箱根のマツダコレクション

箱根のマツダコレクション、ワタシが8月に座間に着任して最初の土日、ホンダNSR250で箱根に走りに行くついで、マツダコレクション=フェラーリ博物館&ポルシェ博物館&スーパーカー博物館に行って来た。確か、スーパーカー博物館に76年や77年に富士を走ったF1やシルエットフォーミュラも並んでいたハズ。

行くと、ただの博物館、フツ~のクルマディーラーと違って乗ったり触ったりもデキない。別に、見たからどうというコトはない。F1で言えば、福岡にいてはテレビや映画「グッバイヒーロー」以外に全く見る機会もないクルマを、現実に見てみたかった。

箱根の天気、急に雨降りだしたり、霧が来たり、なかなかスリリングだった。

後に、東京に異動になり、池袋アムラックスや銀座ニッサンプラザやホンダ青山に行くと、レーシングカーやF1のシートに座る機会も得た。

今は、大阪で暮らし、そういう機会もなくなった。

**********************************

ニッポンにフェラーリを広めた男、松田芳穂さんのフェラーリ・コレクション
6/25(土) 19:10 Yahoo!ニュース
  5
始まりは300SLガルウイングだった!
 
フェラーリモンツァSP1を筆頭に、とびきりのフェラーリが並ぶ松田氏のガレージ。
これまで名だたる名車を500台近く所有し、ドライブしてきた松田芳穂さんが今、最も愛しているスーパースポーツカーは最新の12気筒フェラーリだった。

【写真21枚】ニッポンにフェラーリを広めた男、松田芳穂さんのフェラーリ・コレクションの写真をチェック

◆旬の物を旬な時に味わう贅沢

スポーツカーと料理は似ている。どんなに素晴らしい食材でも、眺めているだけでは始まらない。最高の状態で食してこそ、その真髄を味わえる。だからこそ“旬の物を旬な時に味わう”のは、とても大切なことであり、贅沢なことなのだ。

スーパースポーツカーのスペシャリストと聞いて、真っ先に思い浮かんだのは、世界屈指のコレクターとして知られる松田芳穂さんだった。

ガレージにお邪魔すると、9月29日に御殿場で開かれたフェラーリ・ブランチでお披露目された、今最も新しいコレクションであるフェラーリモンツァSP1を筆頭に、飛び切りの4台が納められていた。

「これまでクラシックが好きで250GT TdFや250TRなどを所有してきました。確かにこういうクルマはサーキットを走ったりしても面白いんだけど、危ないわけです。それで全部手放して新しいクルマに乗ろうと決めました。現代のクルマは安全で速い。それにブレーキもいいし、よく曲がる。僕もここ10年でわかりましたよ」

松田さんが、初めて心からこれぞスポーツカーだと思ったクルマは29歳の時に手に入れたメルセデス・ベンツ300SLガルウイングだった。そこからクラシック・カーのコレクションが始まり、79年にそれらを展示した“軽井沢古典車館”をオープンする。

その後550スパイダーを手に入れたのをきっかけにポルシェに魅了された松田さんは、ロサンゼルスに住んでいる時に、ポルシェ・ディーラーを営み、自身のレーシング・チームも主宰していたバセック・ポラックと親交をもつようになる。そして彼から908や917Kをはじめとする20台あまりの珠玉のレンシュポルトを譲り受けたことが、ポルシェ博物館の開館へと繋がるのだ。

◆想い出に残るフェラーリ

「ポルシェも面白かったけど、40歳を過ぎてフェラーリに宗旨替えしたんです。当時の日本ではポルシェの方が人気があって、フェラーリなんて誰も知らない。そんな時代でした」

こうしてフェラーリ美術館がスタートすると、毎月のように貴重なモデルがコレクションに加わっていった。それが日本におけるクラシック・フェラーリ、ひいてはフェラーリ・ブランドが広く、深く浸透していく鍵となったのは紛れもない事実だ。その功績はフェラーリ本社にも認められ、86年にはエンツォ・フェラーリとの面会が実現したほか、05年にはイタリア共和国大統領からコメンダトーレ勲章が授与されている。

現在に至るまで松田さんが所有してきたフェラーリは約120台。他のメイクスを含めると合計で400~500台にのぼるという。その中で、これまでで一番印象に残る1台は? と伺うと、即座に57年のレーシング・スポーツカー、フェラーリ250TRという答えが返ってきた。

「これはよく走りました。アメリカのラグナ・セカでレースに出たり、ミッレミリアに出たりね。一番最高だった瞬間は、95年のミッレミリアですね。250TRでは3回ミッレミリアに出たんですが、95年は総合18位、しかも参加したフェラーリの中で1位、日本人でも1位だったんです。エンジンからオイルを吹いて真っ黒になりながらあの成績を残せたんですから。やっとの思いでゴールの壇上に上がったら、みんながよく走ったって大拍手してくれてね。あれには本当に感動しました。その夜のパーティーで順位を聞いた時は、嘘じゃないかと思いました(笑)」

◆スポーツカーは走らせてこそ価値がある

そのほかにも同時期に4台の250GTOを所有し、ツアー・オートやGTOツアーに参加するなど、松田さんは貴重なモデルであっても積極的に自らの手で走らせることを信条としてきた。そのスタンスは79歳になった今も変わらない。先日もモンツァSP1を富士スピードウェイで走らせたところだという。

「250TRはよく曲がるし、リアもスッと出てコントロールしやすい。モンツァSP1は250TRをモチーフにしたって話だけど、あそこまで男性的じゃないですね。富士スピードウェイで走った時も風圧が凄くて210km/h以上出せない。コーナリングなんかもレーシングカーじゃないからロールする。そこへいくと250TRは凄かった。あれは本当のレーシングカーですね。コーナーでリアを滑らせながら自分の狙ったところに行けるんだから」

一方、今でも最初の鮮烈な驚きが色褪せずに続いているのがラ・フェラーリ・アペルタだそうだ。

「エンジンと電気が合わさった速さは半端ではない。富士スピードウェイの直線で310km/h出るのはこのクルマだけ。ブワーッと加速してギューッと止まる。確かにF12tdfも速いけど1コーナー手前で280km/hが精一杯だからね」

◆やはり12気筒は格別な存在

現在15台以上のフェラーリを所有する松田さんだが、今年に入ってコレクションを整理する中である種の結論にたどり着いたという。

「458スペチアーレ、458チャレンジ、488ピスタ・スパイダーは残しましたが、やっぱりフェラーリは12気筒なんですね」

その言葉のとおり、72年式の365GTB/4デイトナをはじめ、テスタロッサ、512M、550マラネロ、599GTO、ラ・フェラーリ、F12tdf、Kode57、そして一番良く運転し、すでに1万kmを走破した812スーパーファストなど、松田さんのフェラーリ・コレクションには、モンツァSP1やラ・フェラーリ・アペルタの他にも錚々たる12気筒モデルが名を連ねている。

「599以降の12気筒は本当によく出来ていて面白い。それ以前では550マラネロが一番ですよ。MTで自分の思いのまま走れますからね。日本1号車を買って、たった2年で6万kmも走るほど気に入ってました。その後で手放したのを後悔して中古を探して買ったくらいです。マラネロは絶対手放しませんよ!」

一方、フェラーリ以外のスポーツカーで所有するのは、ポルシェ918スパイダーのみ。これまで数多くのスポーツカーを所有してきた松田さんが、フェラーリに特別な想いを寄せる理由はなんだろうか?「やはりヒストリーですよね。あと音とスタイル。その時々でフェラーリは全部違うんです。それがまた面白いんだよね。モンテゼモロの頃から工場も新しくなって色々変わったけれど、やっぱりフェラーリフェラーリ。その本質を大事にしてるから、今も残っているんでしょう」

加えて、速く走る、曲がる、止まるというスポーツカーに必須の条件とともに、“乗りこなす”悦びも大事だと松田さんは力説する。

「たまたま馬のマークがついてるけど、動物と同じ感覚なんですよ。乱暴に扱えば暴れるし、恐る恐る乗れば軽自動車にも負けちゃう。今でこそ誰でも乗れるけど、550マラネロ以前は腕がないと乗れなかったでしょう。怖い思いをすることもあるけれど、だんだん上手く乗れるようになるのが楽しいんです」

噂されるSUVについても「出たら一番に乗ってやろうと思っています」と語るように、フェラーリはこうじゃなきゃという固定観念に囚われることなく、最新モデルが出るたびに日本1号車を手に入れ、その真価を自身で確かめてきた松田さん。今一番楽しみにしているのは、812GTS、ローマに続いて納車される予定のアセットフィオラノを装着したSF90ストラダーレをドライブすることだという。

「最近は投機目的なのか走っていないことを自慢する人もいるけど、乗ったからって減るもんじゃないし、乗らないと本当の価値はわからない。もう79歳になりましたが、免許がある限りずっと乗り続けますよ」

文=藤原よしお 写真=望月浩彦

(ENGINE2020年12月号)
ENGINE編集部

**********************************