ヤマハRZ350/250

ヤマハRZ350/250、2サイクル車両のスポーツ性を前面に出した、画期的なオートバイだった。「サーキットの狼」の池沢さとしが次回作として描いたのが「街道レーサーGO」という作品で、主役機は"ナナハンキラー"ヤマハRZ350だった。4サイクルはクランク軸2回転で各シリンダー1回爆発なのに対し、2サイクルはクランク軸1回転で各シリンダー1回爆発する。理屈の上では、倍の排気量とも戦えるくらい、2サイクルの方が、小排気量でも馬力&トルクを取り出せる反面、出力特性がピーキーと言われ、乗り手を選ぶとも言われた。尚、RZの輸出用RDにはレーシーなカウリングが装着されていた。

ワタシ個人は、スーパーカープラモデルの後にオートバイプラモデルに行き、このRD350やCB1100RやCBX400FやCB750ボルドールやCX550ターボなどを作った。

*********************************

ヤマハ「RZ250」歴史解説|元祖レーサーレプリカ! 起死回生の2ストロークモデル
2/20(日) 19:10 Yahoo!ニュース
 36

デビュー翌年には1万8214台を販売
 
ヤマハ「RZ250」
2ストロークロードスポーツの存亡が、オイルショックと米国市場の環境規制によって脅かされていた1970年代末、2ストローク技術を創業時から一貫して育んできたヤマハは、起死回生の意欲作造りに取り組んだ。そして1980年代の幕開けとともに誕生し、瞬く間に大ヒット作となったのがRZ250だ。

【写真はこちら】ヤマハ「RZ250」の全体と各部(全9枚)

エンジンはヤマハ量産車としては初めての水冷機構を採用。黒塗りされた並列2気筒エンジンは、世界のロードレースで活躍する市販レーサーTZをイメージさせるものだった。

もちろんその出力は公道モデルとして適するように抑えられていたが、35PSという数字は既存の250スポーツをはるかに上回るものだった。

初物だったのは水冷エンジンだけではない。RZ250に採用されたリアサスペンションは、まずはモトクロスで、続いてロードレースでその優位性が実証されたモノクロスタイプ。

ヤマハ公道用モデルとして初の「1本サス」を与えられたRZ250用のフレームは、単体で前代RD系と比較して20%も軽量な12kgにおさまっていた(2.7kg減)。

そのほか軽量化の徹底により、3.97kg/PSという当時としてはかなり優れたパワーウェイトレシオを達成したRZ250は、1979年11月の東京モーターショーでの反響を受け、1980年8月から国内で販売されることになった。

そもそもは欧州市場向けのRD350LCが開発の主眼であり、当初ヤマハは国内市場のことを特に意識していたわけではなかった。しかしRZ250は日本のライダーたちに熱烈に支持され、1981年度はクラス首位の1万8214台を売り上げた。

1980年代のクォーターブームの起爆剤、そして後のレーサーレプリカブームの嚆矢として、RZ250の存在は歴史に刻まれることになった。
オートバイ編集部

*********************************