生産終了!シーマの変遷。

ニッサンには皇室用のロイヤル、VIP用のプレジデント、通常高級車のグロリア/セドリックがあった。トヨタで言えばクラウンとセンチュリーの間、ニッサンで言えばグロリア/セドリックとプレジデントの間を突いたマーケティングだった。

ソコにグロリア/セドリックより上の高級車として、Y31⇒FY31となる初代シーマがデキた。Y31を拡大し、ジャガー的に伸びやかなボディーデザインを与えた。あくまでドライバーズカー、運転する高級車だ。グロリア/セドリックを更に強化した3リッターV6ターボを搭載した。

初代シーマとしては成功したが、以後のハードルを上げてしまった。3リッターターボは、実質5リッター相当のトルクを発生する。ドライバーズカーとして、そのトルクを味わってしまった。

そのせいで、ニッサンが次に出したQ45と2代目シーマのNA、4.5/4.1リッターではトルク不足であるコトをわからずに設定してしまった。パワーが上回っていれば良いと勘違いしていた。技術者自体が、パワーとトルクの効き方の違いをわかっていなかった。

だから、代を追って増えていく車重と共に、益々動力不足なクルマになって行った。

トヨタは、初代セルシオLS400こそ4リッターV8だったが、3代目で4.3リッター、以降、4.6リッター⇒5リッターと排気量を増やした。

 

 

 

 

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日産 シーマ、生産終了を報じられる…ビッグカーの栄枯盛衰[フォトヒストリー]
4/3(日) 17:00 Yahoo!ニュース
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日産シーマ初代
日産自動車の最高級セダン、『シーマ』の生産終了が報じられた。「日本における“ビッグカー”の時代はシーマの誕生とともに幕を開けた」と日産は自負する。5世代・32年間の歴史を振り返る。

【写真】日産シーマ・フォトヒストリー(自動車電話など全27枚)

●初代シーマ・FY31型(1988~91年)

シーマはスタイリッシュな3ナンバー専用モデルとしてデビューした。それまでの高級車イメージとは異なる、スタイリッシュでスペシャリティカーふうのキャラクターだ。出力255PSのV6・3Lターボエンジンは当時の日産車における最高出力で、圧倒的な走りも実現していた。消費者が高額商品を指向する当時のトレンドを象徴して、その傾向が「シーマ現象」と呼ばれることになる。車名は「セドリック・シーマ」、「グロリア・シーマ」だった。

●2代目シーマ・FY32型(1991~96年)

車名が「シーマ」となった2代目は、ロングホイールベース化による大型化で、高級車イメージを醸成させた。当時の日産で最多の気筒数となるV8エンジンを搭載し、走りのダイナミズムと室内の快適性とを両立させた。

●3代目・FY33型(1996~2000年)

先進のテクノロジーが充実した3代目。国産車で初めてとなるSRSサイドエアバッグや油圧アクティブサスペンション、VDCビークルダイナミクスコントロール)を採用した。最新の装備を搭載し、車名=頂点にふさわしい車になったが、いっぽうで初代のパーソナル感はなくなった。

●4代目・F50型(2001~10年)

4代目は、4.5L・V8エンジンの走りに加え、レーンキープサポートシステムやマルチプロジェクターキセノンヘッドランプなど、最先端の安全技術を投入した。新世代プラットフォームを採用し、『プレジデント』と兄弟車になった。

●5代目・Y51型(2012年~)

2年のブランクをおいて登場した5代目。歴代シーマは、その時代の最先端技術に支えられた走行性能や装備がユーザーに支持され、評価を得てきた。5代目は「シーマのDNAである“圧倒的な走行性能”を継承し、高い動力性能、快適性や安全性に加え、優れた環境性能も兼ね備えた」と謳う。セドリック/グロリアの流れを汲む『フーガ』の上級に位置し、プレジデントが無くなった今、日産の最高級セダンになっている。
レスポンス 高木啓

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