真相?カレは高校選抜で投げてたョ!ウソじゃないの?

「英断」の真実?週刊ポストも、事実関係をちゃんとわかって、覚えてて書いてるのか?

発表でもマメだと言っていた。マメは度合いに依るが、有名な話で早実王貞治が甲子園大会中にマメをツブしたが、それでもダマしダマし投げ、優勝投手になった。日頃の鍛練度合いにも依るが、日頃キチンと投げて指先皮膚がデキていれば、キズ口が固まり回復も早い。指先がデキてないなら、キチンと回復デキてない内に投げると、ソコより深く裂けたりする。確か、江川が20勝挙げた翌年にマメを言い訳にテーピングして投げ、バレて審判に注意受けたコトもある。

あの岩手県予選決勝、4番エースが登板しなかっただけでなく、出場すらしなかった。今更国保監督が言うようにマメより更に深刻な状況だったら、骨端線(?)軟骨組織が事実なら、回復は数日や数週間レベルのハズはない。(サントリーのグルコサミンくらいじゃ治るワケもないし。)それが、甲子園後の高校選抜にいけしゃあしゃあと参加していたのはどういうコトか?カレは、奥川や西らと並んで投げ、都合良さそうな試合を選んで、買って出て投げていた。

負傷で県予選を出場(登板ではない)エスケープした投手を高野連が高校選抜に招集したなら、それこそ大問題だ。国保監督は、コレを認めたのではない?それとも、コレらの決定に国保監督は関わっていない?全て、佐々木朗希自身と筑波大が決めた?そんなコトあり得るか?

週刊ポストとライター、キチンと事実確認し、わかって書いてるのか?運動経験ある?軟式なり硬式なりでボール投げて、マメ作ったり肩やヒジや腰などと相談しつつルーティン続けた経験ある?

経験あるヒトが読めば、"コレ、きっとウソだよネ?"と思う程度のコトしか書いてない。

国保監督、筑波大の入れ知恵を忠実に棒読みしたのかも知れない。自分だけでなく、佐々木を守ろうとしたのか?しかし、筑波大のメンツも運動経験ない、専門バカなのだろうか、官僚が作る政治家の答弁よりミエミエだった。

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佐々木朗希 高校最後の夏に投げさせなかった、大船渡高校監督「英断」の真実
4/17(日) 7:15 Yahoo!ニュース
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佐々木朗希の高校時代を振り返る(時事通信フォト)
 ロッテ3年目の佐々木朗希(20)の衝撃の快投が、絶賛の嵐となっている。メディアは大船渡高校時代、甲子園行きが懸かった試合で連投回避のため佐々木を登板させなかった指導者も称賛する。だが、当時の判断は、決して単純な“美談”として片づけられるほど、生やさしいものではなかった―─。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。【文中敬称略。前後編の前編】

【写真3枚】大船渡高校の野球部監督・國保陽平氏。他、報道陣の前に立つ高校生時代の佐々木朗希も

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 千葉ロッテの佐々木朗希が20歳という史上最年少で完全試合を達成した翌日、私は「令和の怪物」が東日本大震災以降に過ごした岩手県の大船渡市に向かった。

 3月に起きた地震の影響により福島・仙台間の新幹線が不通となり、沿岸部に位置する大船渡は陸の孤島になっていた。それでも私を駆り立てたのは大船渡高校監督・國保陽平の存在だ。

 教え子が完全試合に加え13者連続三振という新記録を打ち立てたというのに、國保の談話は一切聞こえてこなかった。私が学校側に問い合わせても、応対した教頭はつれなくこう答えるのみ。

「もううちの生徒ではありませんから、すべてのメディアに対しコメントは出しません。國保とも電話をおつなぎすることはできません」

 ただ、拒まれるほど私の足は國保に向く。2年半前もそうだった。これまでの取材のやり取りからして、私には口を開くのではとの期待もあった。

 しかし、大船渡に到着し、現在も同校で外部コーチを務めている新沼丞(60)を訪ねると、衝撃の事実を知らされた。

「あの騒動後、多くのクレームが学校に寄せられ、OB会からも監督の交代を求める動きがあった。それが関係しているかわかりませんが、昨年の夏をもって、國保さんは監督を辞めています。練習にも顔を出してこなかった。野球部に居づらかったのかもしれません」

 私は言葉を失った。高校卒業からわずか2年あまりで達成した佐々木の完全試合は、国民的論争となった國保のあの日の決断が正しかったことを証明したとも言える。

 それなのに当事者は既に監督を退いていた。

 2019年の夏、佐々木を擁した大船渡は35年ぶりの甲子園を懸けて岩手大会決勝に臨んだ。ところが、花巻東との試合で國保は佐々木をマウンドに送らなかった。2対12と大敗したあと、二重三重の報道陣に囲まれた指揮官は、顔を紅潮させながら理由を明かした。

「故障を防ぐためです。ここまでの球数、登板間隔、気温……投げられる状態にあったかもしれませんが、私が判断し、投げさせませんでした。もちろん、私が『投げなさい』と言えば、本人は投げたと思うんですけど、私にはその判断ができませんでした」

 佐々木は前日の準決勝一関工戦で129球を投げていた。さらに4日前の盛岡四戦では延長12回までに194球を投じていた。骨端線(成長期の骨に特有の軟骨組織。骨が伸びたり太くなったりするうえで重要となる)が伸びきっておらず成長段階にあった佐々木の投球過多による故障のリスクを國保は避けたのである。

 だが、佐々木の代わりに登板したのは実力的には4番手に位置づけられる投手だった。9点を奪われるまでその投手を続投させ、2年生左腕を投入した時には大勢が決していた。エースのみならず、2番手、3番手の右投手すら起用せずして、菊池雄星大谷翔平を輩出した強豪私立にどうやって勝とうというのだ。

 佐々木の登板回避は致し方ない苦渋の決断だったろう。しかし、佐々木のみならず他のナインにいっさい説明することなくオーダーを組み、かつ勝負を端から諦めたかのような采配を他のナインは納得していたのか。その疑問は拭えなかった。すべての球児が抱く甲子園の夢と佐々木の将来を天秤にかけ、後者を選んだように映った。

朗希も投げたかったと思う
 佐々木の女房役を務めていた捕手の及川恵介(東北学院大3年)はあの日をこう振り返る。

「決勝でも僕らは朗希に投げてほしかったし、朗希もきっと投げたかったと思う。投げていたら勝算も高かったとは思います。今は冷静になって考えられますけど、決勝の日に國保先生から(先発しないことを)聞いた時はやっぱり驚きました」

 2019年秋に私は岩手大会決勝における不可解な采配に疑問を投げかけると共に、甲子園が懸かった大一番に大エースを起用しなかった國保の決断によって、高校野球が「エースと心中」を是としない新時代に突入したことを拙著『投げない怪物』にまとめた。あの騒動以降、春夏の甲子園では球数制限が導入されたこともあって、エース一人に依存せず、複数の投手を起用する戦い方が主流となった。

 2011年の東日本大震災後、母校である大船渡でコーチを務めてきた前出の新沼は、決勝の日の混乱をこう振り返った。

岩手県営野球場に到着して、すぐにある選手が私のもとにやってきた。『丞さん、今日の先発が誰だかご存じですか』と。選手たちには試合前から動揺が広がっていた」

 國保から先発投手を告げられていた新沼は「頑張るしかないやろ」と言うことしかできなかった。

「朗希が投げないことは、選手たちも納得していた。一方で、チームとして花巻東に勝ちに行く姿勢は、監督の采配からは感じられなかった」

 仲間と共有した夢よりも、自身の将来が優先され、甲子園の道が絶たれた。その十字架を背負って佐々木はプロに旅立った。

「まさにその通り。ですから、今回の完全試合によって、溜飲が下がったのではないでしょうか」

(後編につづく)

週刊ポスト2022年4月29日号

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