ミツワに、もし整備サービスのアタマがあれば・・・

昔から、ポルシェのミツワ、ベンツのヤナセフェラーリのコーンズとアタマにあった。

そのミツワ、ポルシェ911が空冷⇒水冷に変わるトコで、日本唯一の取扱店ではなくなった。単なる輸入代理店の1つでしかなくなった。そうなれば、いつかこんな日が来るとわかっていたろう。

ミツワ、ポルシェに対して情熱もなかったのか?単に、胡座商売してた終わりが来たのか?

空冷に限定して、整備ノウハウやチューニングノウハウを独自に集積して、ポルシェを超えるポルシェチューナーになる気はなかったのか?独自に日本国内に安い修理部品やチューニング部品製造・供給元を手配できていたら、日本に於けるポルシェの普及はもっと拡がったのではない?元々、部品代がバカ高いポルシェ、空冷を掴んでいれば、価値はかなり高かったろうに。また、そうしていたら、ポルシェの高飛車サービスに競争して勝てたろうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今夏で70年の歴史に幕 元祖ポルシェ輸入元、ミツワ自動車の去り際
5/31(火) 17:10 Yahoo!ニュース
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水冷911の登場から25年
 
銀座八丁目にあるミツワ自動車のショールーム
ポルシェの輸入販売で一時代を築いたミツワ自動車が、この夏をもって自動車整備事業を終了、銀座のショールームも閉じるという。自動車ジャーナリストの吉田 匠氏が、ミツワ自動車との思い出を綴った。

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◆1953年に上陸した2代のポルシェ356

かつてポルシェの輸入元として名を馳せたミツワ自動車が、今年7月31日をもって自動車整備事業を終了し、東京銀座にある本社ショールームも、静岡県富士小山のデポも、閉鎖するという。

当初「三和自動車」と表記されていたポルシェ輸入元としての同社の存在は、自分がポルシェとは無縁の10代半ばの頃から知っていた。同社はコピーも写真も当時の自動車業界としては抜群にあか抜けた広告を、1962年12月号を皮切りに、自動車誌『CARグラフィック』=『CG』に掲載していたからだ。

三和自動車の発端は昭和初期の1931年とされ、当時、自動車輸入業者や修理工場が軒を連ねていた東京の赤坂溜池に本社を構えて、アメリカの高級車パッカードを輸入していた。三和自動車がポルシェと関りを持ったのは1950年代初頭というから、356が当時の西ドイツ、シュトゥットガルトで本格的な生産に入った直後のことだ。

例の『CG』誌に載っていた同社の広告コピーによれば、それは西ドイツに長年住んでいてフェルディナント・ポルシェ博士と親交があったという日本人弁護士から、ポルシェを日本で販売して欲しいと頼まれたことに始まるというから、ミステリアスでドラマティックな話である。

当時の三和自動車の人々は、ポルシェなる人物も356というクルマも知らず、その仲介者が持ち込んだ356が写った3枚の写真を手掛かりにポルシェを扱うことを決断したのだという。結果、三和自動車は1952年、ポルシェの日本輸入元になる。

1年後の53年、三和が発注した2台の356が横浜に上陸し、いよいよポルシェが日本の路上を走り始める。

1965年になると911が輸入され、日本におけるポルシェの名声が一段と広まるが、三和自動車はその頃には六本木3丁目、あのレストラン・キャンティと目と鼻の先の飯倉片町交差点角に本社を構えて、存在感を増していた。68年に競技用の911Rが展示されていたのも、六本木ショールームだった。

◆水冷の登場から25年

ところで、僕が自動車ジャーナリズムの世界に足を踏み入れたのは『CG』編集部に入った1971年のこと、ポルシェは911ナロー後期の時代に入っていた。その頃から『CG』編集記者としての僕と三和自動車との仕事上の付き合いが始まるわけだが、僕らがポルシェの試乗車を借りにいくのは通常、目黒通りの環6と環7の間にある目黒ショールームだった。

三和自動車との付き合いでは印象的なことが多々あったが、そのひとつは『CG』74年11月号で、911カレラRS3.0という超高性能モデルの試乗記を僕が担当したときのことだ。日本に1台だけ入ったRS3.0を、当時、三和の名人メカニックとして知られたYさんが自ら運転して、テストコースに運んできてくれたのである。

海外メーカーの日本法人が輸入元になっている今では考えられないが、あの時代の三和では、そういうことが実際にあったのだった。

三和自動車の広報からのオファーで、ヨーロッパで開かれる国際試乗会に何度となく出掛けたのも愉しい思い出だ。最初が1986年の959、次が88年、南仏が舞台の964カレラ4で、その後は大半の空冷911試乗会に参加したが、911が空冷の993から水冷の996に代わった97年が、明確な変換点になった。その年、ポルシェAG直轄の日本法人、ポルシェジャパンが、ミツワ自動車に代わるポルシェの輸入元になったのである。

ミツワ自動車はその後も、クラシック911の整備やレストアなどの仕事で旧来からのポルシェマニアに重用されてきたが、水冷911の登場から25年目の今年が、ちょうどいい去り際なのかもしれない。

文=吉田匠

(ENGINE2022年7月号)
ENGINE編集部

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