発端はポルシェ959?最速の座を奪回!フェラーリF40。

300キロ競争の時は、ランボルギーニカウンタックの300キロに対して、ドコがカウンタックに勝るのか皆無に近かったのにBBで302キロを標榜していた。その後、ランボルギーニが相次いでイオタで310キロ、ウルフカウンタックで315キロを謳った時は無視していた。

ソレが約10年経ち、ポルシェが315キロを謳った959を発表したコトで、エンツオは最速の座を取り戻すクルマの開発を厳命した。トルクスプリット4WD&シリンダーヘッド水冷化&シーケンシャルツインターボという次期ポルシェ911の実験車両的に映る959に対して、ベースは288GTOエボルツィオーネでエンジンを約3リッターに拡大、ミドシップRWD、より空力意識したアグレッシブなデザインのボディーを纏った。959の450馬力で最高速度315キロに対して、F40は478馬力で324キロを謳った。

当時、エンツオは病床にあり、このF40と348を見届け、この世を去った。88年だったかと思う。セナ&プロストマクラーレンMP4/4がイタリアGPを取り零し、ベルガーがその年唯一の優勝を飾った。J・バーナードはフェラーリに加入したが、ターボの88モデルにタッチせず、セミAT&V12の639/640に専心していた頃だ。セミATはF40には搭載されなかった。

 

 

 

 

 

 

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時代の最高速モデル 1980年代 フェラーリF40 エンツォが遺した323.4km/h
2022/04/25 11:05 AUTOCAR JAPAN6

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過去にない速さを求めた徹底的な設計

自社の記念日を祝したF40は、綿密に練られたマーケティング主導の新モデルではなく、純粋に最高を求めた結果といえた。販売に陰りが見えていた1980年代、親会社のフィアットのもとで、ブランドが軟化することをフェラーリは恐れていた。

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その流れを変えるため、不足なく高性能なモデルが求められていた。同社の技術者、ニコラ・マテラッツィ氏は、そのソリューションを実現できるのは自分だと信じていた。

彼の計画は、グループB用ラリーマシンを公道用モデルへ展開すること。マラネロの承認を得ると精鋭技術者を集め、2855ccのV8ツインターボ・エンジンを搭載した288 GTOを開発。さらに性能を追求した、288 GTOエボルツィオーネへと発展させた。

しかし、過激さを増したグループBカテゴリーは、1986年で終了。288 GTOフェラーリの技術力を誇示することにつながったが、さらにそれ以上を披露する必要性が残された。

そして1987年、288 GTOと入れ替わるように誕生したのが、F40だ。V8ツインターボ・エンジンは288 GTOのものがベースだったが、排気量は2936ccへ拡大。過去にないほどハイテクで速いモデルになるべく、徹底的な設計が施された。

開発当初からキーワードになっていたのが、軽量化と空気力学。ピニンファリーナ社のレオナルド・フィオラヴァンティ氏の滑らかでシャープなスタイリングが、チューブラー・スペースフレームと接着された複合素材パネルで構成されたシャシーを包んだ。

エンツォ・フェラーリ氏が指揮を取った最後

スタイリングは風洞実験を重ね、空気抵抗を示すCd値は0.34。イタリア・ナルドにある高速周回コースで2万4000km以上のテスト走行を重ね、高速安定性が煮詰められた。そのうち、300km/hでの走行にも48時間を費やしている。

ボディは、ドアやボンネット、エンジンカバーなどが軽いカーボンファイバー製。その中心部へ、パワフルなV8ツインターボ・エンジンが搭載された。

1984年の288 GTOから大幅に性能向上を果たし、最高出力は485ps/7000rpmを獲得。高回転型ながら、最大トルクは比較的低めの4000rpmから58.7kg-mを発揮した。優れたアクセルレスポンスと、鋭い加速力を生み出している。

オイルサンプやシリンダーヘッドカバー、インテークマニホールド、ギアボックスのベルハウジングなどは、非常に高価なマグネシウム鋳造。軽さを追い求めた選択だった。

キャビンには走りに不必要なものは一切与えられず、備わるのは軽量なバケットシートと簡素なフェルトで覆われたダッシュボード、ドアハンドル代わりの細いベルト程度。その結果、車重は1235kgに仕上がっている。

開発の指揮を取ったのは、創業者のエンツォ・フェラーリ氏。自社の40周年に間に合うよう、生産体制の準備を要求したという。

F40が発売された1987年には、エンツォの健康状態が悪いことは知られていた。そして惜しくも、1988年にこの世を去ってしまう。

それを受け、彼の息が直接かかった最後のモデルとして、予定数の400台を超える需要が発生。1992年まで生産が続けられ、1315台のF40がマラネロを旅立った。

公道走行できる装備が付いたレーシングカー

今回ご登場いただいたのは、1990年式のフェラーリF40。ウォルフレース・ホイール社を創業したバリー・トレイシー氏がオーナーで、ラインオフして間もない頃から大切にしているという。

F40の象徴ともいえる、巨大なクラムシェルのエンジンカバーを持ち上げると、2基のインタークーラーが目に飛び込んでくる。公道走行できる装備が追加されたレーシングカーであることが、まじまじと伝わってくる。

長さの異なるアッパーとロワーのウイッシュボーンの先で構える、幅335の17インチ・タイヤの存在感が半端ない。バンク角90度のV8エンジンは、キャビンを仕切るバルクヘッドへ寄り添うように低い位置へマウントされている。

クルマ好きなら、永遠に眺めていられそうな機能美だ。でも、今回は実際に走らせるためにサーキットへ持ち込んでいる。

当時最先端だったカーボン製のサイドシルをまたぎ、サベルト社製の深いバケットシートに腰を落とす。穴開き加工されたアルミニウムのペダルは、わずかに右側へオフセットしている。

F40は、すべて左ハンドル。若干腕を伸ばす必要があるものの、ドライビングポジションは概ね快適といっていい。

小さなメーターパネルには、スピードとタコメーターのほかに、水温計とターボブースト計が秩序正しく並ぶ。ダッシュボード側には、油温と油圧、燃料計。運転の集中を邪魔するものは、基本的に一切ない。

最も鮮烈な体験を与えてくれるクルマ

キーをひねると、V8ツインターボ・エンジンはすぐに目覚める。予想以上に洗練されている。クラッチペダルは重く、突然つながる。充分な加速力を得るには、高めの回転数が求められる。

パワーステアリングは備わらず、スピードが上昇してもステアリングホイールはさほど軽くならない。しかし、操ることが楽しい。ハイレシオで、生々しい感触が気持ちいい。

コーナーを探りながら、徐々に通過速度を高めていく。ドライバーの自信も徐々に高まっていく。

安全そうな場所で485psを解き放つ。ターボラグは、想像していたものより遥かに小さい。日本のIHI社製ターボが2基、3000rpmを超えた辺りからブースト圧を高めていく。

3800rpm前後から最大1.1barで過給されるようになり、呆れるほどの加速力が放たれる。サウンドは、V8エンジンを積んでいた時代のF1のようでもあり、アクセルオフではランサー・エボリューションより大きいウェイストゲートの悲鳴が響く。

筆者の印象では、今回の10台で最も鮮烈な体験を与えてくれるクルマがこれだ。マクラーレンF1を除いて。

フェラーリF40を運転するには、それなりの勇気が求められる。1980年代のマラネロは、間違いなく軟化なんてしていなかった。

協力:ウィル・ブラウン、英国フェラーリ・オーナーズクラブ

フェラーリF40(1987~1992年/欧州仕様)のスペック

英国価格:19万3000ポンド(1987年時)/175万ポンド(約2億8000万円)以下(現在)
生産台数:1315台
最高速度:323.0km/h
0-97km/h加速:4.1秒
車両重量:1235kg
パワートレイン:V型8気筒2936ccツイン・ターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:485ps/7000rpm
最大トルク:58.7kg-m/4000rpm
ギアボックス:5速マニュアル

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