田原俊彦、芸能マスコミには無言?

ジャニーズに於いては第2期、たのきんトリオの長男的扱いで、近藤真彦野村義男とドラマ出て歌手デビューして、たのきん映画と歩んだ。アイドルから歌手、そして俳優業でも良い活動をしていた。映画は「LOV愛NG」まで、ドラマはびんびんシリーズ、歌手としてポール・アンカの曲でFNS大賞も獲った。

それが、あのジャニーズ&芸能マスコミの歪曲報道で葬られた。ジャニーズをやや強引な手順で独立し、田原サイドのガードが甘くなったところ、結婚して娘が産まれた家(マンション)に芸能マスコミの居座り取材が過熱し、芸能マスコミと近隣住民とのトラブルや、芸能マスコミにより田原俊彦妻子が危険な目に遭った。それらにクギを刺すための記者会見だった。

田原俊彦がクギを刺した発言は一切カット、カレがジョークとして発した「ボクみたいにビッグになると・・・」発言だけを流し、井上公造サン達芸能マスコミはカレを葬った。石田純一を、言ってもいない「不倫は文化」で排除したのと殆ど変わらない、許してはいけない報道だった。

この失われた30年、年間5・6曲出していたシングル曲は今回漸く78曲になった。如何にリリースペースが落ちたか。

大した正義も持ち合せないクセに、許し難い情報操作で1個人に笑えない30年を課した。こんな芸能マスコミを許してはいけない気がする。

 

 

 

 

 

 

 

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田原俊彦、22歳でポルシェ初購入 ベンツ、マセラッティ、ベントレー…華麗なる愛車遍歴
6/25(土) 9:20 Yahoo!ニュース
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やっぱり自分の中ではポルシェなんだ
 
通算78枚目のシングルを発表した田原俊彦【写真:荒川祐史】
 通算78枚目となるシングル「ロマンティストでいいじゃない」を完成させた歌手の田原俊彦。トシちゃんと言えばイメージカラーは赤であり、スポーツカーのポルシェをこよなく愛することでも知られている。数年前には“フライデーされちゃった真っ赤なポルシェ”が有名だが、今回はトシちゃんが愛するポルシェをはじめ、今も愛してやまないマイケル・ジャクソンへの思いなどを語ってもらった。(取材・文=福嶋剛)

【動画】田原俊彦も愛した真っ赤なポルシェ911ターボが疾走する瞬間

――今回は「トシちゃんの愛する○○」というテーマでお聞きしたいと思います。まずはイメージカラーの赤についてです。新曲「ロマンティストでいいじゃない」のCDジャケットの背景も赤で、デビュー曲からのこだわりを感じます。

「『赤い薔薇投げ捨て~♪』からスタートしたからね。こだわりというか子どもの頃からずっと好きな色なんだよね。なんで好きなのかは考えたことがないんだけど。赤って情熱じゃない。やっぱり自分に合っているんだろうね」

――そして「トシちゃんの愛するポルシェ」についてもお聞きします。やっぱり“真っ赤なポルシェ”がお好きですか?

「みんな勘違いしている人も多いと思うんだけど、真っ赤なポルシェに乗ったのは最近なんだ。もちろんポルシェは昔から好きで乗っているんだけど、意外とみんな俺が若い頃から赤いポルシェに乗っているって思っているみたいなんだよね。赤いパンツは今も履いてるけどね(笑)」

――これは失礼いたしました(笑)。

「22歳のときに免許を取って、1台目からポルシェなんだけど、ジェームス・ディーンがシルバーのポルシェに乗っていたというのもあって、店で911カレラのシルバーを見た瞬間、『これだ!』って即決したの。プライベートで使う車だから目立たないようにっていう理由も当時はあったのかもしれない」

――その後もポルシェを乗り継いでいるんですか?

「そう。シルバーの911カレラの次は紺色の911ターボ、その次はシルバーの928、そして黒の959かな。途中で家族ができてベンツに乗ったり、ゲレンデに乗ったり、たまにしゃれでマセラッティに乗ってみたりしたけど、56歳になって一足早い還暦気分で久し振りに911ターボに戻って初めて赤を選んだの。そしたらフライデーされちゃってさ(笑)」

――インターネットで「田原俊彦、ポルシェ」と検索すると、まるで公式写真みたいにフライデーさんの真っ赤なポルシェがたくさん出てきます。

「その話はやめなさい!(笑)。今はベントレーに乗ってるよ」

――赤のイメージといえはフェラーリですが、フェラーリには乗らなかったんですか?

「ナンパな男がフェラーリに乗っちゃったらもう取り返しがつかないでしょ(笑)。田原俊彦は本物の勘違い男だって思われちゃうよ。でもフェラーリもカッコイイんだけどね。最高速度はポルシェよりも速いし。カッコイイんだけどやっぱり自分の中ではポルシェなんだ」

――ポルシェのどんなところがお好きなんですか?

「やっぱりポルシェって“質実剛健”というイメージがあってね。町や山道を走らせたらポルシェは瞬発力もブレーキも裁きもいいしね。やっぱり走りを求めて乗る人間にとっては足回りの硬さとか強さが魅力でね。日本という土地に合っている車だと思うんだ。あとは1度ポルシェに惚れた男としては最後までポルシェを愛し続けるっていう。田原俊彦はそういう男なんだよ」

――良い意味で浮気をしない。

「そうそう。……良い意味で? (小指を立てながら)こっちは浮気しちゃったけどね。アハハハ(笑)。これはちゃんと書いていいやつだから」

――ありがとうございます(笑)。話は変わってTikTokによく面白い動画を上げていますが、ツイッターやインスタグラムは?

「やらないやらない。というか僕がやっちゃダメでしょ(笑)。『どこどこにいる』とか『ここで飯を食った』とかそんなことやっちゃったら行動範囲が狭くなっちゃうからね。でもTikTokは還暦のタイミングではじめてみたんだけど、動画で遊ぶやつだし、僕に一番合ってるよね。面白いでしょ?」

エンターテイナーとして僕に大きな影響を与えてくれたマイケル・ジャクソン
 
2022年も全国20か所を回るツアーが始まる【写真:荒川祐史】
――TikTokを使うということは普段使う携帯電話は、ガラケーじゃなくてスマホですね?

「バカにしてんのか!(笑)。文字のでっかいスマホとかじゃないよ。これはiPhoneて言うんだっけ? いまだに使い方が全然分かってないんだよ(笑)。電話と写真とLINE。あとポケモンだっけ? あとキャンディーなんたらっていうゲーム。それしか使えない。だって仕方ないよ。昭和のアナログ男なんだからさ。時代についていくのに必死なんだよ。必死!」

――(笑)。そして最後に「トシちゃんの愛するマイケル・ジャクソン」についてもお聞きします。

「もう僕たちにとってマイケルは人間を通り越した宇宙人みたいな存在だったからね。僕が15の頃から憧れていて、いつか自分もマイケルみたいになりたいと思ってやってきたところはあるんだよね。マイケルが来日するたびにライブを見に行ったけど、金太郎飴みたいにいつの時代でもどこから切ってもマイケル・ジャクソンっていうね。そんな最高のエンターテイナーでした」

――マイケルの年齢をだいぶ超えてしまいました。

「もう11歳も超えちゃいましたから。でもいまだに彼の映像は見ますよ。ライブ映像も何度もくり返し見ますし、もちろん他にもいろんなアーティストの作品をチェックしますけど、やっぱり僕の中ではいつまでもマイケルなんです。若い洋楽アーティストを見ていてもやっぱりどこかにマイケルのDNAが入っているんだろうなって思うし」

――世の中にはマイケルのダンスを再現できる達人はたくさんいらっしゃいますが、トシちゃんはエンターテイナーとしてのマイケルをリスペクトしてそのDNAを受け継いでいきたいという姿勢がステージを見ても感じます。

「ありがとう。たしかにすごいテクニックでマイケルのダンスを再現する人はたくさんいるんだけれど、僕はそこじゃない。ものまねでもないし。やっぱり僕の中には40年やってきた田原俊彦って言う『THEアイドル』の軸があって、その中にマイケルがいるんだ」

――エンターテイナーとしてのマイケルに影響を受けていると?

「そう。毎回遊園地みたいで楽しいステージでね。でもちょっとした変化も見逃さないようにいつも真剣に見ていたからマイケルのライブを100%楽しむってことはなかったですね。ああいうふうにステージを使うんだとか、こういう演出もありなんだとか、照明の当て方が斬新だとか。なにか1つでも自分のステージに持って帰れるものはないかなって、そんなふうに見ていました」

――直接お会いになったことは?

「ないです。会うチャンスはたくさんあったけど、僕の中では直接会ってはいけない存在だったから」

――それはなぜですか?

「やっぱりスターはスターでいて欲しいからね。マイケルは僕にとっていつまでも遠い存在の憧れの人でいて欲しいなって。だから僕とマイケルの距離っていうのは、どんなに近付いてもいつまでもステージと客席の距離なんですよ。それ以上は近付いちゃいけない人でした」

――最後に還暦という山を越えたトシちゃんがそこで見た景色というのを教えてください。

「還暦になってみての景色か。なんだろう? やっぱりなんにも変わらないな。だって、昔と時代が違うからね。僕らが若い頃の60歳の人って、結構おじいちゃんだったでしょ? でも今は全然若いじゃないですか。もしかしたら還暦ってちょっとずれてきているのかもしれないよね。

 僕にとって年齢というのはあくまで記号の1つでしかなくて、どちらかというとアニバーサリーとして使いやすいので還暦というパーティーをやらせてもらったみたいな感じでね。むしろ老け込むんじゃなくて、これから1年1年若くなっていくぞーみたいな意気込みでやっていかないと今も現役でステージに立つ70代の先輩には近付けないしね」

田原俊彦(タハラ・トシヒコ)1961年2月28日生まれ。山梨県出身。1979年にドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)の沢村正治役でデビュー。近藤真彦野村義男と共に"たのきんトリオ"と呼ばれ、一躍人気アイドルに。80年の歌手デビュー作「哀愁でいと」は75万枚の大ヒットとなる。以後、「ハッとして!Good」、「抱きしめてTONIGHT」などのヒット曲を飛ばし、オリコンチャート1位獲得12回、ベスト10ランクイン38曲という快挙を達成。また、ドラマ「ラジオびんびん物語」、「教師びんびん物語」などの「びんびん物語」シリーズでも人気を博した。2022年6月、通算78枚目のシングル「ロマンティストでいいじゃない」を発売。7月より全国ツアーを開催。
福嶋剛

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