戦艦陸奥、謎の爆沈!長門の不運な姉妹艦。

戦艦陸奥、当時は世界最強と言われた40センチ砲を持つ長門の姉妹艦。

ストラクチャーとしては、流れとして、金剛型⇒伊勢型⇒扶桑型と似た系列に見える。

大和や武蔵や長門はそれなりに海戦に出撃し、比叡や霧島は空母同行、伊勢や日向は半分飛行甲板化され、扶桑や山城は金剛や榛名と、割と戦艦同士の砲戦機会に恵まれた。

陸奥は何故か呉に留まったまま、謎の爆沈。巨大戦艦程のストラクチャーが真っ二つとなると、燃料でもなく、弾薬庫の爆発しか考えられない気がする。

長門は、日本戦艦で唯一生き残り、ビキニ原爆実験で沈んだとか。

ビスマルクに対するテルピッツとか、姉妹艦で全く出番に恵まれない艦が出たのが残念。

ちなみにテルピッツは、イギリス爆撃機からの1t爆弾直撃でひっくり返ったと、プラモデルの箱に書いてあったような。

 

 

 

 

 

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戦艦「陸奥」進水-1920.5.31 巨艦で高速「世界7大戦艦」の一翼 最期は“極秘”
5/31(火) 16:22 Yahoo!ニュース
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何としても「完成艦」に
 
1936年9月30日に完了した大改装後の戦艦「陸奥」。艦橋が大きく改造され、煙突が1本となった(画像:アメリカ海軍)。
 1920(大正9)年の5月31日は、旧日本海軍の戦艦「陸奥」が進水した日です。「陸奥」は長門型戦艦の2番艦で、巨大な艦体や主砲などから当時「世界最大最強」を誇りました。「長門」やアメリカの「メリーランド」、イギリスの「ネルソン」などとともに「世界のビッグ7(世界7大戦艦)」に数えられます。

【デカい!】現存する「陸奥」の主砲身

 竣工は約1年半後の1921(大正10)年10月ですが、ここで一悶着起きます。翌11月に発効されたワシントン海軍軍縮条約です。アメリカとイギリスは「陸奥」を、未完成艦と指摘したのです。対外的な竣工こそ前月でしたが、実は艤装工事は完了しておらず、艦の完成度は8割ほどだったともいわれています。しかし日本側は譲らず完成艦と主張。アメリカとイギリスにも新造艦の建設を認めることで、「陸奥」の保有も認めさせます。

陸奥」は全長220mあまり、基準排水量3万3000トンあまり、41cm連装主砲4基8門を搭載しながら、最大速力26.7ノット(約48km/h)と高速を発揮しました。戦間期である1920年代にはお召艦になったほか、艦首の形状変更が行われています。

 さらに1934(昭和9)年9月から2年間、「陸奥」は大改装を受けます。水中防御力を強化すべく、とりわけ弾薬庫付近は鋼板が3層とされます。また砲戦に備え、機関室やボイラー室の上部は命中弾に耐えられるよう、甲板が厚くされました。

 ボイラーの換装や推進抵抗の軽減に寄与する艦尾の延長により、速力はやや低下したものの航続距離は約5800km(16ノット航行時)延び、また高角砲の口径拡大など対空火力も強化されました。

 そのような「陸奥」の初陣は、1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃でした。ただ、この際の主力は空母機動部隊であり、「陸奥」は戦艦部隊として小笠原諸島近海まで航行するにとどまります。

謎の爆沈へ…
 翌1942(昭和17)年6月にはミッドウェー海戦に参加。しかし後方支援に従事するのみでアメリカ軍との交戦はなく、戦果を挙げられずに帰投しています。なお、この海戦では主力空母を4隻も失う大敗を喫しますが、その際「陸奥」は救助された空母「赤城」の乗員を生還させています。

 アメリカ側が徐々に制海権を握り始めるなか、「陸奥」は巡洋艦駆逐艦などを率いて南方へ進出します。しかし海戦の主体は航空機を用いた空襲に移りつつあり、加えて戦艦よりも俊敏な駆逐艦隊との作戦行動においては遅れをとり、ここでも戦果らしい戦果は挙げられませんでした。燃料も不足しがちになり、「陸奥」は翌1943(昭和18)年1月、約1か月をかけて本土へ帰還します。

 出撃する機会もなく、「陸奥」は呉軍港の南、現在の山口県岩国市にある柱島の泊地に留め置かれていました。6月8日正午過ぎ、「陸奥」の3番砲塔付近から煙が上がったかと思うと突如にして爆発。船体は真っ二つに裂け、あっという間に転覆し沈没してしまいました。

 付近にいた戦艦「扶桑」は「陸奥」の爆沈を緊急打電すると、救助を開始。同時に敵潜水艦による雷撃が疑われ、同じ泊地にいた重巡洋艦「最上」が対潜警戒を開始します。約1500人いた乗員のうち8割が死亡する大惨事でしたが、結局、敵による攻撃は認められませんでした。

陸奥の爆沈」は極秘とされ、国民に知らされなかったばかりか、特に事故を目撃した「扶桑」の乗員に対しては箝口令が敷かれました。爆発の原因については今日に至るまで解明されておらず、主砲弾の自然発火説や乗員の放火説などが語られています。ただ旧海軍では過去にも、戦艦「三笠」や巡洋戦艦「筑波」などを火薬庫の爆発事故によって喪失しており、「陸奥」でも同様のことが起きたのではないかともされています。

 いずれにせよ真相は不明であり、しかし思い起こせば無理を通してまで完成させ、改装をも加えた巨艦が本格的に交戦することなく沈没してしまったことは事実でした。
乗りものニュース編集部

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