スラッガーの犠打や200本塁打200犠打

強打者と犠打?別に3番~5番を打つ強打者であろうと、回の打順で無死で一塁や二塁や三塁に走者いたら、バントでなくても内野ゴロや外野フライで走者を次塁に進めるコトや打点を稼ぐコトはフツ~にある。打ち取られた打席もそういうチームバッティングはあったように思う。田淵の生涯犠打ゼロはわかる気もするが、チームバッティングの一環で"ない"とは思えない。特に、巨人が落合を中日から獲得した時、江川卓が自分の番組で「一死三塁で外野フライを打つ4番」と称した。その落合、中日でもあった犠打が巨人でゼロとは、あの10・14まで苦しんだワケだ。

そんなにスラッガーの犠打が少ないって、意外!個人的野球観として、打順は最初だけ、各回の先頭打者は塁に出ようとするし、走者がいたら一死までなら進塁打念頭は3番~5番でもフツ~なハズ。そういう意味で、衣笠&山本浩の犠打の多さは、あの時期の広島黄金時代を実感する。高橋慶や山崎や正田など、出塁し走者になったろうし。

そして、200本塁打&200犠打の1人に石毛がいたコトに、広島黄金時代後の西武黄金時代を感じる。石毛自体も1番~6番を打ち、それぞれに走者を進めるバッティングをした。

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通算400本塁打以上で最も“犠打”が多いスラッガーとは? 強打者と犠打の歴史をひもといてみた〈dot.〉
5/28(土) 17:00 Yahoo!ニュース
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左から、坂本勇人王貞治清原和博
 5月13日、巨人の中田翔がプロ15年目、通算1521試合、6245打席目に初めての送りバントをした。中田は2021年まで通算264本塁打打点王3度のスラッガーだ。スラッガーの犠打は、勝利のために当然の作戦なのか。過去のスラッガーの犠打について、調べてみた。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 通算400本塁打以上の選手は過去に20人しかいない。彼らは、言うなれば「超スラッガー」と表現できるだろう。20人のなかで最多の88犠打をマークしているのは、504本塁打(史上7位)を誇る衣笠祥雄(広島)だ。536本塁打(4位)の山本浩二との広島KY砲は、巨人のON砲、王貞治の868本塁打(1位)、長嶋茂雄の444本塁打(15位)に次ぐNo.2の大砲コンビである。48犠打の山本が、1977年から引退の86年まで犠打がなかったのに対し、2番も打った衣笠は引退する87年まで毎年のように送りバントをした。いずれにせよ2人が広島第1期黄金時代の屋台骨を支えた。

 通算400本塁打以上で犠打0の選手は、474本塁打(11位)の田淵幸一(西武ほか)、464本塁打(13位)のタフィー・ローズ(近鉄ほか)の2人。田淵は「アーティスト」と呼ばれたように、打球が虹にも似たきれいな弧を描く生来のホームラン打者だった。ローズは史上2人目(他に落合博満山崎武司)の両リーグで本塁打王になった選手だ。ちなみに510本塁打(6位)の落合はロッテの若手時代に犠打3個、だった。525本塁打(5位)の清原和博は西武時代に4個、長嶋監督の巨人時代(01年、2中日時代の89年に1個。当時の中日の監督は星野仙一9本塁打、121打点)に1個記録している。ちなみに王の通算犠打数は12個。7年連続本塁打王に輝いた68年(49本塁打)に1個あるのは驚きだ。

 大谷翔平やトラウト(いずれもエンゼルス)が2番打者で本塁打を連発するメジャーリーグでは「2番最強打者論」がある。右打者は流し打ちするケースでも、左打者はそのまま引っ張ればいい。走者一塁なら一塁手が牽制に備えベースに張り付くので、一・二塁間安打で走者一・三塁とチャンスが拡大し、ビッグイニングにつながる。

 では日本ではどうか。通算400本塁打以上の「超スラッガー」ではないものの「強打者」といわれる選手たちをみてみよう。「バントをしない2番打者」でデビューした小笠原道大日本ハムほか)は、日本ハム時代の10年間で0個だったが、巨人時代は7年間で2008年に1個、12年に1個。いずれの年も原辰徳監督で、リーグ優勝をしている。ほかには嶋重宣(広島ほか)が首位打者になった04年は1犠打、川端慎吾(ヤクルト)が首位打者になった15年は2犠打、坂本勇人(巨人)が40本塁打を放った19年は3犠打。ただ、21年に27本塁打、75打点だったマーティン(ロッテ)は0犠打である(2番の強打者5人中、坂本以外は左打者)。

「通算200本塁打以上で通算200犠打以上」の打者は、高木守道(中日)、石毛宏典(西武ほか)、谷繁元信(中日ほか)の3人だ。長打力と小技を兼備している。過去、「打点王と犠打王」の両方を経験している変わり種に小谷野栄一日本ハムほか)がいる。10年に109打点でタイトルを獲得しているが、12年の40犠打はリーグ最多だった。走者が得点圏にいるケースでは勝負強さを発揮し、走者一塁では得点圏に走者を送る献身性をみせた。00年代前半の宮本慎也(ヤクルト)のように「走者が出れば送りバント」「シーズン50犠打」のような選手はいないが、日本球界の2番打者は相変わらず短距離打者が任せられる傾向は強いだろう。

 巨人の原監督は、前出の中田や小笠原にバントをさせたように、19年には、2番に配置した坂本のほか、ビヤヌエバゲレーロにも送りバントを指示した。1回に得点できなかった試合は43勝46敗で借金3だったが、1回に得点できた試合は34勝18敗で貯金16だった。確実に先制点を挙げたことが、5年ぶりのV 奪回につながったのだろう。20年には丸佳浩が3年ぶりの犠打を記録し、V2を果たしている。

 21年5月に坂本にバントを命じたとき、原監督は「不思議なことではない」とコメントした。22年5月20日阪神戦でも6回表0対0の無死二塁で、8本塁打のウォーカーが2度送りバントを試みた(結局、ヒッティングに転じて内野安打)。3番・吉川尚輝が送った後、岡本和真が先制2点打。今後も要所で主力打者にバント指令をする原采配が見られるだろう。原監督は21年までに通算1152勝(リーグ優勝9度)を達成。あのV9川上哲治監督の通算1066勝を上回っている。(新條雅紀)

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