巨人3-4×中日、4番の差か?投手起用の差じゃん!

巨人、3回に3点取ってリードしたまま、少なくとも、終盤まで来ていたのだ。もちろん、追加点を取るべく攻めつつ、取れなければ守り抜く野球をしなければ勝てるワケがない。

終盤に同点に追い付かれた。9回表、チャンスありながら逃した。後攻となるホームと先攻となるアウェーでは、継投が異なる。先攻が9回表に点を取れなければ、9回裏をゼロに凌いで10回表を迎えなければ勝てない。そんな9回裏に、前の回を投げたビエイラを回跨ぎさせた。1回全力投球&連投基本の中継抑え投手に回跨ぎはキツいのだ。

こんなコト、言うまでもない。原辰徳、もう第3期監督、川上哲治を在位でも勝数でも抜いた、プロ野球界の"安倍晋三"なのだ。手腕も学びもないトコまで、安倍晋三と一緒だ。

巨人フロント、今の巨人と原辰徳をどう見ているのか?今のところ、ヤクルトをひっくり返せる見込はない。選手達は確実に減耗し、新たに育つ選手達は皆無、去年の段階で勝てなかったヤクルトに、CSで勝てるか?奥川いなくても、ヤクルトはブッちぎっている。

原辰徳後の指導者人材、今を勝つ戦力、将来の編成、一気にやっていないと、来季以降阪神みたいになる可能性もある。

 

 

 

 

 

 

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勝った中日と負けた巨人に“4番の差”…プロ初の大役・阿部で思い出した20年前 今も変わらないドラゴンズの顔
6/19(日) 9:19 Yahoo!ニュース
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4番に座り、先制ソロを放った立浪(中央)=2002年7月
◇渋谷真コラム・龍の背に乗って ◇18日 中日4x―3巨人(バンテリンドームナゴヤ)

 4番の差で勝った。1回の1死一、三塁、9回の2死二塁で打てなかった巨人・岡本和と、1回の先制犠飛に続き、9回は無死二塁から左前打で広げた阿部。プロ初の大役を務め上げた姿に、僕は20年前を思い出していた。

 2002年7月7日。金沢のベンチ裏は、選手のロッカー近くまで記者の立ち入りが許されている。試合前に話し掛けてきた立浪の顔が、珍しく紅潮していたのをハッキリと覚えている。「今日、僕4番ですわ」。プロ15年目。すでに名球会を射程に入れていたが、1734試合で初めての4番に興奮していた。

 チームは7連敗中だった。前夜、首脳陣は苦境を救う4番を誰にするか話し合った。山田監督は「孝介(福留)でいこうか」と言った。それを押しとどめ、立浪を推したのが佐々木ヘッドコーチだった。理由は「こういう時は顔です。チームを背負える選手でいきましょう」。本塁打を含む3安打。勝利に導いた試合後、立浪はさらに興奮していた。

 「プロはもちろん、高校でもありません。たぶん、人生で初めて。試合前に監督からわざわざ言われたんです。だから今日だけでもいいから、活躍したかった」

 彼にとっては、よく言われる4番目の打者ではなかった。これが顔、チームを背負うということの重みだった。

 さすがにあの日の立浪の立ち位置と、この日の阿部が同じだとは思わない。しかし大型連敗を止め、はい上がっていこうというチーム状況に変わりはない。指名された立浪は、20年後に指名する側になっていた。

 「4番だからって大振りするなよと(伝えた)。打点もチームで一番挙げているし、阿部しかいない。自分の時ですか? 覚えていますよ。7月7日ですよね」

 あの七夕の夜を、今も忘れてはいなかった。人生で初めてだった4番を、最終的に166試合任された。打率3割、19本塁打、106打点。立浪和義とは、今も昔も変わらずドラゴンズの「顔」なのだ。
中日スポーツ

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