V9達成後、巨人を阻止したのは与那嶺中日だった。そして、その中日を倒して日本一になったのは、金田ロッテだった。どちらも巨人を引退して他チーム監督となり、リーグ制覇した。
V10絶望となった時点で、川上は監督辞任を決めたろうし、次の監督を長嶋茂雄と決定したのがどういう経緯か明らかでない。
しかし、明らかに第1次長嶋茂雄監督スタートに於いて、戦力整備は不十分だった。計算狂ったのは、攻守でD・ジョンソン、投手の堀内&高橋一。ジョンソンを三塁手にしたのは誰だ?翌年以降、二塁手ではちゃんとやっていた。そして、レフト高田を三塁手コンバートは初年度から大成功だったコトを思うと、長嶋初年度から高田三塁コンバートできて、ジョンソン二塁手起用していたら、守備はどうだったか?もちろん、富田三塁ではダメだったのか?土井の遊撃手は?六大学では土井は遊撃手じゃなかった?
王はソコソコ打って、田淵にタイトル奪われたが野村の通算本塁打数を抜いた。
堀内&高橋一は計算違ったが、新浦の育成も予想外に時間かかったし、高橋善や横山も小林もイマイチだった。
結局、初年度最下位で大補強!ヤクルトと倉田⇔浅野、日ハムと高橋一&富田⇔張本、加藤初⇔庄司、新外人C・ライトとトレードや獲得した。ドラフト獲得した、藤城と山本功は活躍したし。
本来は、川上V10逸が決定した時点で、やるべき手が遅れた。
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脱「純血主義」…長嶋巨人が助っ人獲得へ
6/3(金) 15:30 Yahoo!ニュース
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昭和36年の日本シリーズ第3戦の四回、南海のスタンカから本塁打をを放った巨人の宮本=後楽園球場
【虎番疾風録・其の四~小林繁伝(57)】 長嶋巨人はこれまでの『純血主義』を廃し、外国人選手の獲得に乗り出した。
12月2日から6日まで米ルイジアナ州ニューオーリンズで行われる「ウインターミーティング」に長嶋監督自らがでかけ、巨人と友好関係にあるドジャースのピーター・オマリー会長に会って、獲得できそうな選手のリストをもらう手はずになっていた。
ウインターミーティングとは大リーグのオーナーやGM、首脳陣、マイナー球団の関係者が一堂に集まり、チーム編成やトレードなどの〝商談〟などを行う一大イベントである。
巨人の「純血主義」とはどういう意味なのだろう。文字だけをみれば、外国人選手を排し日本人選手だけ―と取れそうだが、昭和9年、巨人軍の前身である「大日本東京野球俱楽部」創立のメンバーにすでに〝外国人選手〟はいる。
堀尾文人、米国籍の日系2世だ。日本プロ野球の「第1号」外国人選手といわれている。11年にはビクトル・スタルヒン(大正14年にロシアから亡命)が入団し、昭和14年には初のフィリピン人選手アデラーノ・リベラが入団している。
戦後の第1号が「ウォーリー」こと与那嶺要(ハワイ移住日系2世)。30年には2年連続打点王にも輝いたハワイ出身の米国籍スラッガー「エンディ宮本」こと宮本敏雄が巨人のユニホームを着ている。ここでいう『純血主義』とは「現役大リーガーの助けを借りない」という考え方のようだ。
川上監督もV7を達成したあたりから「ウチも将来、外国人選手を入れないと勝てなくなる」と球団に再三進言。そのたびに正力亨オーナーから「父(松太郎)の遺命に背くことになる」と退けられてきたという。
もちろん大正力が「ダメ」と禁じたわけではなく『巨人軍はアメリカに追いつき、追い越すのを目標にしなければならない』という遺命を「だから大リーグの選手に助けを求めては…」と理解していたのである。
だが、状況が変わった。V9戦士も衰えが見え始め、ONコンビの長嶋が抜ける。〝純血主義〟を唱えている場合ではなくなったのだ。
12月2日、ロサンゼルスからニューオーリンズ入りした長嶋監督は、オマリー会長から〝8人の獲得リスト〟を手渡された。(敬称略)
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