昭和の怪物、江川卓!高卒で入団していたら・・・。

昭和の怪物、江川卓。高校時代からストレートとカーブで席巻、3年春の甲子園でベスト4、夏はドラマチックな雨天下の押し出し四球で敗退。

高卒時のドラフトでは、阪急が1位指名。しかし、話すら聞かずに拒否、慶大受験した。甲子園ベスト4にも関わらず、一部教授の思惑で不合格、法大に入学した。大学の悪習慣や怠惰練習で肩の故障をしながら、投手としては活躍した。

大卒時は、船田代議士まで同席で巨人意中を表明した。しかし、クラウンが1位指名、拒否して1浪。翌年ドラフト前日、"空白の1日"に巨人との電撃契約も船田代議士絡みで、規約のアナを突いた。

しかし、金子コミッショナーが却下、巨人は翌日ドラフトをボイコットした。1位指名したのは阪神、金子コミッショナーは契約後トレードを勧告した。

江川⇒元木⇒長野⇒菅野と、悪しき1浪習慣はココから始まった。

実際、入団した江川、巨人共に報われたのか?1年目、ブヨブヨのカラダで140キロも出ず、クルージング丸出しのピッチングだった。当時の同僚、西本や定岡らの、力感いっぱいの投げ方とは対照的だった。高めストレートの伸びとカーブの緩急を武器にしていた。巨人王以下、江川の登板日は打たない中、2年目で最多勝を獲った。しかし、3年間リーグ優勝できず、長嶋監督は引責辞任した。江川に対する王、コレは藤田監督後、王監督に対する江川の形で報いを受けた。江川の後は桑田も直面した。巨人に悪しきサボタージュ文化が根付いた。

2年目16勝、3年目20勝をピーク、4年目シーズン中のCM撮で機材が江川の肩に落ちたと言われ、以後の慢性肩痛の原因と言われる。因縁の王監督の時に引退、9年で135勝、年当たり15勝は怪物かも知れないが、野球や勝負への熱さを感じなかった。

高卒で阪急に入団していたら、山口高志江川卓山田久志足立光宏という、オーバースロー2人、アンダースロー2人でトンでもない先発陣がデキたし、同じオーバースローの高めストレート投手でも、全く球質の違う2人の競演を見たかった。

残念!という言葉しかなかった。

平成の怪物、松坂大輔は高卒入団後に3年連続最多勝、メジャー移籍やワールド制覇やWBC連覇&MVP×2など、野球に報われたのと対照的だった。

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まさに伝説...「〇〇の怪物」の系譜(1)多くの逸話残した剛腕
4/22(金) 7:50 Yahoo!ニュース
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”怪物”と呼ばれる選手たちを振り返る【産経新聞社提供】
 千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手が10日、オリックス・バファローズ戦に先発登板。高卒ルーキーの松川虎生捕手とバッテリーを組み、28年ぶりとなる完全試合を達成した。さらに快進撃は続き、17日の北海道日本ハムファイターズ戦でも8回完全投球。身体への負担を危惧するベンチの判断もあり、2試合連続の偉業はお預けとなったが、プロ3年目を迎えた“令和の怪物“が、驚愕の投球を続けている。

【写真】NPB最高のタイトル選手は?<投手編>

 プロ野球史を振り返ると、昭和、平成にも“怪物”の異名を取った投手がいる。今回は彼らにフォーカスし、その活躍を振り返っていく。

“昭和の怪物”
 
現役時代の江川卓。【産経新聞社提供】
江川卓(えがわすぐる)
投打:右投右打
身長/体重:183センチ/90キロ
生年月日:1955年5月25日
経歴:作新学院高-法政大
ドラフト:1978年ドラフト1位
〇最優秀選手(MVP):1回(1981年)
最多勝:2回(1980-81年)
最優秀防御率:1回(1981年)
最多奪三振:3回(1980-82年)
〇最高勝率:2回(1981、84年)
ベストナイン:2回(1980-81年)
オールスターゲーム出場:8回(1980-87年)

 元祖“怪物”の異名を取った江川。作新学院高時代には、公式戦で完全試合2回、無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)を9回達成。ベスト4入りした3年春の甲子園では、大会最多記録となる60奪三振をマークした。ドラフト1位指名を拒否して進学した法政大でも、当時のリーグ記録となる17完封を挙げるなど各カテゴリで驚異的な成績を残した。

 卒業後は、当時福岡県に本拠地を置いたクラウンライター(現西武)からドラフト1位指名を受けたが、「首都圏のセ・リーグ球団」を希望し、2度目の入団拒否。米国へ1年間の野球留学を決断した。翌年のドラフト会議では、最終的に一度阪神と契約。当時のエース格・小林繁との電撃トレードを経て巨人入団を果たすも、 “空白の一日”などと呼ばれた去就騒動は、問題視された。

 プロでは、1年目から9勝をマーク。翌年には16勝、219奪三振防御率2.48の好成績を残し、最多勝最多奪三振ベストナインに輝いた。同年から8年連続2桁勝利を挙げ、3年連続最多奪三振を獲得。特に西本聖Wエースを形成した81年には、31試合(240回1/3)を投げ、20勝6敗、勝率.769、221奪三振防御率2.29、完投数も20(うち7完封)を数えるなど大車輪の活躍を見せ、投手4冠(勝利・防御率奪三振・勝率)とベストナインを受賞。チームを日本一に導き、シーズンMVPにも輝いた。順調に実績を積み上げていた江川だったが、83、85年に右肩を故障。鍼治療などによって復活を続けていたが、その代償は大きく、リーグ優勝を置き土産に87年限りで現役を引退。プロではわずか9年と短いキャリアとなったが、速球とカーブの2球種のみで打者を圧倒。160キロ超とも称される持ち前の剛速球は、今もなお伝説として語り継がれている。

 通算成績は、266試合(1857回1/3)を投げ、135勝72敗3セーブ、1366奪三振防御率3.02となっている。
ベースボールチャンネル編集部

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