味での影響を世界中の自動車メーカーに振り撒いた。

安く軽く剛く作りやすいコンストラクションが欲しいのに、世界中の自動車メーカーはアルミモノコックにカーボンモノコックに手を出す契機になった。

**********************************

ホンダNSXとの惜別 NA1とNA2、NC1 和製スーパーカー3世代を比較 前編
12/25(土) 7:05 Yahoo!ニュース
 20
 
量産車初の総アルミニウム・モノコック
 
ホンダNSX レッドの初代NA1型とイエローのNA2型、レッドの2代目NC1型
戦後間もない頃、20世紀中に日本が経済や技術で超大国と呼ばれる地位を築くと考えた人は、どれだけいただろうか。なにしろ、ドイツのアウトバーンメルセデス・ベンツ300SLが疾走していた1954年、日本には充分な舗装路も存在しなかったのだから。

【写真】和製スーパーカー ホンダNSX 初代と2代目を比較 最新の特別仕様タイプSも (94枚)

ランボルギーニが、スーパーカーという言葉を生み出したミウラを発表したのは1966年。その頃でも、日本の自動車メーカーがミドシップの傑作を創出するとは、多くの人が想像しなかっただろう。

しかし、1948年に現在の本田技研工業を創業した本田宗一郎氏は、欧州製モデルと一般道だけでなくサーキットでも渡り合えるクルマを作りたいという、大きな思いを抱いていた。そして1984年、NSXのプロジェクトがスタートする。

ホンダはモータースポーツの最高峰、F1での活動に積極的だった。同時に、フェラーリ308などが人気を集めるスーパーカー市場へも、強い関心が向けられていた。

初代NSXの開発では、当初から高い理想が掲げられていた。世界で初めて、量産車として総アルミニウム・モノコックを採用したことは、それを端的に表している。30年以上前のロータス・エリート・タイプ14級に、画期的な設計を採用していたのだ。

1984年には、日本初の量産ミドシップ・スポーツ、トヨタMR2が発売されている。だがNSXは、ホンダが主張したように、別カテゴリーに属するスーパーカーだった。

4カムにチタン製コンロッド、VTEC
 
ホンダNSX(初代NA1型/1990~2005年/英国仕様)
エンジン・コンストラクターとして、ホンダがF1界を牽引していた1980年代。当時のF1の流れを汲むV型12気筒エンジンが、NSXに搭載されるのではないかと考えた人もいたはず。

そんな予想を横目に、技術者がNSXの心臓に選んだのは新開発のV型6気筒エンジンだった。2977ccの排気量に、クワッドカム・ヘッドとチタン製コンロッドを採用。電子的にリミッターを掛けた状態で、8300rpmという高いレブリミットを実現している。

さらにホンダのFFスポーツ、CR-Xに投入されていた先進的な可変バルブタイミング・システム、VTECを搭載。ターボやスーパーチャージャーといった過給器に頼ることなく、リニアで刺激的なパワーデリバリーを可能としていた。

アルミ製のモノコックにNA V6エンジンが組み込まれたのは、栃木県の専用工場。約200名の優れた技術者が選ばれ、NSXは丁寧に仕上げられた。当時のシビックは1台の製造に12時間を要していたが、NSXの製造には、3倍以上の40時間を掛けていたという。

モータースポーツでの活躍というイメージも重なり、高度な技術が与えられたNSXには多くの需要が生まれた。充分な現金を用意できたとしても、ホンダのスーパーカーを手に入れることは、当初は容易ではなかった。

とはいえ、フェラーリ並みに世界中の文化へ強い影響を与えたとまではいえないだろう。北米のテレビドラマ、私立探偵マグナムやマイアミバイスを飾った跳ね馬とは違い、ホンダNSXがテレビ画面に登場する機会は少なかった。

技術に関心を持つ人を惹きつける
 
ホンダNSX(初代NA1型/1990~2005年/英国仕様)
しかし、グランツーリスモやニードフォースピードといったテレビゲームの世界では、NSXは強かった。若者が深夜に楽しむサブカルチャーの世界では、大きな存在感を示していた。

若すぎて運転免許を持てない10代前半の心に、レンダリングされた日本製スーパーカーは深く刻まれた。そんな1人が、ジェフ・ドビー氏だ。ホンダに身も心も魅了され、今回ご登場願った見事なNA1型NSXを大切にしている。

マニュアルのトランスミッションに、パワーアシストの付かないステアリングが搭載された、ストイックな仕様だ。走行距離は、もうじき2万6000kmになろうかという浅さだという。

「子供の頃は、それほどNSXが大好きというわけではありませんでした。部屋に貼っていたポスターはフェラーリ。308GTBやベルリネッタ・ボクサー、512BBなど」。と笑顔でドビーが話す。

「グッドウッド・サーキットに近い、英国南部のミッドハーストという街に住んでいた時期がありました。ある日、隣に住む年配の男性がNSXに乗り換えたんですよ。ボディはあちこち凹んでいて、トランクに台車を載せて使っていたりしましたね」

「そのクルマの影響で、興味を持つようになりました。人とは違うクルマが欲しいと思っていたので、その隣人を説得して売ってもらいました。それがNSXの始まりです」

「それから、このクルマに乗り換えています。ステップアップするように。自分のようなクルマ好きや、技術に関心を持つ人を惹きつけるようですね。NSXはとても完成度が高いと思います」

デザイナーはエンツォの奥山清行
 
ホンダNSX(初代NA1型/1990~2005年/英国仕様)
NSXプロジェクトが始まった頃、ホンダからHP-Xというコンセプトカーが発表された。そのスタイリングには、イタリアのピニンファリーナ社が関わっていた。

一方で、量産車としてNSXのデザインをまとめたのは、当時のホンダのデザイン部門を率いていた奥山清行氏。後にエンツォ・フェラーリを手掛けるデザイナーだが、NSXのスタイリングは、発表時から焦点となる話題の1つだった。

ドビーが話を続ける。「斜め後ろからの見た目は、正直あまり好きではありません。開発時に、リアのトランクを大きくする決定をしました。ホンダらしいといえますが、少し実用的すぎると思います」

スーパーカーへの判断として良かったのかどうか、今でもわかりません。でも、他とは違うことは確かですね」。そう話しながら、フォーミュラ・レッドに塗られたクルマの鍵を貸してくれた。

ホンダNSXのオーナーの多くは、その魅力を人に知って欲しいと考えている。F-16戦闘機にインスパイアされたという、ルーフがブラックに塗られたコクピットに座る。VTECエンジンは臨戦態勢にある。

張り詰めた緊張感までは感じられないものの、NSXのすべては高度にチューニングされている。自然吸気のV6エンジンは、アクセルペダルの操作に対して瞬間的に反応する。アイドリングからレブリミットまで、漸進的にパワーが高まる。

この続きは中編にて。
グレッグ・マクレマン(執筆) ジェームズ・マン(撮影) 中嶋健治(翻訳)

**********************************