マセラティー・ブーメラン、あくまでコンセプト・カー。

マセラティー・ブーメラン、あくまでコンセプト・カーでしかなかったのに、ミニカーにもプラモデルにもなっていた。

あの当時のマセラティー、ミドシップカーとして存在していたのはボーラかメラク、ボーラのシャシーにこんな低く鋭いデザインのボディーを架装したのは、自分がベルトーネを出た後にセンセーションを巻き起こしたガンディーニへの対抗心からだったのでは?

ガンディーニストラトスやマルツァルなどを発表していた。空力への考察も進んでいなかった頃、フロントを低く鋭くデザインするコトが、より抗力少なく前に進むための最適解だと信じられていた。

マセラティー・ブーメランはコンセプトで終わったが、ベルトーネ/ガンディーニランボルギーニカウンタックで具現化させた。まだ、グランドエフェクトも発見されてなかった頃だ。

 

 

 

 

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クルマはトンガってればカッコイイ時代があった! 幻のスーパーカーマセラティ・ブーメラン」のトンガリっぷりがスゴイ
3/27(日) 17:01 Yahoo!ニュース
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50年前にマセラティ新時代を切り拓こうとしたコンセプトカー
 
コンセプトカー1台だけで幻に終わったマセラティ・ブーメラン
 つっぱることが男の勲章だった時代は1980年代ぐらいの話だが、70年代には確かに「トンがることがカーデザイナーの勲章」みたいな時代があった。その白眉が、1972年ジュネーブ・ショーで鮮烈に登場したコンセプトカー「マセラティ・ブーメラン(Maserati Boomerang)」だ。いや、あの当時はあえて「マセラッティ」だったっけ。

【画像】後のスーパーカーたちの原型のような「ブーメラン」をじっくり見る(全13枚)

ウェッジシェイプの先駆者ジウジアーロがデザイン
 
1972年のジュネーブ・ショーでデビュー
 ブーメランが特異とされるのは、全盛期のウェッジシェイプを究めたその尖り具合にある。デザインを手がけたのは「イタルデザイン」のジョルジェット・ジウジアーロ。ブーメラン登場前年には「ランボルギーニカウンタック」が、同じく「ベルトーネ」出身で後輩筋にあたるマルチェロ・ガンディーニの手によってデビューするなど、若手デザイナーたちがバチバチな時期だった。
 ジウジアーロにすれば、ウェッジシェイプを先駆けたのは俺俺俺、という主張もあったかもしれない。そうしたスーパーカーの檜舞台とされたのが3月頭、スイスの「ジュネーブ・サロン」だったワケで、ここ2年ぐらい開催されなくなってしまったのはストレートに淋しい。
 ちなみにイタルデザインがVW傘下になったとき、発表の場に選ばれたのもジュネーブだった。歴史の場はやっぱり大切にされているのだ。

ほとんど宇宙船のような未来的デザイン
 
キャビンは外からほぼ丸見え
 というわけで50年前のブーメランをふり返ると、やはりアツいものがある。現代の空力は、柔らかく掴まえて限りなくスムースにボディの中や下をも使って流すのが主流だが、このころはとにかく切り裂く「ウェッジ」(=くさび)であることが求められた。前面投影面積を減らすため、キャビンとルーフもほとんど四角錐状に上に向かって絞られていたのだ。
 車高はなんと、立体駐車場に入らない=1550mmオーバーのSUVが当たり前の現代と比べるとびっくりワンダー! な、わずか1070mm。車内で立ったまま着替えがしやすいからファミリーカーはミニバン、みたいな今ドキの小学生には、意味不明の乗降性といえる。
 低いウェッジシェイプのコンセプトカーはそれまでにもあったが、ブーメランが時代を画していたのは、ノーズからサイド、リヤにかけて水平に上下を分けるラインの向こうに、キャビン内がほとんどシースルーで見えることだった。マセラティのGTとして、限られた車内空間で広く、さらなるスピード感を強める工夫であると同時に、外から乗員を見せてしまう点に、ほとんどSFめいた新しさすらあった。

「ボーラ」のシャシーで「カウンタック」と同じ低さを実現
 
車高はわずか1070mm
 それでいてマセラティ・ブーメランのパワートレインは、完全に市販車のそれと一緒だった。挟み角90度のV8・4719ccエンジンをZF製5速MTトランスミッションに組み合わせ、ミドに積むシャシーは「マセラティ・ボーラ」に基づくというか、まったく同じ。ホイールベース2600mmまで同じで、ジウジアーロとしては相当に市販化の期待をかけていたに違いない。
 むしろ前年の1971年から生産が始まり最終的には600台弱がラインオフしたボーラを、純粋にデザイン&空力を違えるだけでパフォーマンスを高めた別バージョンと、捉えていた節すらある。しかも先述の1070mmという車高は、奇しくもカウンタックと同一値でもある。

70年代スーパーカーたちの原型というべき美しさ
 
ジウジアーロはその後ロータスエスプリやデロリアンDMC-12を世に送り出している
 だがスーパーカーではあるが、スポーツカーというよりGTであり続けるマセラティとして、限られた居住性はネックだった。加えてエンジン屋として、エンジンでない部分でパフォーマンスが向上するであろうストーリーも、プライドが許さなかったのかもしれない。かくしてブーメランは、その特徴や存在理由そのものが、ブーメランとなって、ワンオフのコンセプトで終わってしまった。
 だが、その後も「メラク」に「カムシン」、ライバルを見渡せば「ランボルギーニ・ウラッコ」に「デ・トマソ・パンテーラ」、「ロータスエスプリ」、「デロリアンDMC-12」まで、ウェッジシェイプの市販モデルの居住性は著しく向上した。
 あのカウンタックだって市販はブーメラン発表に遅れること2年後の1974年だ。60年代末のウェッジシェイプのコンセプトカーなどと比べると、その進化は明らかだった。だからこそ、マセラティ・ブーメランは次の時代の美を作り出したという意味で、今も鮮烈なのだ。
南陽一浩

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