渡辺久信、西武夜遊びプッツントリオが・・・。

黄金時代西武に於いて、渡辺久信工藤公康清原和博は"夜遊びプッツントリオ"と呼ばれていた。キチンとトレーニングせず、西武自体も成績残ってる間は構いナシだった。それが黄金時代中期には、渡辺久信は故障がち、工藤公康は飛び年活躍、清原和博も打撃タイトル無冠が定着した。それでも黄金時代が続いたのは、郭泰源や渡辺智雄や石井丈博やバークレオデストラーデらがいたからだ。

そんな落ち加減の西武、落ち加減の渡辺久信が、ドカベンプロ野球ダイエー岩鬼正美の開幕の相手になった。西武入団したが、レギュラー伊東勤がいる限りベンチの山田太郎を、渡辺久信はプレーボール前に呼び寄せ、「岩鬼って、ホントに悪球打ちでど真ん中が打てないのか?」と質すと、山田太郎は「久信サンのストレートなら、悪球でも打てないと思いますョ!」と返した。それで、渡辺久信が投じた悪球を岩鬼がホームラン!

ウンナンの桜吹雪は知っている」訴状では、「岩鬼にブルースカイフォークでリベンジさせろ!」というモノだったハズ。一応、実現させた。渡辺久信はブルースカイフォークと岩鬼正美や清原和博に宣言して投げ、打ち取った。岩鬼正美は、高1夏甲子園決勝で緒方勉のワンバウンドフォークや横浜・佐々木主浩のワンバウンドフォークもホームランにしたのだが。「打ち取ったら、ブルースカイフォークです。」と、山田太郎は言った。

大きく落とすためのフォーク、初速150キロで腕を振るコトではない。野茂英雄も、「フォークにはストレート140キロ程度の腕の振りがちょうどいい。」と雑誌に語っていた。

スッポ抜けないようグリップしつつ、前に抜くイメージで投げる必要がある。強い力、速いスピードで抜くと、空気抵抗の受け方が少なく、落差が小さくなる。単に速い腕の振りで抜くと、村田兆治のような上にフワッと浮いてから落ちるフォークになるが、落ち切らない場合もある。

フォークボール、ビミョ~なタマだ。

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「俺が岩鬼にホームランを打たれるはずがない」現役プロ野球選手が水島新司を訴えた「ドカベン裁判」のその後
5/25(水) 17:12 Yahoo!ニュース
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「毎月の飲み代は200万円」「活躍した選手には5万円」漫画家・水島新司“一番稼いでいた時期”の売れっ子ぶり から続く

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 西武ライオンズの現役選手が、漫画家の水島新司名誉毀損で訴えた前代未聞の「ドカベン裁判」はどう決着がついたのか? その驚きの顛末を、水島新司を誰よりも敬愛する構成作家・オグマナオト氏の新刊『 日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた! 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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「俺が岩鬼にホームランを打たれるはずがない」
 
原告・渡辺久信が「ドカベン裁判」で訴えたこととは? ©文藝春秋
 かつてTBSで放送された『ウンナンの桜吹雪は知っている』というバラエティをご存じだろうか。ウッチャンナンチャン代理人に扮し、芸能人や著名人が「自身に起きたことで納得いかないこと、企業に対する不満や訴えを取り上げる」という模擬裁判企画のテレビ番組だ。

 1996年1月5日、この番組に“原告”として登場し、『ドカベン プロ野球編』とその作者・水島新司を訴えたプロ野球選手がいる。当時、西武ライオンズで現役投手だった“ナベQ”こと、渡辺久信。題して「ドカベン訴訟」が開廷した。

 訴訟の内容は、前年にスタートした『ドカベン プロ野球編』の開幕試合、西武ライオンズVS福岡ダイエーホークスでのこと。開幕投手として(劇中で)マウンドに立った渡辺は、ホークスの1番、岩鬼正美への初球、誘いに乗って悪球を投げてしまい、高卒新人に開幕初球ホームランを被弾、という屈辱を喫してしまう。

 だが渡辺はこの打たれた場面について、「俺が岩鬼にホームランを打たれるはずがない」と主張し、名誉棄損の訴えを(番組企画として)起こしたのだ。

 渡辺側が損害賠償として求めたのは、「『ドカベン プロ野球編』の作品の中で、自分に新魔球を投げさせること。完全試合達成の場面を描くこと」の2点。裁判長を務めた俳優・二谷英明が下した判決は、原告・渡辺久信の勝訴。

 被告・水島は判決に従い、1996年シーズンの西武対ダイエーの試合において、渡辺久信完全試合を描くことに(「プロ野球 編8巻」に収録)。

 新魔球として、里中智の決め球「スカイフォーク」をもじった「ブルースカイフォーク」なる魔球を投げさせることも忘れなかった(投げてみたらうまく落ちなかった、という“オチ”ではあったのだが)。

不振の渡辺に降りてきた「ドカベンの神通力」
 これはこれで、テレビのバラエティとして、そしてマンガのプロモーションとしてもよくできた内容だ。実際、渡辺の完全試合描写が始まる前週の『週刊少年チャンピオン』では、「UN(ウンナン)も注目。福岡ドーム岩鬼久信」の予告文面が入っていた。

 だが、ここからが水島予言の真骨頂。この“劇中完全試合”が描かれたのは『週刊少年チャンピオン』の1996年3月14日発売号から5月9日発売号でのこと。それから1ヶ月後の6月11日、現実世界の西武対オリックス戦において、渡辺久信はなんとノーヒットノーランを達成してしまったのだ。
 実は“劇中完全試合”を描いたあと、水島は渡辺久信に会いに行く。

「どうしたんです? 僕、なにもやってませんけど」とポカンとする渡辺に対して、「俺のなかではやったんだ」と花束を渡すやりとりがあったという。その後、現実世界でまさかのノーヒットノーラン。水島は再び、花束を抱えて渡辺久信のもとを訪れたという。

 このノーヒットノーラン予言の凄い点として、当時の渡辺久信が置かれていた状況も加味しなくてはならない。

 20代中盤までは常勝・西武のエースとして3度も最多勝に輝いた渡辺だったが、90年代になって20代後半に差し掛かると急失速。30歳になった1995年はわずか3勝に終わり、渡辺久信限界説がささやかれ始めた頃だった。

 そんな限界説を吹き飛ばすような快投だったわけだが、この1996年も最終的には6勝止まり。さらに翌年は1勝も挙げることができず、戦力外通告を受けてヤクルトへ移籍することに。西武で最後のひと花を咲かせることができたのは、水島新司と『ドカベン』の神通力によるところが大きいのでは……と思わざるをえない。

 

オグマナオト

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