自動車マスコミの観点はそれだけ?

昭和のクルマは、リトラクタブルヘッドライトとクーペだから良かった?自動車マスコミの観点はそれだけ?軽量とコンパクトが全く抜けている。

日本の自動車は、80年代中盤まで5ナンバーを基本に進化して来た。だから、排気量2リッター、車幅1.7mが主なところで、家やビルの駐車場も道路もそれを基準に作られた。もっと世界に売り出すコトを考えていたら、1.4リッターをやれば良かったのだが。

元々、与えられた規格の中で最高のモノを・・・となれば、日本かドイツなのだ。

日本は5ナンバーいっぱいで最高のトルク⇒出力を絞り出す観点で、2リッターターボを頂点にしてクルマを作った。ロータリーターボにしても同じ考えだ。

後は、どれくらいの車体に積むか、どれくらいのタイヤを履かせるかである。大きいと旋回の踏ん張りや安定性は高いが、重くなりがちになる。この当時は、キチンと規格遵守されていた。タイヤもソコまで大きくなかった。その中で、最大限の運動性と操縦性を追求された、機能美だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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昭和車は「だから」カッコイイ! 「リトラ」と「クーペ」の2大武器が胸熱のクルマ4選
12/31(金) 11:43 Yahoo!ニュース
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スポーツカーといえばクーペでしょ!
 
初代から3代目まで、すべての世代でリトラクタブルヘッドライトを採用していたRX-7
 昭和のスポーツカーといえば、欠かせないアイテムが「リトラクタブルヘッドライト」。ヘッドライトが隠れているだけで、実際以上にノーズは低く見えたし、空気抵抗は小さくなっているように感じたし、なによりカッコイイと憧れの存在になった。とくに昭和50年代は、そうした空気がクルマ好きの共通認識と言える時代だった。

【写真】スタリオンのフロントスタイリング!

 そんな昭和に生まれた国産スポーツカーの中からリトラクタブルヘッドライトが似合っていた、伝説のスポーツクーペといえるモデルを独断と偏見でピックアップしてみた。デビュー年次に合わせて紹介しよう。

1)マツダRX-7

 1970年代に日本中を席捲したスーパーカーブームに、国産車として唯一参戦できたのが、昭和53年(1978年)に登場した、マツダ・サバンナRX-7だ。RX-7として初代となるこの型(SA22C)は、まさにスーパーカーの象徴的装備といえるリトラクタブルヘッドライトを備えたスタイリッシュなスポーツクーペだった。

 しかも、国産メーカーではマツダだけが量産に成功したといっても過言ではない2ローターエンジンを載せていたのだ。ただし、初期型のロータリーはNA仕様であってロータリーターボが登場したのは1983年のことだ。そして1985年には2代目RX-7FC3S)へとフルモデルチェンジを果たした。3代目(FD3S)でもリトラクタブルヘッドライトを採用しつづけたRX-7は、まさにリトラクタブルヘッドライトの申し子ともいえる日本を代表するスポーツクーペであり、スポーツカーだ。

2)三菱スタリオン

 昭和57年(1982年)に三菱自動車が生み出した武骨なスポーツクーペ「スタリオン」もリトラクタブルヘッドライトを搭載したスポーツクーペとして記憶に残る一台。リトラクタブルヘッドライトを前提としたシャープなフロントマスクの奥には、4気筒エンジンが縦置きに搭載され、上級グレードはターボ仕様を積んでいた。つまりFRスポーツクーペだったのだ。

 まだまだ欧米のスポーツカーに比べると少なからず差があると感じていた時代に、真向から世界に立ち向かっていったのがスタリオンだ。たとえば、グループA規格のツーリングカーレースでは唯一の日本代表状態であったし、アメリカ映画『キャノンボール2』ではランボルギーニカウンタックやシボレー・コルベットといった名立たる世界のスーパーカーとバトルを繰り広げた。モデル晩期の1988年にはブリスターフェンダーを備え、2.6リッターターボエンジンを積んだ3ナンバー仕様も登場。昭和の少年は、その角ばったスタイリングに憧れたものだ。

漫画&アニメで大人気となって中古車市場が大荒れに
 
ハチロク」として現在も愛されるAE86型スプリンター・トレノもリトラクタブルヘッドライトだ。
3)トヨタ・スプリンタートレノ

 言わずもがな、「ハチロク」の愛称で呼ばれたAE86カローラ・レビン/スプリンター・トレノがトヨタから登場したのが、昭和58年(1983年)のことである。レビンは異形角型ヘッドライトだったが、トレノはリトラクタブルヘッドライトを採用することでスタイリングを差別化していた。

 走り重視のユーザーからは「フロントオーバーハングの軽いレビンはバランスがいい」といった声も聞こえてきたが、スーパーカーブームの洗礼を受けた少年たちが免許を取るようになった、このタイミングではトレノを欲するユーザーも少なくなった。実際、スプリンター・トレノについていえばFFになったAE92型でもリトラクタブルヘッドライトを継続採用されるなど、トレノの特徴として認識されていた。

 あらためてAE86型スプリンター・トレノのプロフィールを整理すると、駆動方式はFR、エンジンは排気量1.6リッターで16バルブDOHC4A-G型、ボディは3ドアハッチバックと2ドアの2種類で、いずれもスポーツクーペとして認知される形状であり、メカニズムだった。同時にフルモデルチェンジした4ドアセダンはFF化した中で、スポーツクーペはFRを残したことは、この時代においても人気を高めたが、AE86トレノが伝説となるのは、その後のドリフトブーム、そしてコミック・アニメ「頭文字D」であることは間違いない。

4)スバル・アルシオーネ

 最後に、時代を先取りしすぎていた国産スポーツクーペを紹介しよう。それが4WDターボのスバル・アルシオーネだ。初代アルシオーネの誕生は、昭和60年(1985年)で、それまでのスバル車からは想像できないような空力重視のウェッジシェイプは、国産スポーツクーペの中でもスマートなフォルムに感じられた。その大きな要因がリトラクタブルヘッドライトの採用にあったことは言うまでもないだろう。

 アルシオーネのエンジンは、当時のスバルの主要モデルであるレオーネが積んでいたのと基本的には同じ1.8リッター水平対向ターボエンジンで、駆動方式はFFと4WDを用意した。モデル後期の1987年には、その4気筒エンジンを6気筒化した2.7リッターエンジンを搭載、電子制御4WDシステムを採用するなどエンジニアリング的にも高いレベルにあるスポーツクーペへと成長していったが、スバルファンの憧れの存在として唯一無二の魅力を持つモデルだったが、残念ながらビジネス的には成功することなく、後継モデルのアルシオーネSVXへとバトンを渡したカタチになったと記憶している。
山本晋也

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