R33スカイラインGT-RLM

R32スカイラインGT-RはグループAを勝つために、必要な装備をGT-R専用車体に載せた。大人げない勝ち方して、グループAレースはなくなった。ニッサンの一人勝ち企画が自ら活躍の場を破壊した。元々、ニッサン2トップとして、国内レースのGT-R、インターナショナルのZという棲み分けがあった。実際、IMSAなどはZ32が走り、富士のようなサーキットはZ32の方が向いてると思っても、国内はR32GT-Rだった。

国内に場がなくなり、超高速サーキットのル・マンに、何故かR33スカイラインGT-Rを仕向けた。全くダメな選択だった。超高速区間でみるみる置いて行かれる、参加するだけの車両だった。

本来、R33以降、アテーサE-TSやめてフロントミドシップのFRとしてGT-Rを作っていたら、ル・マンもニュルも成果は違っていたろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界に1台しか存在しない幻のGT-R
6/25(土) 7:04 Yahoo!ニュース
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GT-Rとして初のル・マン24時間参戦
 
圧巻のワイドボディを纏ったNISMO GT-R LMのリヤエンブレム
 レースで活躍したGT-Rと言えば、グループAを席巻したR32型スカイラインGT-Rの勇姿を思い浮かべるファンが多いだろう。しかし、R33型で1995年と1996年の「ル・マン24時間耐久」に参戦したことも歴代GT-Rのレース史に残る偉大な功績だ。世界3大レースに数えられる栄光のル・マンに参戦するために、“たった1台だけ”製作されたスペシャルなR33GT-Rの生い立ちを紐解く。

【画像】世界にたった1台のル・マンにも参戦できて欧州の公道走行も可能だった幻のGT-RNISMO GT-R LM」

エアロやサス取り付け位置をレースカーと同じ仕様に
 '95年1月に発売されたR33型スカイラインGT-R。R32型がグループAで29連勝を飾ったJTC(全日本ツーリングカー選手権)は'93年シーズンをもって終了し、翌'94年からはNAエンジン搭載の4ドアセダンをベースとしたJTCCに切り替わった。“新型GT-R”となるR33型が活躍できるレースはもはやJGTC全日本GT選手権・現スーパーGT)とN1耐久しか残されていない……と思われたが、「日産自動車」のレース部隊である「NISMO」はその年の『ル・マン24時間耐久レース』にR33スカイラインGT-Rで参戦することを目論み、水面下で着々と準備を進めていたのだ。
 当時のGT選手権に参戦するR33GT-Rは「N‒GT」に属しており、同一メーカーで生産されたものであればエンジンの変更が可能で、トランスミッションや駆動方式も自由に選べた。また、サスペンションはもとの形式を保っていれば変更や改造は自由で、ボディの拡幅(片側50mmずつ)も可能となっていた。そのため、外観やエンジンなどを量産仕様から大きく変更することができなかったグループAに対し、GT仕様はレース用にモディファイできる範囲がかなり広げられていたのだ。
 NISMOはそのGT仕様のR33をベースにマシンを製作してル・マンのGT1クラスに参戦する計画だった。そこで浮上したのがル・マンの特別規則書にあった参加車両の条件に関するレギュレーションだ。その第2条「参加を認められる車両」に関する記述が以下の通り。

●車両は一般公道走行のために、また主催者が認めた国の行政機関によって正式に公認されるため、ヨーロッパの基準等によって定められた規則に例外なく従うように設計されていなければならない。
●サスペンション/ステアリングに関しても、部材の連接点の数や位置が維持されていることや、最大20mmの公差を限度としてオリジナルの位置を保たなければならない。

GTマシン譲りのワイドボディで駆動方式はFR
 GT選手権に参戦するR33と同じ仕様でル・マンに参戦するには、先の規則に合致した“公道走行可能な市販車両”が存在しないと認可が下りなかったのだ。そのために“たった1台”だけ製作されたのが『GT-R LM ロードカー仕様』である。ボディの骨格は量産型のR33GT-Rと同様ながら、ストラットハウスを一部切除し、GT1仕様のGT-R LMのサスペンションを取り付けるためのパネルが新設されている。リヤも同様にサスペンションの取り付け位置を変更。
 要はGTマシンと同じ足まわりレイアウトや駆動方式(FR)、外観デザインを持つナンバー付きの車両をワンオフで製作することで、レース参戦に必要な認可を取得したということ。この車両をベースにレース用マシンを作り上げるのではなく、既成事実として欧州の公道を走ることができる「GTと同じ仕様」のナンバー付き車が存在することを示せばよかったのだ。

意外にも中身はほぼノーマルのままだった
 見た目はGTマシンばりの迫力だが、エンジンはほぼノーマルでボディ補強もほとんどされていなかったという。いかにも速そうなGT-Rに見えるが、実際はこの個体でレースに出るわけではない。ル・マンに参戦の認可を得るための形式的な車両だったというわけである。ちなみに、当時は量産車に搭載していた直列6気筒ツインターボエンジンのRB26DETTではなく、前後の重量バランスを最適化するためにV6ターボエンジンへの換装も視野に入っていたという。
 その後、GT選手権の晩年にはV6エンジン搭載のR34GT-Rで有終の美を飾り、第3世代のR35GT-RはV6ツインターボエンジン+トランスアクスルトランスミッションを車体後方に搭載)という新しいパッケージレイアウトでブレークスルーを果たした。そう考えると、R33でル・マンに挑戦したことの意義は大きかったと言えるかもしれない。
 ル・マンのGT1仕様(23号車)とGT-R LM ロードカーは、今も日産・座間事業所にある「ヘリテージコレクション」に保管されている。2台が並ぶとボディワークの共通性が見い出せる。
 ル・マン参戦初年度の'95年はGT仕様の23号車(星野一義鈴木利男影山正彦)がリタイア、N1エンジン仕様の22号車(福山秀朗/近藤真彦/粕谷俊二)が見事に総合10位入賞を果たした。
 エンジン本体などパワー関係はほぼノーマルだったと言われている。ストラットハウスの形状はあらためられており、サスペンションの付け根が市販車よりも内側に移動されているのがわかる。
 全長×全幅×全高=4,675mm×1,880mm×1,300mmと量産車のR33GT-Rよりもかなりワイド。サスペンション形式は前後ダブルウイッシュボーンで灯火類は欧州の法規に合わせて変更されている。
 R33GT-Rのル・マン参戦記念モデル「LMリミテッド」。'96年5月~7月の期間限定で販売された。ボディカラーは「チャンピオンブルー」と名付けられた。標準車とVスペックそれぞれに設定された期間限定車。特別装備としてフードトップモールやカーボンセンターリヤスポイラー、専用ステッカーを配した。

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