トヨタはホンダと違い、期待を焚き付けはしない!

トヨタは日本最大の自動車メーカー、市場リーダーである。別に、ホンダやニッサンと違って、無用に関心を焚き付けたりはしない。単に、持っているユニットや技術を使い、着実に作れるモノをキチンとした品質で市場に送り出す。

ホンダは、S600や800以降FFばかり作り続けた。第2期F1黄金時代あっても、オートバイではレーサーレプリカを出しまくったのとは真逆に、何も出なかった。FFユニットをプレリュードやCRXやトゥデイのミドシップなど、すぐにデキたろうに、やらなかった。

ニッサンは、B12サニー系で全車種FFにした。1車種くらい横置ミドシップ出しても、1車種くらいFRで残しても良かったろうに、やらなかった。

トヨタは、AE86を残してFF化した。そして、そのFFユニットをミドシップにしたクルマを新たに出した。それが、AW11型MR2である。トヨタとしては、初の量産ミドシップ。市場動向も、商品のデキも手探りだった。

実際に作ると、エンジンとミッションとデフを一体化したFFユニットをマウントするのに、ペラペラ鋼板モノコックではダメだった。散々に補強し、イメージより遥かに重くなった。せっかく期待してミドシップ作ったのに、プロペラシャフト結合のFRたる、AE86の方がむしろ軽量になってしまった。

同じ系列のモノコック補強手法やるなら、1.6リッターの4AGでは非力、次は2リッターの3SGを使うコトになった。それが、SW20型MR2になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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国産初のミッドシップMR2』は、実はスポーツカーではなかった【懐かしのカーカタログ】
2022/06/05 20:32 レスポンス6

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ミドシップ・ラナバウト2シーター、トヨタMR2』。1984年6月にこのクルマが発売となった時には「ほほぉ、トヨタもやるじゃないか」と思わせられたものだ。

「あのトヨタミッドシップスポーツカーを!?」
クルマそのものは前年の「第25回東京モーターショー」に『SV-3』の名で参考出品車として登場。この時のトヨタのパンフレットを見ると「レーザーαツインカム16バルブ、4A-Gをつくりあげた時から、技術者の頭の中にはその理想的な置き場所としてミッドシップがあった」と書かれている。“Fun To Drive”は当時トヨタが掲げていたスローガンだったが、“Fun To Ride”な2シーターの室内空間をもつ、新しいスポーツカーとして企画されていることが「SV-3」で公のものになった。

とはいえ市販型の『MR2』と見較べれば、内・外観とも、ほとんど固まっていたであろうことは明らかだった。外観では市販型と違ったのはリヤスポイラー形状(確か当時の法規がからんでいた)やアンテナ位置(SV-3はルーフ、市販車はAピラー内蔵の引き出し式)くらい。内装もシートなど色こそ違うものの、Gリミテッドなどのバケットタイプスポーツシートそのもの。いずれにしても、あのトヨタミッドシップスポーツカーを!?という驚きと、さすがトヨタ!と思わせられる入念な設計、作り込みと、既存パーツの活用が特徴だった。

搭載エンジンは1.6リットルの4A-Gを横置きとした4A-GELU型(と1.5リットルの3A-LU型も設定)。16バルブツインカムで、グロス130ps/15.2kg-mの性能を発揮した。トランスミッションは5速MTのほかに、スティックタイプの新形状のシフトレバーで操作するATも設定。G 、G-Limitedのそれは、ノーマル/パワー/エコノミーのセレクトパターン切り替え式のECT-Sが組み合わせられた。

実はカタログには“スポーツカー”とは書かれていない
ところで初代『MR2』のカタログだが、大人の配慮もあり、スポーツタイヤ、スポーツパッケージ、スポーツマインド、Joy Sportなどの表記は見つかるも、“スポーツカー”とはどこにも書かれていなかった。むしろ「背中にはふたりを酔わせるハートがある」「ピュア2シーター。それだけでプライベートの香り」「選ばれたふたりのために、この空間がある」といった風に、幅広いユーザーを対象にミッドシップ2シーターの走りの楽しさ、新鮮さを訴求する形をとっていた。

たとえば後の『86』のほうが、よほどピュアにスポーツカーであることを打ち出していた。カタログを見返すと、初代『MR2』は、意外にも表現上はマイルドなスポーツ性の訴求のしかたのクルマだった。

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