巨人伝説の三塁手、おかしくない?

巨人伝説の三塁手5人、長嶋茂雄高田繁原辰徳小笠原道大村田修一だって?

一体、どういう基準?

長嶋は言わずと知れたV9の三塁手。原や小笠原や村田は日本一になったコトがある程度。高田は2度のリーグ優勝やダイヤモンドグラブはあるが、日本一はない。

原は、2年目に肉離れでもムリヤリ試合に出たツケで、アキレス腱痛を抱えた。江川や西本や定岡らから、"不動の迷三塁手"と言われていた。

小笠原は、割と正面で捕りに行かずシングル/逆シングルが多く、桑田の解説でも軽いプレーとよく言われていた。

村田は、前後は良く動くが、横方向は三塁線側/三遊間側どちらも良くなかった。日本シリーズ、戦力的に圧倒的に優っていた楽天に負けたのは、カレと坂本の連携ミスによる。

高田は、レフトでの"塀際の魔術師"と言われ、レフト線クッションボール処理二塁刺殺を得意としたが、三塁手でも三塁線側の処理と強肩が売りだった。レフトと三塁手両方で、ダイヤモンドグラブを取った。

他にも、中畑は、三塁手での優勝や日本一はなかった。

仁志は、ルーキーでは三塁手だったが、二塁手にコンバートされた。

岡崎は、遊撃手だったが、足が悪くなり三塁手になった。

伝説と言うべきは、長嶋茂雄しかいない。三塁手守備として上手かったのは、高田繁だと思うけど。

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巨人史上最強! 伝説の三塁手5人(2)異例のコンバートに成功した名手
4/2(土) 11:51 Yahoo!ニュース
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巨人の歴代三塁手を振り返る。【産経新聞社提供】
 球史を振り返れば、どの球団にもポジションの代名詞と言える名選手がいるものだ。強いチームには、必ず確固たる地位を築くレギュラー選手の存在がある。今回は、ポジション毎に球団を支えてきた偉大な選手たちを紹介する。(読売ジャイアンツ三塁手編)

【表】セ・リーグ最強打者ランキングトップ10の移り変わり

異例のコンバートに成功した名手
 
現役時代の高田。【産経新聞社提供】
高田繁(たかだしげる
投打:右投右打
身長/体重:173センチ/70キロ
生年月日:1945年7月24日
経歴:浪商高-明治大
ドラフト:1967年ドラフト1位
〇新人王(1968年)
盗塁王:1回(1971年)
ベストナイン:4回(1969-72年)※すべて外野手部門での受賞。
〇ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞):6回(1972-77年)※1972-75年は外野手部門での受賞。
オールスターゲーム出場:8回(1968-73、75-76年)

 「V9」に欠かせない存在となった高田。チーム3連覇中の1968年に入団し、即戦力として左翼のレギュラーを奪取。規定打席未到達ながらリードオフマンの役割も担い、打率.301、23盗塁、出塁率.383の好成績で新人王に選出された。翌年から4年連続ベストナインを受賞し、71年には盗塁王(38個)を戴冠。また、“壁際の魔術師”と称された左翼守備でも高い貢献度を誇った。大きく環境を変えたのは76年、張本勲の加入に伴い、三塁へ異例のコンバートが決定。それまで内野手出場はなかったが、猛練習が実を結び、転向初年度から順応。打撃でもキャリアハイの打率.305をマークしてリーグ優勝に大きく貢献し、同年から2年連続、外野手時代と合わせて6年連続となるダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)に輝いた。

 通算成績は、1512試合出場、打率.273、1384安打、139本塁打、499打点、200盗塁となっている。
ベースボールチャンネル編集部

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