原辰徳が再生屋?どの口が言ってるの?

ジャイアンツきっての再生屋?ドコ見て言ってるの?むしろ、獲得選手のザルぶり、選手の最後を搾り、壊したり出涸らしにして、終わらせるヒトだろ?

FA獲得しては、1・2年働くかどうかで、後はガタガタにして放出するか、引退に追い込まれるかじゃん!

使えない選手を大枚投じて獲得した。

杉内は1年全うできずに、後はずっと故障で引退じゃなかった?また、野上や片岡や岩隈は1軍の試合に出たか?選手スカウティングとして、ザルが過ぎてない?

特に、加藤のイカサマ付ながらの日本一にも貢献した小笠原や村田は、キャンプ早々での160キロマシン打撃強制でバッティングそのものを壊され、小笠原は放出、村田は高橋由監督の時に強制引退させられた。

外人獲得でも、似た傾向。

グライシンガーとラミレスをヤクルトから引き抜いたコトあるが、巨人では数年持たなかった。グライはロッテに、ラミは横浜に行った。ラミは横浜で引退し監督にもなり、球界最低GMの現場介入を廃し、CS勝ち抜き日本シリーズにも出た。

キューバからゼペタを獲得しても、最初だけだった。

マイコラスはちょっと働いて、すぐいなくなった。

ホントに貢献した実感あるのは、中継/抑えのマシソンくらいか?

「再生屋」ではなく「終らせ屋」だ。

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原辰徳ジャイアンツきっての「再生屋」。初の監督就任から20年、冴え渡るもうひとつの手腕
4/4(月) 10:50 Yahoo!ニュース
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原監督は移籍2年目の中田翔をどのように再生していくのか
オープン戦は4勝11敗2分で最下位だった巨人だが、いざフタを開けてみれば、原辰徳監督体制で通算16試合目となった開幕戦で10勝目(6敗)をマーク。開幕カードの中日戦、次カードの昨季日本一のヤクルト戦に勝ち越し、幸先いいシーズンの船出を切った。

【画像】中田翔が「日本ハムを出る前にやるべきだった」ことは?

 今季の巨人でキーマンのひとりと見られているのが、5番一塁でスタメンに名を連ねる中田翔だ。昨季8月に日本ハムから無償トレードでYGのユニフォームに袖を通したものの、巨人では34試合に出場して打率.154、7打点、3本塁打と、暴行問題の尾を引きずったためか精彩を欠いた。

 しかし、今季は開幕2戦目から3試合連続安打と好調を維持し、再生の兆しを見せている。4番・岡本和真のあとに控える中田が勝負強い本来の打棒を取り戻せれば、リーグ制覇や悲願の日本一にも近づくはずだ。

 その中田に一塁のポジションを空け渡す形となった中島宏之も、今季は早くも存在感を見せている。開幕2戦目では代打で出場して、プロ通算1900安打目となる貴重な同点タイムリーも放った。振り返れば、中島も原辰徳監督のもとで再生を遂げた選手だ。

 中島は2012年まで西武の主力として活躍し、WBC日本代表にも選出。2013年には海外FAでMLBオークランド・アスレチックスへ移籍した。そこから2シーズンはマイナー暮らしが続き、2015年にオリックスとの長期契約で日本球界に復帰。ただ、かつての輝きは放てずに2018年オフ、大幅な減俸提示を拒否して自由契約になった。

 そこにラブコールを送ったのが原監督だった。1年目はお払い箱になっても不思議でないほどの打撃不振だったが、2年目の2020年はオープン戦から結果を残して出場機会を手にすると、開幕戦に6番一塁で出場。このシーズンは100試合で打率.297、7本塁打、29打点をマークし、オリックス3年目の2017年以来となる300打席超えも果たした。

補強は大物選手ばかりではない

 巨人の戦力補強と言えば、FA戦線で同一リーグのライバル球団から主軸を引き入れるイメージが強い。実際、原監督が2001年オフに初めて監督に就任した第一次政権、2005年オフに復帰して2015年まで長期政権を敷いた第二次政権、そして2018年オフに3度目の登板を果たした第三次政権で、巨人は数多くのFA補強を敢行してきた。

 16年間でその数16人。FA補強をしなかったシーズンも7年あるものの、そうした年には2002年のペタジーニ(ヤクルト)やペドラザ福岡ダイエー)、2007年のアレックス・ラミレス(ヤクルト)やグライシンガー(ヤクルト)やクルーン(横浜)などのように、日本プロ野球で実績のある外国人選手を手中に収めている。

 華々しさゆえにスポットライトがそこに当たるのは当然なのだが、一方で原監督が歴代の巨人監督と違うのは、『再生屋』としての色気も見せてきたことだろう。中田や中島のように環境や起用法を変えれば再生できる、戦力になる、と睨んだ選手に何度も手を差し伸べてきた。

 そこで今回は、原監督がこれまでの16年間で獲得した、他球団で働き場を失って自由契約や戦力外になったり、金銭・無償トレードで自軍に引き入れたケースを振り返ってみよう。

 ヘッドコーチから監督に昇格した2001年オフは、中日を戦力外になった武田一浩を獲得。2002年シーズンの武田は夏場に負った故障のためにこの年かぎりで引退するものの、プロ生活15年目の最後の眩い光を放っている。5月に古巣の中日戦で先発して勝利投手となり、史上3人目となる全球団からの勝利記録を達成。原監督が36歳のベテランにチャンスを与えなければ生まれない記録でもあった。

 第二次政権がスタートした2005年オフは、清原和博自由契約オリックスへ、江藤智がFA人的補償で西武へ、岡島秀樹が交換トレードで日本ハムへ去った一方、小関竜也(前・西武)をテストで、小坂誠(前・ロッテ)と大西崇之(前・中日)を金銭トレードで獲得。守備や走塁で定評があった3選手は、打力の求められる巨人では脇役に徹さざるを得なかったが、引退後に"戦力"になった。

居場所を失った選手にチャンス

 2008年かぎりで引退した小関は野球評論家を経て、2011年から2018年まで巨人の二軍コーチを担当。2020年からは古巣・西武でコーチを務めている。2011年から楽天でコーチ業をスタートさせた小坂も、2017年に巨人でコーチを担った。

 そして、2006年かぎりで引退した大西は、スカウトを経て2009年からコーチとして現場に復帰。2011年からは一軍コーチとして原監督の懐刀となった。そして今季からは、古巣・中日の三塁コーチとして立浪和義新監督を支えている。

 2006年オフに福岡ソフトバンクを戦力外となった大道典嘉も、原監督のもとで再生した選手だ。右打者不足だった巨人で「左キラー」「代打の切り札」として勝負強さを発揮した。

 2009年のポストシーズンではクライマックスシリーズで中日のチェン・ウェイン(現・阪神)、日本シリーズでは日本ハム林昌範から勝負どころでタイムリーを放って存在感を示した。巨人に移籍したことで、極端にバットを短く持つ打撃フォームは全国区となって、多くの子どもがマネをした。

 ロッテ時代は薮田安彦小林雅英とともに「YFK」を構成した藤田宗一も、原監督のもとでチャンスを手にした選手。2007年オフにロッテからのコーチ打診を断って現役続行を希望した藤田は、2008年から3シーズン巨人でプレー。2008年は39試合13ホールド、防御率3.10をマーク。開幕から間もない4月5日の阪神戦では、当時の日本記録となる527試合連続救援登板を記録した。

 2012年は、若手の台頭のあおりを受けて西武に居場所を失った石井義人が活躍した。スタメン出場は一度もなかったものの、代打の切り札として勝負強さを発揮。代打率.405、得点圏打率.444を記録し、同年のCSファイナルステージではサヨナラヒットを放ってMVPに輝いた。

 2013年オフには井端弘和、2014年には堂上剛裕、吉川大幾という中日を自由契約・戦力外となった3選手を獲得している。井端の中日時代の活躍は記すまでもないが、2013年10月に誕生した落合博満GMのもとで契約更改が暗礁に乗り上げ、最終的に自由契約での移籍となった。

巨人移籍でプロ生活が延命した

 2014年からの井端は、同年からFA移籍で加入した片岡治大の控えにまわったものの、内野のユーティリティとして存在感を発揮。2000本安打まであと88本に迫ったが、原辰徳第二次政権が幕を下ろした2015年かぎりでユニフォームを脱いだ。

 2014年オフに落合GMのもとで戦力外となった堂上と吉川も、原監督のもとで一時の光を放っている。2015年シーズン、堂上は育成選手から春季キャンプで支配下登録を勝ち取ると、力強い打撃で存在感を示して59試合で打率.276、3本塁打、13打点。翌年も左の代打として43試合に出場した。

 2011年ドラフト2位で中日に入団した吉川は、PL学園の先輩・立浪和義の背負った「背番号3」を引き継ぎ期待された。しかし、2014年オフの秋季キャンプ参加後に落合GMから戦力外通告を受ける。

 中日時代の3年間で34試合しか出場機会のなかった吉川だったが、2015年から加入した巨人では守備固めや代走で一軍に居場所をつくり、2020年までの5シーズンで234試合に出場した。わずか3年間で潰えていた可能性もあったプロ生活は、原監督のもとで8年まで延びた。

 右ひじ手術もあって今季は育成契約に戻った田中豊樹も、原監督のもとで花開いた選手だ。2015年ドラフト5位で日本ハムに入団したが、一軍でパッとしないまま2019年オフに戦力外通告。2019年の12球団合同トライアウトを経て巨人に育成契約で入団した。

 2020年、二軍での活躍が認められて7月に支配下選手登録されると、前年まで菅野智之がつけていた「背番号19」を与えられる。その期待に応えて、中継ぎで31試合1勝1敗1ホールド、防御率4.88の成績を残し、背番号59になった昨シーズンも39試合に登板し0勝0敗2ホールド、防御率2.84と存在感を示した。

 プロ野球は「最後は結果がモノをいう」世界であるが、まずはチャンスがなければ、結果の出しようがない。『再生屋』としての評価は委ねるが、原監督は16年の監督業のなかで数多くの選手にセカンドチャンスを与えてきた。そして今年は、どんな選手がそのチャンスを掴み、結果を残せるのか。原監督のもうひとつの手腕にも注目したい。
津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro

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