常盤貴子と言えば・・・ファンのヒト、ごめんなさい!

常盤貴子のファンにとって、代表作と言えば豊川悦司との「愛していると言ってくれ」やキムタクとの「ビューティフルライフ」のイメージだろうか?

ワタシは彼女のファンではないので、彼女の存在を認識し始めた作品として、深津絵里奥山佳恵との「悪魔のkiss」だ。昔、紺野美沙子夏目雅子や岸本加世子など、テレビで裸になるなど、フツ~にあった。オリジナルのストーリーも多かったから、ワザワザ起用して脱がすためにストーリーを作っていたようにも見えた。今は、マンガなど原作では裸なのに、ボカしたりオミットしている。あの寺脇康文にバスタオルを剥ぎ取られ、スッポンポンになった常盤貴子、約30年前になるだろうか?テレビドラマ最後の名場面ではないだろうか?プロポーションも、今の豊胸かパッド詰めか画像加工かヒドい巨乳ばかりの女性タレントらと違い、程々ちょい大きめくらいでちょうど良かった。

このドラマがあったから、竹野内豊との「理想の結婚」以降の仕事が続いたし、長塚京三の息子との結婚に繋がったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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常盤貴子愛していると言ってくれは受験生気分だった」
4/6(水) 18:02 Yahoo!ニュース
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常盤貴子さん
1990年代~2000年代にかけて、数々の主演ドラマを務めた常盤貴子さん。多忙なときは、1年間で3作品のドラマに連続で出ていた時期があったと言います。『愛していると言ってくれ』や『Beautiful Life』ほか、たくさんのドラマで話題を呼びました。次々にドラマ出演されるなか、どのように気持ちを切り替えて次の仕事に取り組んでいったのでしょうか。「関西の小学校に転校してから、性格が変わった気がします」と語る常盤貴子さん。お話を聞きました。

【写真】「忘れないと次にいけない」と語る常盤さん

キャリアの始まりは原宿の路上ライブの司会?
── 子ども時代は、どんなお子さんだったんですか?

常盤さん:
小学校4年生のときに、父の転勤で関東から関西に引っ越して。そこで、性格が明らかに変わった気がするんですよね。もともとは、そんなに明るい性格ではなかったんです。それが、関西の学校に通い始めたらあっという間に開花しました(笑)。

関西で7年間過ごした後、横浜に戻りましたが、「関西で培った性格」と「関東の性格」がいい感じにブレンドされたような気がします。

── その後、どのような経緯で芸能界に入られたのでしょうか?

常盤さん:
高校生のときに芸能事務所のスターダストプロモーションに自分で応募しました。憧れというより、ちょっとバイトといった感じで。

── はじめは、何か下積みからスタートされたんですか?

常盤さん:
誰もいないところで人を惹きつけられるようになりなさいと、原宿の歩行者天国で、路上ライブの司会をさせられていたことがあります。歌手志望の子たちが歌を歌って、女優志望の私たちは交代で司会を担当していました。

ただ、当時は完全にバイト気分だったので、むしろ「なんで、私は路上で司会をさせられてるんだ?」と、疑問に思いながらも、同世代の女優志望の仲間たちと構成を考えたり、より楽しんでもらえるように反省会をしたり、それなりに頑張ってました。極めたいとかいう向上心は一切ないのに(笑)。部活感覚だったんですかね。

寝る時間もなかったけど準備は嫌いじゃない
── たくさんのドラマの主演をされていますが、印象に残っているドラマはありますか?

常盤さん:
いちばん最近の作品でパッと浮かぶのは、『グッドワイフ』(TBS)ですね。16年ぶりに弁護士に復帰した主人公を演じましたが、大好きなドラマでした。

あとは、『愛していると言ってくれ』は、再放送も多いからか、今でも好きだと言ってくださる方が多いかな。

私も新人だったし、監督からたくさん演技指導されて。何もかも不慣れで大変でした。

ただ、何も知らないぶん、無我夢中で、すべてのことが新鮮で楽しかったんでしょうね。いろいろ吸収させてもらえました。

── ドラマでは、手話も話題になりましたね。

常盤さん:
手話は単語を覚えるのと一緒で、一つひとつ覚えていかないといけないんですね。

撮影前に手話で流暢に話せるくらいまで勉強できていればよかったんですが、さすがに時間がなくて。なので、セリフを覚えるのと同時に、手話も覚えることにしました。

── セリフを覚えて、さらに手話も勉強して。

常盤さん:
連続ドラマの台本って、日々変わっていくんですよ。だから、せっかくセリフを覚えても、台本が改訂されたらまた覚え直すんです。それに合わせて手話もまた勉強し直す必要がありました。

あと、撮影した時期が夏でした。

白夜とまで言いませんが、日が長いから、ずっと撮影できちゃうんです。

朝早くから夜遅くまで撮影しているから、深夜に帰宅してから翌日の準備をはじめるしかなくて。セリフはもちろん、手話は特に、覚えていないと絶対に出てこないから、どんな状況でも出てくるように準備しておかないと怖くて。

── かなりハードそうですね…。

常盤さん:
今思えば、普段の撮影の倍の努力が必要でした。いつも準備に追われていたし、寝る時間もあまりなかったなぁって。

でも、なんていうかな。これが意外と受験生みたいで楽しかったんですよ。忙しくても、そういった準備をすることは嫌いな作業ではなかったというか。

── ドラマの反響も凄かったですよね。

常盤さん:
そうですね。ただ、夏のドラマってよく視聴率が取れないって言われているらしくて。『愛していると言ってくれ』は、未だにいろいろな方々に感想を言っていただくわりに、実は視聴率は…(笑)。

ビューティフルライフ』のほうが、多分、数字的には良かったかもしれません。

──『ビューティフルライフ』は、平均視聴率30%、最高視聴率41.3%でしたね。

常盤さん:
そうだったかな。そんなような気もします。

── 2000年のドラマだから、今から20年前になりますしね。

常盤さん:
たくさんのドラマに出させていただきましたが、基本的にひとつの作品が終わると、すぐに忘れちゃうんです。逆に、忘れないと次にいけないというか。

──どんどん次に進むと。

常盤さん:
そうですね。

役を引きずったこともあったけれど…
── 1年間で3回連続主演をされていた時期もありましたが、気持ちの切り替えはいかがでしたか?

常盤さん:
ありがたいことに、ひとつの作品が終わって、次の作品に入るまで、最低3日~1週間のお休みは確保していただけたんです。事務所のマネージャーさんがすごく理解がある方でしたし、TBSのドラマが続いたので、局としても気をつかっていただいて。

── とはいえ、1週間で切り替えられるものですか?

常盤さん:
1週間あれば。経験と共に笑っちゃうくらい、どんどん早くなっていきましたね。

今なんて、撮影が終わって「お疲れ様でした!」って言った瞬間に、役が抜けるようになっちゃったし(笑)。

昔は、撮影が終わってもしばらくは引きずっていましたが、今は逆にリテイクなんて言われたら、かなり慌てるほどです。

歳を重ねるたびに思いがけない方向へと変わっていく自分が楽しみです。

PROFILE 常盤貴子さん
1972年生まれ。神奈川県出身。1991年に女優デビュー。『愛していると言ってくれ』、『Beautiful Life』(ともにTBS)ほか、多数の主演ドラマあり。映画や舞台、CM、ナレーションなど活動は多岐にわたる。

取材・文/松永怜
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