プロもアマも、投手のピッチングを勘違いしてない?

野球というスポーツに於いて、プロもアマも、投手のピッチングというモノを勘違いしてない?

投手は、全力投球しないといけないの?150キロや160キロ出さないといけないの?

タマが速いコトは、走者いる時や打者の目測を狂わす意味で有効だが、速いタマや似たスピードのタマが続けば、打者に慣れられる。

しかし、本来、投手の投げるタマにタイミング合わせて、打者が打つのだ。上から、横から、下から投げても、速くても遅くても、投手側主導なのだ。

一昔前、神奈川県に桐蔭学園があり、左右4人技巧派の投手を使い分けたり複数リレーして甲子園に出た。また、PLが春夏連覇した時は、野村(元横浜)・岩崎・橋本(元巨人⇒ダイエー⇒ムショ)でリレーした。大阪桐蔭も、根尾(中日)・柿木(日ハム)・横川(巨人)と3人で春夏連覇した。投手を複数人抱えるには、指導者の眼と指導、本人達の努力と競争が必要になる。上手くデキれば、個人の故障負傷によるリスクは減らせる。

また、横浜の松坂や大阪桐蔭の藤浪みたく、鍛えられたエースが春夏徹して投げ抜き制覇するコトもある。1人で経験積めるだけ、成長や対応力も上がる。

高校野球では、ベンチ入は18人かな?捕手を2人以上、投手を2・3人欲しい。あと、内野と外野控えになる。投手育成が得意な監督コーチなら、候補者を見て特徴を見出せるだろう。1人くらいは投手しかデキなくても良いが、基本他のポジションをデキるようにしたい。また、大きいに越したコトはないが、左投げが1人欲しい。そして、右でも左でも、180センチ級いたら、オーバースローの本格派にしたい。こうした投手候補者の育成度合いで、「今年はどれくらい勝ち上がれそうだ。」と見込んで取り組む。

近江の場合、本来、春甲子園は選抜落ちしていた。それが、京都のコロナにより、急遽春甲子園に出られるコトになった。監督コーチにも、選手達にも、時間がなかった。結局、ずっとエース山田で行ってしまった。競った試合続くと、試合の流れや勝ち上がりの流れが変わるのが怖く、代わりの投手を使えなかった。

準決勝に、山田が足に死球を食ったコトで、或は決勝に"冷静に考えたら、殆ど勝つ見込はない"大阪桐蔭とわかった時点で考えても良かった。甲子園に出るコトは、レギュラーだけでなく控えにも、技術や心構えに成長の機会になる。

本来、なかった甲子園、春は準優勝した。

夏にリベンジしたら良いのだ。

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センバツ準V近江「エース山田陽翔と自分の違いは何か」控え左腕が“決勝の先発”を直訴した理由…大阪桐蔭戦の夜に誓った約束とは?
4/16(土) 17:01 Yahoo!ニュース
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大阪桐蔭の決勝戦が初の甲子園マウンドとなった星野世那(3年)。悔しい結果に終わったが、夏へ向けて成長を誓った photograph by Nanae Suzuki
「林優樹(現・西濃運輸)を見て、今年、左ピッチャーが5人ほど入ってくるんですよ」

 2年前のちょうどこの時期に、近江高校野球部の多賀章仁監督が嬉しそうに話していたことを思い出す。

【この記事の写真】5人の左ピッチャーが近江に入部…憧れは100回大会で力投したあの投手? エース山田の渾身の投球、甲子園初マウンドが大阪桐蔭戦だった星野世那の活躍を見る

 2018年夏の100回大会で、4人の投手の巧みな継投で8強まで勝ち上がった近江の躍動は高校野球ファンなら記憶に新しいだろう。その中で際立っていたのが、当時2年生だった左腕・林の投球だった。

 初戦の智弁和歌山戦は2番手で登板し、3回1/3を投げ無失点。3回戦では強打の常葉大菊川(静岡)を5回まで完璧に抑えるなど8回を投げ、1失点と好投した。次戦の金足農戦ではサヨナラ2ランスクイズで敗れたが、同じ2年生の捕手・有馬諒(現・関西大)とのバッテリーも話題を呼んだ。

 今回のセンバツで“背番号9”をつけていた左腕・星野世那(3年)も、その林に憧れて入学した1人だ。星野は100回大会での近江の試合をすべて甲子園で観戦している。

「あんな小さな体で全国の強豪の打線を抑えられる。確実にしっかり追い込んで有利なカウントに持っていける球を持っていて、凄いと思いました」

 林の動きを目で追い、夢を膨らませた。

左の先発候補として期待された星野
 星野は130キロ台後半のストレートに、カーブ、スライダーなどの変化球も切れ味が鋭く、1年秋に背番号11をつけて初めてベンチ入りするなど、左の先発候補として高い期待を寄せられていた。

 しかし、昨春の滋賀県大会3回戦の立命館守山戦では、先発した星野がピンチを作り、降板。バトンを受けた山田陽翔(当時2年)が痛打を浴び、敗れた。この敗戦によって夏の大会のシード権を喪失。途方に暮れるチームの中で星野は自責の念にかられた。

 何とかたどり着いた昨夏の甲子園では、背番号10をつけてベンチ入りするも登板はなし。昨秋の滋賀大会ではケガで投げられなかった山田に代わって主戦級でマウンドに立ったが、準決勝の滋賀学園戦でサヨナラ打を浴びたのは星野だった。3位決定戦を制して出場した近畿大会でも2試合に先発するも、いずれもピンチを招いて途中降板している。

「去年1年間は悔しさしかなかったです。昨夏の県大会も、本当は自分と山田が先発して、(昨年度のエース)岩佐(直哉)さんに繋ぐはずが、自分が結果を残せず山田に負担をかけてしまって……。山田と自分は何が違うのかを考えた時、ここぞというところでの集中力やピンチでの強さは今の僕にはないと思いました。昨秋に関してもケガの影響で投げられなかった山田を思うと何とかしなくてはという思いは強かったのですが、それでも試合を作れませんでした」

 力みからか、どうしてもボールが先行して球数を増やし、四球でピンチを広げてしまう。冬場は変化球の精度を高めつつ、カウントを取りにいく場面を想定したピッチング練習をこなした。もともと細身だった身体を太くするために下半身トレーニングも敢行。下半身がしっかりしたことでフォームが安定し、投げ終わりの身体のバランスも良くなっていると自負しながら春を迎えていた。

同じ左腕の外義、副島も葛藤していた
 同じ左腕で期待されている外義来都(そとぎ・らいと/3年)と副島良太(3年)も星野と似たような葛藤の中で過ごしてきた。

 外義は変則的なフォームから緩急を使って打者を幻惑させる技巧派。副島も130キロ前後のストレートを低めに集めてゴロを打たせていくスタイルだ。2人も1年秋からマウンドに立ち、昨夏の甲子園では準決勝のマウンドも経験している。

 ただ、外義はある課題を前に立ち尽くしていた。

「自分は打たせて取ることが持ち味だと思っているのですが、コントロールが悪かったら打たせられません。真ん中からシャワーのように流れるスライダーや、初球からチェンジアップなど緩い球を使ってフライで打ち取っていくことで自分のリズムを作っていました。でも、昨夏の甲子園で投げて、他のピッチャーは球が速くて自分の球が見劣りしていると感じたんです。もっと速い球を投げたくなって強く腕を振って手元が狂ってしまい、自分のピッチングを見失っていました」

 球威を意識したのは変化球でかわすだけでは抑えられないとも思ったからだ。そのため、あらゆるランニングメニューで下半身を強化。秋から体重が5キロもアップしたという。

 エース山田が右ひじを痛めた影響で投げられなかった昨秋は、星野と外義、そして副島もマウンドに立った。ただ、副島も理想と現実の間に立ち、思うように球を操れない自分にもどかしさを感じていた。

「変化球でかわすより、ストレートで押せるところは押していきたい。でも抑えてやろうと力が入りすぎて四球を出すことが多かったです。自分は中継ぎで投げることが多いので、いつでも冷静に自分のピッチングを貫いていくことが課題です」(副島)

 つまり、2人の課題は制球力。2アウトからランナーを出す場面も多く、冬場のピッチング練習では初球からストライクをしっかり取ること、カウントを想定した練習を重ねた。

 近江は近畿大会の準々決勝で金光大阪に敗れことでセンバツ出場権を得ることはできなかったが、開幕前日に辞退を発表した京都国際に代わっての出場が急遽、決まった。しかし、ベンチ入りメンバーに外義、副島の名前はなかった。

「外れたことはショックでしたが、そんな気持ちを顔に出したらメンバーに申し訳ないので、日本一を目指すチームのために初戦からスタンドで応援することだけを考えました」(外義)

「去年もそうですけれど、結局山田1人に頼りっぱなしでした。自分も戦力になれるようにもっと経験を積んで、信頼をしてもらうようなピッチャーにならないといけないと思いました」(副島)

 外義は悔しさを胸の奥に閉じ込め、アルプススタンドでメガホンを振り続けた。副島は反対にベンチ入りできた仲間に羨ましさを覚えつつ、自らを奮い立たせようともしていた。

決勝での先発を直訴していた星野
 そんな2人とは違った視点で山田を見つめていたのは、応援団の目の前にあるブルペンで全試合ピッチング練習をしていた星野だった。

「(連投が続いている)山田が疲れているのは分かりました。試合を重ねていくごとに、正直見ていられなくて……。いつでもいける準備はしていました」

 実は決勝の前日、ここまで一度も出番がなかった星野は先発を志願していた。だが、多賀監督からは“その気持ちだけ受け止めておく”としか告げられなかった。そして翌日の決勝のマウンドに送り出されたのは、山田だった。多賀監督はその理由を語る。

「1年秋の近畿大会、2年春の県大会と敗れた試合で決勝打を打たれたのは山田でした。もちろん、体の状態は気にしていました。でもアスリートである以上は、超えないと成長できない壁がある。あの状況でも彼は投げたいと言っていました。投げ切って日本一を目指したい。そんな私の思いと一致したんです。去年までなかった彼の強い気持ちを尊重したんです」

 星野はその“判断”を冷静に受け止めた。

「自分には信頼がなかったんです。信頼がないと先発はさせてもらえない。今の自分ではまだまだ力不足だということが、あらためて分かりました」

 先発は叶わなかったとはいえ、山田の疲労、そして死球の影響を見ていた星野はブルペンでの投球に力を込める。

 そして出番はすぐにやってくる。山田が大阪桐蔭の3回途中に松尾汐恩に2ランを浴び、自ら降板を申し出てベンチへ下がった後、名前を呼ばれた。

 しかし、3本塁打を浴びるなど大阪桐蔭打線の勢いを止められないまま、5回1/3を投げた8回途中でマウンドを降りた。

「ああいう結果になってしまったのは悔しいです。甲子園初登板で緊張があったとはいえ、(打たれたことへの)言い訳にはなりません。でも、高校野球の最高峰の打線といきなり対戦できたことは、今後へのいい指標になります」

 もちろん、念願の甲子園のマウンドに立てた、と星野は心の底から喜んでいる訳ではない。

「自分の成長が山田を助けられるし、チームの勝ちにも繋がる。そう言われる中で、まだ助けられていない。夏までに覚悟をもって練習をしていかないといけないと思っています。自分も山田のように“自分が夏こそはやる”という思いで1日1日を過ごしていきたいです」

 ちなみに3番手で投げた2年生の平井創大は昨秋までは三塁手で、冬から投手に転向したばかり。183cmの長身から繰り出すストレートは粗削りだが、のびしろを感じさせる。「(大阪桐蔭は)すごい打線でしたが、海老根(優大)さんからスライダーで見逃し三振を取れたことは自信になりました。もっと体重を増やしてストレートの質を上げていきたい」と前を向く。

 多賀監督が「滋賀大会を勝ち抜くのは簡単なことではない」と語るように、再び夏に甲子園に戻ってくるためには、星野、外義、副島、そして平井といった投手陣の成長がカギを握っている。

星野の“謝罪”にエース山田の返答は…
 センバツ勝戦後の夜、星野は山田にこう言って頭を下げた。

「自分のせいで申し訳ない。助けられへんかった」

 山田は気にするな、と返した。そしてこう続けた。

「夏は星野がチームを助けられるピッチャーになってな」

 星野は深くうなずいた。

 信頼、悲願、そして仲間を助ける覚悟。

 日本一を目標に切磋琢磨してきた仲間同士で、夏の聖地のマウンドで笑いたい。

 今度は最後まで――。
(「甲子園の風」沢井史 = 文)

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