未だに、全く片手落ちな報道!巨人4-3近鉄

何で、野球マスコミはこんな片手落ち記事を未だに出すの?

元々は、巨人が2年越しに西武を下して日本シリーズに来た近鉄に対して、「阿波野とブライアントだけのチーム」「他は大したコトないチーム」と吹いていた。だから、近鉄選手達は怒って打ちまくり、3連勝した。

近鉄にとっては、良い流れだった。甘く見ていた巨人は、「こんなハズでは・・・」の3連敗。

仰木彬監督は、権藤投手コーチを通じて第4戦の先発を阿波野に打診した。しかし、ソコまで先発抑えにフル回転していた阿波野、「明日、行け!」と言われたら行ったろう。しかし、打診レベルなら「もう1日もらえたら、万全で行ける。」と答えた。

第4戦、巨人香田が近鉄打線を抑え、流れを変えてしまった。阿波野が投げていたら、香田が近鉄打線を抑えるより、阿波野は巨人打線を抑えて近鉄に初の日本一をもたらしたろうに。

野球は、選手の体調よりもリズムや流れの方が勝負に影響するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

************************************

89年日本Sで近鉄に3連敗「ロッテより弱い」と聞き…藤田元司監督が放ったひと言(中尾孝義
2/4(金) 9:06 Yahoo!ニュース
 12 
1989年日本シリーズ第3戦で好投する近鉄・加藤(C)共同通信社
【「革命捕手」中尾孝義が見たプロ野球】#18

 11試合連続完投勝利の斎藤雅樹、打率.378で首位打者とMVPを受賞したクロマティが活躍した1989年。巨人は独走でリーグ優勝を決め、日本シリーズ近鉄との初顔合わせとなった。

巨人・斎藤雅樹が成し遂げた不滅の「11試合連続完投勝利」これが舞台裏だ

 12球団随一のチーム防御率(2.56)を誇る巨人の強力投手陣対近鉄の主砲・ブライアントが牽引する猛牛打線という構図だった。

 第1戦の舞台は近鉄の本拠地・藤井寺球場。巨人は20勝を挙げたエース斎藤がマウンドへ上がる。しかし初回、大石第二朗(現・大二郎)に先頭打者ホームランを浴びて出はなをくじかれた。一度は逆転したものの、六回に鈴木貴久に2ランを打たれて3-3の同点。七回には新井宏昌さんの適時打で試合をひっくり返された。事前に近鉄打線を研究して臨んだものの、相手が得意の高さや球種を要求してしまった私の責任だ。斎藤はここで降板。試合も3-4で敗れた。

■ブライアントの攻略法が分かった

 巨人は斎藤、桑田真澄宮本和知を投入して3連敗。初の日本一を目指す近鉄に王手をかけられ、絶体絶命の窮地に追い込まれた。この試合で先発し、勝ち投手となった近鉄加藤哲郎がヒーローインタビューで「(巨人は)なんてことなかった。シーズンの方がよっぽどしんどかった。相手も強いし」と発言。私たちには「(巨人はパ・リーグ最下位の)ロッテより弱い」と伝わった。この発言で巨人ナインが奮起したことになっていて、よくクローズアップされる。確かに近藤昭仁ヘッドコーチが試合後のミーティングで「加藤がこんなことを言っとったそうだ。『ロッテ打線の方が巨人より手応えがある』とな。そんなことを言われたら、ジャイアンツの名がすたるぞ!」とゲキを飛ばした。そのインタビューはバスの中のテレビで見たものの、私たちがそれで奮起したというのは違う気がする。

 藤田元司監督は「ここまできたら開き直ろう。ここからはトーナメントと同じ。みんな高校野球で経験しているはずだから、その時を思い出して戦おう」と言った。3連敗を喫しても、なぜか勝てる気がしていた。

 捕手目線で言うと、打たれた3試合で近鉄打線の特徴や攻め方をつかめた。特にブライアントの攻略法が分かったことは一筋の光明だった。対戦してみて、低めは強いものの、「高めの速球」と「内角に入ってくる変化球」が弱点だと分かった。実際、1~3戦までは9打数3安打、打率.333と打たれたが、4~7戦は15打数1安打、同.067に抑えることができた。ただ、最も大きかったのは4戦目に先発予定だった香田勲男の存在である。そのシーズンは7勝3敗だったが、振り回してくる猛牛打線に「ある持ち球」が合わないのではないかと感じていたからである。

中尾孝義/元プロ野球選手)

************************************