私大出身が日本を破壊している現実を知らないのか?

このライターも早大のヒト?この4・50年日本の破綻を招いているヒト、私大出身ばかりだと知らないのか?竹下登以降の総理大臣、自ら学んでない者が偏説学者の言いなりになって、日本を破壊する数々を繰り返した。バラ蒔き外交や消費税や3公社5現業民営化や年金誤運用などで、日本を破壊し尽くしている。今の3年間のコロナ愚対応も成大安倍晋三⇒法大菅義偉早大岸田文雄に至る、私大3バカ総理大臣に依る。中学高校保健体育程度の知識もアタマに残ってないから、"コロナだけ"を感染対応にする矛盾すら感じ取れず、疫病学者達の言いなりになった。対論を探るコトすらしない、私大出身者の常道対応だ。

国公立大学、AOを除いて、私立大学のような不透明合格はない。不透明不合格はあるけど。特技や選抜方法など、セーフティーネットを張り巡らし、学力的に教科分野的に偏ったダメな生徒を大学生にする代わり、単年で百万円超す学費を遅滞なく支払ってくれる商売相手、選別する余裕すらある。私大卒?ヌケヌケとよく言っていられるモノだ。自分の4年やそれ以上の期間の笑顔と引き換えに、親御さんは安いレクサス買える額を投じたのだ。知ってるヒトなら笑えないョ!

EQ>IQ?それもゴッチャ表現じゃん!

ヒトって、PCで言うCPUやメモリーやHDD容量って、基本変わりないのだ。人生として10代にどれだけの勉強や運動や活動をするかで、HDDにインストールされるプログラムが違うのだ。プログラム種類少なくても深いかも知れないし、プログラム種類多く浅いコトもある。

勉強しない10代を過ごしたヒト、後で勉強しても砂上楼閣でしかない。私大出身学者もその傾向だし、小保方サンは足下を掬われてしまった。

勉強しないヒト、努力しなかったヒトらは、その勉強や努力の価値を知らない。

*********************************

国立大出身者は私立大出身者より偉いのか、企業にはびこる学歴信仰
7/8(金) 11:46 Yahoo!ニュース
  7
東大を頂点とする学歴信仰はなかなか消えない。写真は東大の安田講堂(写真:ロイター/アフロ)
 東大卒は本当に優秀なのか――。高学歴の学生は企業の期待度が高く、就職活動でも有利だというのが“一般常識”だろう。かつてソニー(現ソニーグループ)が「学歴不問採用」を打ち出したが、いまだに企業社会には学歴や出身校がものをいう風土が残っている。テレビ朝日で人事部長を務め、現在は就職コンサルタントとして活動する筆者が、自らの体験を基に「学歴フィルター」の根深さを指摘する。

 (岡部 隆明:就職コンサルタント、元テレビ朝日人事部長)

 前回(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70720)は、お上が決める「採用ルール」のおかしさを指摘しました。今回は企業やビジネスパーソンの間で根強く残る学歴信仰について取り上げます。

 受験戦争では、より高い偏差値の大学に合格した者が勝者であることは否定できません。受験戦争の勝者は社会に出てからも勝者でありたい、勝者でなければならないというのが学歴信仰です。そして、勝者は高い学力を持っており、仕事上でその能力が発揮され、大きな成果を生むはずだというのが、この信仰の教典です。

 少し前になりますが、昨年12月、就職情報会社のマイナビが、ある企業のインターンシップを紹介するメールのタイトルに「大東亜以下」と記したまま学生に送りました。これが主にSNS上で物議を醸しました。

 「大東亜」は「大東亜帝国」とも呼ばれます。大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘という5大学の頭文字を取ったものです。偏差値レベルで私立大学をグループ化した1つです。

 「大東亜以下」というメールを受け取った学生から、「学歴フィルターを設けているのではないか?」という疑念が沸き上がりました。これに対してマイナビは「学歴差別を行う意図はない」として謝罪し、学歴フィルターの設定についても否定するという騒動がありました。

 企業が採用活動において、学生を学歴や所属大学の入試偏差値によって“ふるい”にかけることを学歴フィルターと言います。それらが低い学生は会社説明会セミナーに呼ばないとか、エントリーシートを読まずに落とすといった差別的行為です。

 もちろん実態は不明です。こうした行為は法律に触れているわけでもなく、企業も「学歴フィルターを使っています」と公にはしないからです。したがって、どれくらいの数の企業が採用選考で学歴フィルターを用いているかはわかりません。

■ 「お前は私立大学だから駄目なんだよ!」と叱責

 しかし、学歴信仰とは言わないまでも、学歴を信用して選別している企業が相当数あるのではないかと想像します。企業は、学歴や学力の高さが必ずしも成果に結びつかないことを経験的に知っていますが、選考の効率化を図る目的で、わかりやすい尺度として学歴フィルターを用いるのだと思います。

 社員の選考方法はそれぞれの企業が独自に決めることであって、学歴に対する信仰の度合いも企業によって異なります。「〇〇大学の学生を採っていれば間違いない」とか「この大学は採用実績がないから採らない」という企業もあるでしょう。

 こういう考え方は奇異に感じなくもないですが、企業それぞれの経営判断の一つで、干渉を受けるものではありません。ただ、本当の意味で人物本位の採用をしようとするのならば、学歴信仰は邪魔になり、正しい判断の妨げになる恐れがあります。

 「東大にあらずんば人にあらず」

 こんな極端な学歴偏重主義に対して大多数の人は、「そんなことはない」と一笑に付すでしょう。ただ、本気でそう考えている人、あるいは、そう信じたい人は存在します。東大に限らず、「国立大学出身者は私立大学出身者よりも偉い」と主張する人もいます。

 私が人事部にいた時の話です。

 「仕事でミスをしたら、『お前は私立大学だから駄目なんだよ!』と、上司から叱責を受けました。あの人、国立でも私より偏差値が10以上低い大学ですよ。馬鹿なパワハラ上司をなんとかしてください!」

 私はそんな愚痴を受け止めながら、出身大学や偏差値を材料にして本気で争っている2人に愕然としました。

 この上司のような国立大学優位論者の根拠は「国立大は受験科目数が多く、それだけ苦労しているから」ということでしょう。

 多くの科目をこなして合格したというプライドを自分自身で大事にするのは構いませんが、他者との関わりの中で、その価値観を持ち出すのはいかがなものでしょうか。まして、部下の指導、育成の場面において差別的な表現で叱責するのは不適切です。

 このような学歴論争は不毛かつ滑稽で、悲哀さえ感じます。

■ 知力の高さを誇りにするローパフォーマーは厄介

 私は人事部の立場から多くの社員を見てきました。その経験から言うと、仕事の出来、不出来と出身大学との間に相関関係は見出せませんでした。上位校を卒業しているけど仕事ができない人もいれば、さほど偏差値の高くない学校の出身者で仕事ができる人もいます。

 確実に言えるのは、知力の高さを誇りにしているローパフォーマーは厄介な存在になるということです。

 知力を武器にして職場環境を破壊することが得意です。前例にとらわれ新しいことに拒絶反応を示す人、妥協という言葉がその人の辞書にはないらしく主張を曲げない人、何にでも根拠を求めて、それがないと動かない人などなど、頭脳だけが肥大化している人はどこにでもいるものです。

 どうしてこういう人が採用されてしまうのでしょうか。

■ 面接には学歴信仰の幻想がつきもの

 私なりの分析結果ですが、頭脳明晰で話の筋が通っていることが共通項です。採用面接で、どういう質問に対しても要領よく答えて、選考員を見事に説き伏せて高い評価を得たのだと推測します。

 知力の高さは、その人の能力や個性の一つであり、それは評価されるべきです。ただ、社会で起こる問題、業務遂行上で起こる課題は知力だけでは解決できません。むしろ、よりよい人間関係を構築し、他者の力を借りて解決するほうが多いはずです。そこに信頼関係がないと人と人は繋がりません。そして、信頼を生むには思いやりや謙虚さ、柔軟性といった心の在り様が大事です。

 採用選考はEQ(心の知能指数)と呼ばれる「他者の感情を感じ取る能力、自分の感情を統御できる能力」を持っているかどうかに大きな比重を置かなければならないと思います。

 しかし、EQを計測する確固たる方法はありません。昔から面接が有効な方法として採用選考の柱として実施されてきましたが、ややもすると知性を感じさせるIQ的な要素が優先されてしまいます。

 質問に的確に答えたとか、頭の回転が速かったとか、知能の働きの良さを面接の当落の判断にしがちです。意識する、しないにかかわらず、誰しも多かれ少なかれ学歴信仰の幻想を抱いているからです。これが面接の難しさです。

 私は全集中でEQに着目して選考してきました。私だけが合否を決めているわけではありませんが、選考に関わった多くの社員が活躍しており、「EQ>IQ」という私なりの判断は概ね間違っていなかったと思っています。

 もっとも、長い間採用に関わり、ものすごい数の学生と向き合ってきたにもかかわらず、心の在り様を捉えきることができなかった例もあります。

 「どういう部署を経験したら人事部長になれますか?」

 こんな質問をある若手から受けました。学歴も輝かしい人物です。よくよく話を聴いてみると、会社で本当にやりたいことがあるわけでもなく、肩書を持つことが目標のようでした。その上司からの報告では人間関係も打算的で、「上司には服従するが、同僚に対しては馬鹿にして衝突する残念な人物」とのことでした。

 学歴信仰の呪縛から自由になっても、EQの実相を見極めるのは難しいことです。人の心は手に取れないもの、数値化できないものだからです。しかも、美化された心が対象です。それを見抜くことは採用選考の究極の課題かもしれません。それでも、私は「EQ信仰」を強調したいと思います。
岡部 隆明

*********************************